2006年7月

07月02日(日) このファミリー  Status Weather曇りのち晴れ

 テレビのバラエティ番組での印象しかない芸能人に似た,50歳代後半の女性が同じマンションに住んでいる。世帯数が少ないから,出くわせば会釈をし,よくも悪くも住人同士,顔見知りにならざるを得ないのだ。
 元来そうなのか,アルコールによるのかどうか,そこまでは知らないものの,嗄れた声と,派手なようすが相まってやけに強面にみえる。最初,声をかけたときは一瞬ひるんでしまいそうになった。実際は,とても気のいいおばさんなのだけれど。

 休みの日,家族で出かけにそのおばさん会うと,必ずこんな具合にいわれる。
 「いつも仲がいいわね,このファミリーは」

 “ファミリー”だけでも,面と向かっていわれる経験はほとんどないのに,さらに“この”が付くと,その独特の語感に,ときどき,なんだか米軍基地がある街に住んでいるかのような錯覚をしてしまう。


07月04日(火) The Harder They Come  Status Weather晴れ

 小学生の頃,夏休みになると,月に何回かは朝の3時,4時に起きた。冷めた空気を首筋に感じながら自転車を漕ぎ出す。前日の約束通り,友人たちと待ち合わせて森に分け入り,樹を蹴飛ばしに行くのだ。もちろんストレスを発散させるためでもなければ,身体を鍛えるためでもない。昆虫採集のためだからこそ,早起きは苦にならなかった。
 私たちが印を付けていた森は,東に流れる川の上流に一カ所,北西の山沿いに絡み付きながら曲線を描く道の途中に自転車を置き,しばらく登ったところにもう一カ所。それぞれはかなり離れていたから,行くのは,いつもどちらか一方だけだ。

 その日は東の川の上流に向かった。前日,カブトムシを採り逃してしまったものの,“逃したカブトムシは再びやってくる”だろうと単純に考え,2日続けて出かけてきたのだ。ところが,いたのはカブトムシどころか,大きなウシガエル。私たちの行く手を阻むかのように,およそ両生類らしからぬ鈍い音を響かせながら一歩,また一歩跳ねる様子は,今,思い出しても気色悪いものだった。目当ての樹に辿り着く前に,私たちはまず,こ奴を越えていかなければならない。なのに,狭い道の真ん中を,それも道に沿ってのそのそと跳んできたのだ,こ奴は。
 「明日にしようか」
 最初にそう言ったのは誰だったろう。考えたり,反論する間もなく,口々に「しかたないよね」「それがいいと思うな」,賛同の輪が広がる。

 マッドネスがフジロックに登場する前に,渋谷でライブがあると知り,とりあえずチケットを入手した。と,なぜか,その夏の昆虫採集のことを思い出した。


07月08日(土) 喫茶店  Status Weather曇りのち晴れ

 新宿南口を出て左,甲州街道沿いに少し歩いてさらに左に折れる。いくつめかの十字路の手前右のビル2階にその喫茶店はあった。灯りが少し暗い以外は何の変哲もない。平日の午後だというのに賑わっているように感じたのはテーブルを占める客が皆,熱心に話し合っているからだ。

 『キャッチセールス潜入ルポ ついていったらこうなった』(多田文明,彩図社)を読みながら,まず思い出したのはその喫茶店のことだった。とてもわかりやすいタイトルの本で,内容はそのままだ。インチキ宗教,マルチ商法,絵の即売会,手相をみさせてください,署名をお願いしますなど,町中でよくみかけるキャッチセールスに,著者がついていった顛末を通して,それぞれが何を狙っているのか(ほとんどは当然,お金)がわかりやすくまとめられている。
 で,勧誘(というか詐欺)は,それぞれの事務所ですすめられることが多いのだけれど,喫茶店やファミレスで承諾を迫るケースがままある。ここには記されていないものの,そうした勧誘に利用される喫茶店やファミレスの一定数は,事前に何らかの契約をし,事務所代わりに使うことを認めているのではないだろうか。

 新宿南口の喫茶店に連れていかれたのは,喬史がマルチ商法に嵌り込んだときのこと。まわりにいた決して少なくない客はすべて,“金になる話”について同じような説明を受け,書類にサインし印鑑を押すことを迫られていた。それは,思い返すとなかなか面白い光景だけれど,そう気づいたときは冷や汗ものだった。
 カモを喫茶店に連れ込むと,待ち構えるマルチの親が,子に懐柔策を授けるのだろう。ときどき他のテーブルに引っ込んでは,戻ってくるという所作を繰り返した。

 ただ,私たちの誰もがその喫茶店で契約することはなかった。伸浩は喬史に奢るだけ奢らせて,結局,最終電車を乗り過ごしてしまったため,喬史の家に泊まらせてもらいながら,それでも契約をしなかった(これはこれで,ひどいといえなくはない)し,昌己は南口から動くことさえ拒んだ。

 私たちが喫茶店といって思い浮かべるのは,だから今でも,その喫茶店なのだ。


07月10日(月) ミニコンポ  Status Weather晴れ

 ダブルカセットとチューナー,レコードプレーヤーが付いたミニコンポを手に入れたのは,一人暮らしをはじめてしばらくしてのこと。
 左右の音量調整レバーと,高音,低音調整レバー合わせて3本は,その頃,ミニコンポに搭載されはじめたイコライザーに似たデザインだった。手に入れて後,徹が部屋にやってきたとき,「おっ,イコライザーか?」というのと同時に,いきなり何の遠慮もなく3本を上下させた。当然,すぐに「なんだ違うじゃないか」と鼻で嗤われた。
 CDプレーヤーの接続端子と切り替えスウィッチが付いていたものの,これを使うようになるまでには4年近くの年月が必要だった。

 黄色いリボルバーじゃないが,全体がピンクに塗られていたためだろうか,家庭をもった後,家内が気に入って使い続けることになった。ただ,その頃はすでにレコードプレーヤーは使い物にならなくなっていた。カセットを回すことはできたが,音が無茶苦茶こもってしまう。娘のピアノ練習用に回す以外は用をなさなくなった。その役割も,ここ1,2年は,10年くらい前に買ったTEACのMTRにとって変わられていた。
 ラジオは,聞かなくなって15,16年になる。
 結局,10年来,ほとんどCDプレーヤーの出力用に使うだけだった。何台かのプレーヤーが壊れ,買い換えたが,ピンクのミニコンポは,その用だけは果たし続けた。

 最近のこと。CDプレーヤーが壊れてしまったので,ひとり,大型電気店で品定めをしていると,2万円でお釣りがくるミニコンポがあった。CDプレーヤーだけ買ってもそれくらいはする。MP3を落としたCD-Rも聞けるのだという。カセットは付いているのにMDに対応していない点もわが家のニーズに即している。
 結局,そのミニコンポを買った。(つづく) 


07月14日(金) ミニコンポ 2  Status Weather晴れ

 ここ数年,ミニコンポで音を出してCDを聴いたことはほとんどなかった。手に入れたアルバムの数が第一,少ないけれど,ほとんどパソコンに取り込んで,ヘッドフォンを通して聴いていたため,数少ないアルバムのケースや歌詞カードは妙にきれいなままで仕舞われている。

 で,それらを取り出して聴いたかというと必ずしもそうではなく,結局,バックハウスが弾くベートーベンのピアノソナタとか,クレンレラー指揮のメンデルスゾーンの「スコットランド」とか,つまるところ,数年前までコンポで聴いていたアルバムばかりだ。たぶん,音を出して聴かなくなりはじめた頃に手に入れた2枚組のザ・ビューティフル・サウスのベスト盤も持ってきたり。

 ピンクのミニコンポは,いまだ玄関先で行き場所を探し続けている。


07月15日(土) 表裏  Status Weather晴れ

 問 もしあなたがどこか一つの場所に住まなければならないとしたら――永久にですよ――どこを選びます?
 答 ウーン。寒気がするような考えだなあ。一カ所に定住するというのは。(中略)どこにいようと私はいつもニューヨークにアパートを借りていました。それにはなにか意味があるはずです。ほんとうに選ばなければならないとしたら,きっとニューヨークでしょうね。
 トルーマン・カポーティ『ローカル・カラー/観察記録』p.239,早川書房


 ――これまで行ったうち,どの国がいちばん好きですか?
 横浜にいるとさ,ああニューヨークがよかったなとか思う。で,現実にニューヨーク行くとスペインのほうがよかったと思う。スペインへ行くと今度はパリのほうがよかった……。そんなもんじゃないかな。結局,日本がいちばんいいよ。だって,たとえば豚骨で焼酎飲んだあとさ,丸干しで日本酒を飲んで,フォアグラ食って,テキーラ飲みにいくなんてこと日本でしかできないもの。
 PENTHOUSE COLUMN/フロントインタビュー 矢作俊彦,1984.

 カポーティと矢作俊彦の発言を比べて,何か書こうと思って,切り抜きを引っぱり出したところ,切り抜きの裏に村上春樹の署名エッセイが掲載されていた。タイトルは「最近のコンサートについての疑問や文句」。雑誌「ペントハウス」(講談社の頃の)だ。
 以前,「悲劇週間」が連載されていた頃の「文學界」で,はじめて両者の名前が1つの雑誌に掲載されているのを見たと記したはずだけれど,20数年後生大事に抱え込んでいた切り抜きの表裏に名前があるなんて思いもよらなかった。


07月16日(日) バリチュウ 2  Status Weather晴れ

 かなり前に書いたけれど,自称・バリ島出身という主人の店で,“バリチュウ”なるアルコール(?)を飲んだことがある(ここ)。この香りを共有することはそれほど難しくはない。インスタントコーヒーの焼酎割りをイメージできれば,それが私たちが飲んだバリチュウの香りだ。
 ただ,バリに行ったことがあると聞くたび,尋ねた人の誰もから「知らない」と返事され,もちろんその店以外で“バリチュウ”を飲んだことはなく,いつしか店は畳まれたため,いったいあれは何だったのだろうかと,ときどき思い出すことはそれでもあった。

 最近のこと。
 家の近所の鰻屋のメニューに,コーヒーの焼酎割りと書かれていることを発見した。頼んでみたところ,“バリチュウ”にかなり近い香りだ。アイスコーヒー用のリキッドを用いているようで,たぐり寄せた記憶と比べると,若干苦みが薄いような気はしたが。
 ああ“バリチュウ”だ,で終わればすっきりするけれど,いや,鰻を食べながら,コーヒー割りの焼酎を飲むなんてこと正直,するものじゃない。それどころか鰻屋のメニューには,どれ一つとしてあの香りに似つかわしい肴はないと思う。


07月17日(月) 検索  Status Weather

 最近の日記です。

 先日,娘と一緒に近くの図書館へ行ったときのこと。以前であれば,棚を一巡して,そうでなければ好きなシリーズが並んでいるあたりを集中的にチェックして借りる本を探していた。一度に借りられるのは10冊までだ。あたりはずれもあっただろうけれど,1時間近くかけて,時には,どんな内容の本かページを捲るうち,読み終えてしまったりしながら,2週間分の本を選んでいたのだ。
 ところがだ。いつものように時間がかかるのだろうと思い,私が鞄に入れてきた読みかけの文庫本を取り出した途端,「“日本の物語”の“れ”ってどこ?」,娘が尋ねてくる。
 分類が“日本の物語”で,作家名が“れ”――いや,“れ”なんて日本の作家いるのだろうか?

 私は“ら行の作家”の棚を見つけ出し探したけれど,そんな作家の本はなかった。娘にそういうと,「ジュニア文庫だから,ここじゃないよ」。棚をぐるりと一巡し,ジュニア文庫の棚で『若おかみは小学生!』というタイトルのシリーズを見つけたのはしばらくしてからのこと。作者は令丈ヒロ子,確かに“れ”だ。
 「どうやって,この本が,ここにあること判ったんだ?」
 「検索したの。最近は,借りる本を検索して見つけてるの知らなかったの」

 カウンタを挟むように4台の端末が並んでいた。どうやら,それを使って探すのがあたりまえのようで,私たちが図書館にいる間,順番待ちの列ができることもあった。

 「棚を見ながら面白そうな本を探せばいいのに。探している本の隣に,面白そうな本が見つかることって,よくあっただろう。前はそうやって探してたのにさ」
 「だって,検索するの面白いんだもの」

 その図書館の児童書を集めたフロアは最近,大幅に改装された。棚の高さは全体に低くなって,小学3年生の娘であれば,てっぺんまで手が届く。以前に比べレイアウトはすっきりし,本を探すのにもそこで読むのにも,かなり心地よい場所になったように思う。

 私は本を探すとき,雑誌のように,さまざまな情報が詰め込まれた場所から手がかりを見つけ,匂いを嗅ぎつける。本屋,古本屋の棚は,私にとっては雑誌のようなものだといってしまってもピント外れではないだろう。もちろん,本を検索できる恩恵を否定するわけではない。ただ,図書館で,何かを読みたい一心で借りる本を探そうというのに,娘が目の前の棚を見ずに,端末に向かうのはどうしたわけだろうと思うのだ。ではどんなふうに,棚に目を向ける面白さを伝えればよいか改めて考えると,はて,困ってしまうのだけれど。


07月19日(水) 砂  Status Weather雨のち曇り

 その頃,外で遊んだ後,家に帰ってくると,親は待ち構えたように私を洗面所に連れていき,何よりも先に耳,鼻,目をタオルで拭く。痛かったし,毎日のことだったので私は非道く嫌がったことを覚えている。そのたびは親はこういうのだ。
 「ポケットひっくり返しなさい」

 なぜ,ズボンのポケットに砂がいつも紛れ込んでいたのだろう。律儀にひっくり返すたび,裏地に付くザラザラとした砂の感触が指先を伝わる。ポケットに悪銭ではなく,砂を入れて遊んでいたわけではあるまいが。


07月20日(木) 小口  Status Weather雨のち曇り

 新品で手に入れた本のうち,何度も読み直した跡が小口に残っている本というと,それほど多くはない。北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』(角川文庫)と矢作俊彦の『マイク・ハマーへ伝言』(光文社),それに北村昌士の『キング・クリムゾン 至高の音宇宙を求めて』(シンコーミュージック)の3冊には,優劣(?)つけがたいほどの痕跡が残っている。

 私はただ一度だけ,クレーマーよろしくブートレッグの音質が悪いと返品を求めた喬史とは似て非なる行動をとったことがある。アルバムタイトルは「ALIENATION」,バンド名はYBO2(イボイボ)だ。
 編集者であり音楽評論家としても評価を得ていた(そのころ,この2つの肩書きはほぼ同じようなものだった)北村がバンドをはじめたことをどうやって知ったのかは記憶にない。雑誌「フールズメイト」の記事あたりを通してだとは思うのだが。
 12インチシングル「ドグラ・マグラ」は飛ばし,その後リリースされた「ALINATION」を買いにお茶の水のレコード店まで行ったのは,たぶん「ドグラ・マグラ」が手に入りづらい時期だったくらいの理由だろう。
 奇しくも,その店は喬史がクレームをつけに行った店だった。というか,これもその店を喬史に紹介したのが私だったはずだから,いや奇しくもというのはおかしい。
 アルバムを抱え家に戻ると,早速アルバムをターンテーブルに載せた。それは“Boys of Bedlam”の半ば,メロトロンの音に載せたスローなパートが突然のブレイクとともに一転するところで起きた。「ブチ,ブチ」明らかに2度,針飛びの音が聞こえた。何らかの振動のせいかと思い,数回,針を起き直したが,結局同じ箇所で針飛びがした。

 数日後,交換を依頼するため,お茶の水のレコード店に行くと,レジにいたバイトらしき店員がとった態度は,今思い出してもムカつくものだった。(つづく) 


07月21日(金) 小口 2  Status Weather雨のち曇り

 そ奴はアルバムを受け取ると,「これ,今,在庫ないなあ」,それは百歩譲っても独り言にしか聞こえない調子だった。盤をおざなりに眺め,ターンテーブルに置く。そこではじめて私に向かって「どのあたり?」,他に尋ねかたはないのかとも思ったが,即座に「ここらです」とレコード盤の溝を指差してしまった。一度アームを上げ,私が指摘したあたりに落とす。スローなパートの終わり近くだった。「がきデカ」じゃあるまいし,レコードの溝を読めても何の役にもたちはしない。

 もうすぐ針飛びの箇所だ。在庫がないようだから,今日は交換できそうにないが,別に急いでいるわけじゃないし。と,ブチ,ブチ,店内のスピーカーにその音が響いた。店員は「すごいな」,そういった。
 「ですよね。交換お願いします」
 「これ,傷じゃないですよ」
 「はあ?」
 突然,口調をていねいにしやがって,第一,今,自分が「すごいな」っていったじゃないか。
 「インディーズ盤,聴いたことがない人(初対面の私を,こ奴はそう判断したのだ)は,よくそんなこといってくるんですよね。こういう曲ですよ」
 「でも,今,“すごい”っていったじゃないか」
 「すごくハードだなって意味ですよ」
 その後,何回か同じ箇所をかけなおして,そのたびに「傷じゃないな」ひたすら念をおす。結局,そのアルバムは交換できなかった。
 その後,喬史のように「あの針飛びがいいんだよな」なんて一度たりとも思いはしなかった。さらに,数年後,YBO2の初期ベストCDを手に入れ,そのなかに“Boys of Bedlam”が入っていたので聴いたとき,あれはまちがいなく針飛びだったと確信した。

 最近のこと。ネットで書き込みをつらつら眺めていると,北村昌士がつい最近,亡くなったことを知った。50歳の誕生日を目前にしてのことだという。10年ほどまえ,「イーター」という雑誌のインタビューで,北村は90年代後半,子どもの保育園への送り迎えをしながらライブをしていたと語っていた。私はそれを「所帯じみた」などとはまったく思わなかった。とてつもなく凄いことだ。


07月22日(土) 着色  Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 矢作俊彦の「気分はもう戦争」の暫定HPが立ち上がった。
 どれくらい続くのは判らないが,以前,「気分はもう戦争2」が2.1に変わる前後,同じようにHPができたことがある。大友克洋との「気分はもう戦争」の原稿をパソコンで着色したものが予想以上たくさんアップされていたことを思い出した。あの原稿は,あの場所に限り利用する目的でつくったのだろうか。それにしてはかなり手がかかっている。

 ということを思い出したのは,実のところ,HPのためだけではない。
 今更ながらだが,時間が空いたため,Terragenをダウンロードしてマニュアルも読まずにあれこれを図を指定していった。
     ↓
データ調整中
 この質感が,あのサイト上にアップされた原稿の着色具合を思い出させたのだ。


07月23日(日) ストロー  Status Weather曇り

 子どもの頃,台所にストローが束になっておいてあったのはどうしてだろう。工作で使った記憶はあるもけれど,何かを飲むときに役立ったことなどなかったと思うのだが。


07月24日(月) 指揮者  Status Weather雨のち曇り

 披露宴らしきものは,50名も入れば窮屈になってしまう小体なレストランを借り切って(?)行ったので,ほぼすべて手持ちの材料で賄った。司会は喬史に依頼し(なのに当日まで打ち合わせの時間をかたっぱしからすっぽかし,あげく当日の冒頭,こ奴にしてはめずらしいほどにあがりまくっていた),裏方は弟に任せた。
 とりあえず,それらしい曲をかけなければ始まらないというので,持っていったCDはクレンペラー指揮の「真夏の夜の夢」。もちろんCDだけど,クレンペラーの指揮で登場したことを思うとそれほど悪い気持ちはしない。いや,他の指揮者のアルバムを持ち合わせていなかっただけなのだ。

 先日のこと。洋泉社y新書の新刊『萌えるクラシック』(鈴木淳史)を買った。未来社+宝島社という現在のラインナップになってから,ますます買うことが多くなった同社の本だけれど,なかでも鈴木淳史の本はかなり揃ってしまった。数多いる指揮者のなかでもクレンペラーを敬愛しているなんて,今時貴重な評論家(?)だから,新刊が出ると買い求めてしまう。

 休みに家族で吉祥寺に出かけたので,買い物待ちの時間にほとんど読み終えてしまった。

 で,不思議に思ったのは,なぜ,名だたる指揮者は男性なのか,ということ。私自身,小中学校の合唱コンクール以外で女性の指揮者を見た記憶はない。調べてみると少なからず女性指揮者はいるそうなのだが。


07月26日(水) 代理人  Status Weather晴れ

 昭和60年代に入り,矢作俊彦が書く新しい文章を探すものの,なかなかメディアに登場しない時期があった。自分で書くわけにもいかず,代わりにあれこれ他の作家の作品を読みながら,矢作俊彦の作品のテイストを思い浮かべるという,たいへん生産的でない本の読み方をしていた。
 代役としてたてたのは,森雅裕,樋口有介,斎藤純といったあたり。

 百歩譲ったところで,文章の比喩やリズムには遠からぬものがあったけれど,物語をすすめていく何かが,そろいもそろって圧倒的に欠けていた。結局,内田百閒と中井英夫の文章(いずれも手に入る冊数は多かったし)のなかに,矢作俊彦の匂いを探すほうが,どれほど近いものがあるかを理解するに至ったのだ。

 ただ,樋口有介のデビュー作だけは,まったく違った理由から記憶に残っている。


07月28日(金) MADNESS  Status Weather晴れ

 昨日の日記です。

 MADNESSのライブに行った。

 仕事先から,ライブハウスのある渋谷へ直行する。数年振りに公園通りを区役所まで上がり切る。坂の下の賑わいが,このあたりまでたどりつかないようすは変わっていない。まだ開場まで時間があったので,ビルの2階に喫茶店をみつけ入った。ネクタイをはずし,細身で黒のデニム地のトラウザーズにしまい込んだ真っ白のワイシャツを引きずり出した。

 フロアのライトが落ちると,ステージが青く照らされる。BGMはワルキューレの騎行だ。MIKE BARSONはもちろんグレイのスーツにピンクのポケットチーフ,中折れ帽子にサングラスをかけてキーボードに向かう。CHAS SMASHの声。ドラムのカウントとともに始まった一曲目は“ONE STEP BEYOND”。

 SHIBUYA-AXのまわりには,開場待ちのファンが集まってくる。2階に椅子席が用意されているとはいえ,松葉杖をつく人(2人),首にギプスをはめた者もいた。つらつら思い返しても,ライブハウスで松葉杖をついた者をみた記憶はない。

 1988年に発表されたDEAF SCHOOLのライブアルバム“2ND COMING”。内ジャケットに記された【THANKS】のなか,NICK LOWEやALAN WINSTANLEYの名前とともに,SUGGSのクレジットがある。当日,ゲスト出演するはずだったのが取りやめになったそうだ。私はNAT KING COLEの歌ではなく,このアルバムで“BLUE VELVET”をはじめて聴いた。後に,会社のバスルームシンガーが,この曲をカバーしたいというので,カラオケをつくる際に参考にしたのも,だからこのアルバムに入っているトラックだ。

 “NIGHT BOAT TO CAIRO”という曲名は,“ON A SLOW BOAT TO CHINA”に由来するのだろうか。20年以上聴いてきたというのに,MADNESSのライブが終わり昌己と飲んでいるとき,それは曲名ではなく,村上春樹の短編集のタイトルとして思い出された。

 SUGGSのソロ・アルバム“THE LONE RANGER”は,“I'M ONLY SLEEPING”のカバーから始まる。高橋幸宏がカバーしたような案配なのだけれど,見事,SUGGSにはまっている。歌詞カードの写真はデュシャンの有名な作品のパロディ。

 BARSONが抜けていた時期にリリースされた“YESTERDAY'S MEN”を,彼のキーボードで聴けるなんて。長生きするものだ。


07月30日(日) MADNESS, TOO  Status Weather晴れ

 なかなかライブの余韻は抜けない。だましだまし動かしていた身体に,疲れが一気にやってきて,少なくとも20代にはこんなに尾を引かなかったのにと,ほぼ初めて経た年を実感した。

 “he used to kip on my sofa they used to call him a loafer”(Bed and Breakfast Man)の“loafer”を“フリーター”と置き換えて歌い(MCのとき,フロアとのやりとりがあった上でだけれど),勝手にステージに登ってきたスキンヘッズを静止しない(あまりに規制がないので,仕込みのダンサーかと思ってしまった)。フロアからは歌がはじまるたびに大合唱や掛け声が起こる。ステージでMADNESSが演奏しているのだ。歌わずにいられようか。おかげで声が嗄れてしまった。

 「歌えるだけならクイーンも並ぶけれど,歌いながら踊れるバンドとなるとMADNESSだな」
 昌己がいう。吊りそうに足を引きずりながら原宿駅に向かった。

 ライブはもちろん,このコールから始まった。
   Hey You!
   Don’t watch that watch this
   this is the heavy heavy monster sound
   the nuttiest sound around
   so if you’ve come in off the street
   and you’re beginning to feel the heat
   well Buster you better start to move your feet
   to the rockingest rock-steady beat of Madness

   One step beyond!



「日記」へもどる