初期の江戸川乱歩と戦後の横溝正史を繋ぐとすると,キーワードは探偵小説ではなくて,温泉,湯治になるのではないだろうか。
その影響か,10代のころから温泉地に妙な趣を期待していた。漂う濃厚な時間というか,ボートレールの感嘆〈いずこなれど! いずこなれど! この世の外ならば〉,いわゆる〈ここではないどこか〉。
なのに,どこへいっても,そんなイリュージョンを満足させてはくれなかった。草臥れ過ぎて,欲望を支えるどころか,みずから立つのもままならない場所ばかり。よもや中井英夫の『大望ある乗客』のように,泊まり客が犯罪計画を抱いて集まるようなシチュエーションは初手から埒外だ。(あれはバスの話。たとえとしては不適切ではあることを承知のうえで。とはいえ,bathとbusだから,うまく展開できるかも知れない)
むしろ数年前,クリスマスと正月をはさんだ短い時期に,安くで訪れたシンガポール,参加したツアー客のほうが数万倍も怪しかった。
なにせ,集合写真というと姿を消すカップルや,50歳過ぎの兄弟に40代の女性3人。よもやボウルズに触発されたわけじゃあるまいし,とにかく空気が澱んでいて,毎日,ドキドキしたものだ。
さて,北関東のある温泉に出かけたときのこと。野天風呂と円形の室内浴場は,ともに「これぞ,温泉地」とでもいうべき陰影に満ちていた。
中年おやじがたまたま並んで入浴でもしていたら,話の途中で偶然に,共通の友人がいたことが判り,さらにその友人の不可解な死を振り返ったりしそうな雰囲気。
残念なのは,温泉旅館も,われわれも,関係を歪めるような物語をもっていないことだ。お膳立ては揃いながら,やけに散文的に過ごさざるを得ない。
ストレスは募る。
夏目漱石や川端康成の小説を読んでいると,どうにもうらやましくなるのは,舞台として描かれる温泉地だ。ならば……。
佐藤亜紀にならって,ブダペストをめざす。まずは資金を貯めなければ。