同じように感じたのは映画「トノバン」を観たときのことだった。インタビューを受けただれだったか(つのだひろ?)が,加藤和彦はそのとき懇意にしている友だち以外,古くからの友だちであっても,スッと切るという意味合いのことを話していた。自分はいまの友だちに入っていないんだなあと理解して納得していた,そんな語りだった。
加藤和彦の来歴をたどると,何度かの引っ越しがあり,当然,そのたびに転校したのだと思う。
転校生は地縁に乏しい。明治の学校令と並行して,転校生という生徒が誕生する。サーカスや大衆芸能などとは異なる,親の都合でその土地に一定期間生活する家族が生まれるとともにそれは誕生した。親の転勤や離婚,死別などにより生まれた転校生の歴史はそれほど長くはないに違いない。
好むと好まざるとにかかわらず,住む家が変わり,地域が変わり,そして学校が変わる。だから子どもなりに転校生としての処世術のようなものを自然と身につける。土地に縛られないことを自由と呼ぶのであれば,それは自由だけれども,代償をともなうそれは自由だ。