決算

初年度決算がまとまり,法人税を支払い,区切りがつく。すでに第2期2か月は経っているものの,数字がクリアになる。持ち越しや先払いを含めて,12か月で区切ることができないものことは少なくないが。

地方税はネット経由で支払う手続きを済ませていないため,高田馬場まで出かけた。向井さんが遭遇する郵便局の混沌とは違う意味で,今時,銀行の店舗で何らかの手続きを済ませにやってくる人はスムーズに終えることは少ないに違いない。嫌味やら罵声やらが飛び交い,それらに対応せざるを得ないスタッフはいきおい慇懃無礼になる。悪循環にもほどがある。好き好んで,銀行の窓口で手続きをしたいなどと思わせたくなるかのような按配だ,まるでそれは。

昼に出かけて手続きを終え,事務所に戻ったのは14時近くになった。数は少ないとはいえ直送の準備をし,久しぶりに18時過ぎに仕事を終える。帰りに高田馬場まで行き,ブックオフで本を購入。

Vivaldiローカルでマストドンにアクセスしてみた。

net

週明けに新刊に関連した記事がネットで公開されると連絡を受けた。決算でただでさえバタバタとしているところに,取り繕う程度とはいえ,その対応は優先すべき。慌ただしくものごとをすすめる。

数で評価すべきことではない,いや,数ではない居場所を確保しよう,そればかり考えてきたにもかかわらず,生業の責任をすべてみずからでとる立場になると,その居場所に経済的価値を付加しづらいことに直面する。

昌己と先輩と飲んだときも,そこに話が至った。酒を飲みながらする話ではないんだけど。無意識に意味付けしてしまったジグムント・フロイトという男は,なんと罪なことをしたのだろう。言い間違いに意味があるなんて,そんなに逃げ場を封じ込めたいのだろうか。そんな話から始まって,平沢のone/the otherの関係からはずれたanotherの立ち位置を表現に見出したことについては,その後,面白くなくなったように思えるとはいえ,それは救いだという話。偶然を解釈せずに偶然のまま面白がることができないような,まるで関ジャムなんとかという番組のような指向。そんなことをごちゃごちゃと話した。

で,途端,これまで定期購読者を増やすための方策に悩んでいたところに,こんなに手っ取り早く,人とつながることができるのだと,不思議な感じがした。でもなあ,という衒いを抱え込んだまま。

決算に必要な数字をまとめるめどがついたので,昌己にメールしてみた。夜,飲むことにした。

18時半過ぎ,先輩とともに事務所までやってきた。少し話してから,川の向こう側の居酒屋まで行く。気がついたら23時過ぎで,すっかり飲んでしまった。

先輩は在学中はまったく面識がない人で,10数年前,業界に先輩がいることを知った昌己が年末の飲み会に誘ったときが初対面だったはずだ。数年に一度,飲み会で一緒になるくらいのつながりで,前回会ったのはいつだったかすっかり忘れてしまった。今は昌己が勤める会社で編集者として勤務している。

ハンリードギーの頃からのデヴィッド・ボウイファンで,その頃のロックファンの一定の割合を占めた美形ミュージシャンを渡り歩くファンであったことを初めて知った。現在,60歳前後で,10代のころからのロック好きに尋ねておくべきことは少なくないと思う。その人たちがもっている体験は,たぶん,その後,すっかり違う文脈で語られてきたのではないだろうか。

酔っ払いながら,当時のことをもう少し聞きたくなってしまった。

11/15

この一年近くの疲れがたまっているのか,新型コロナワクチンの副反応か,まあなんでもよいものの,仕事がはかどらない。決算の資料作りと半期分の資金確保の算段だけで一日が終わってしまう。

14日は午前中,商工会議所で打ち合わせ。昼に帰宅し,資料を作成。夕方,地震。かなり揺れた。震源地は三重県沖だという。

今日は朝いちばんで取次に出かけ,経理処理の打ち合わせ。気圧のせいか偏頭痛気味だ。昼前に戻ってからもおさまらないのでレルパックスを飲み,1時間ほど眠る。書類つくりをすすめているうちに,なんとか偏頭痛はおさまった。

ベシ

ここに越してきたとき,家にすぐそばに神田精養軒の工場があり,その先に赤塚不二夫が仕事場として用いていた小体なビルがあった。神田精養軒のビルは今世紀に入ってからしばらくして移転,取り壊され,赤塚不二夫の仕事場は今も建っている。このあたりの知人によると,銭湯に行くとしばしば赤塚不二夫に遭遇した時代があったようだ。

先輩のシゲさんが赤塚不二夫に事務所でアシスタントのアルバイトをしていたのは80年代の終わり頃だったはずだ。もともと,つげ義春好きで,ただ絵を描くとどこか坂口尚っぽさを感じるシゲさんのタッチは傍目にも赤塚不二夫の作風とマッチするようには思えなかった。背景がまわってくると赤塚さんは「シゲくんの絵は暗いんだから」と言い,修正がかかったと聞いたことがある。80年代後半の赤塚不二夫はマンガよりも本人に対するニーズのほうが圧倒的に高かった頃で,70年代に遠藤周作の「おばかさん」を描いたように,だれかの原作でマンガの連載を始めた頃だったか,そうではなく,ギャグマンガを再び書き始めた頃だったか記憶が定かではない。

シゲさんに赤塚不二夫のアシスタントは務まらなかったというか続かなかったようで,ときどき「不二夫ちゃんに言われちゃってさあ」などと愚痴っていたことを思い出す。

私よりも15年近く前,シゲさんは妙正寺川沿いを赤塚不二夫の仕事場まで通ったのだ。いや,私はアシスタントをしたわけではなく,近くに引っ越してきただけのことだったけれど。

少し前,その仕事場が解体されるので,全フロアを使ったイベントが始まるとの告知があった。最初の頃は様子見していたものの,再追加のチケットが発売されたとき,速攻で家内と二人分を確保した。

引っ越してきてから四半世紀近くを経て初めて入った赤塚不二夫の仕事場は,すっかりイベント用に飾りなおされていた。

私より少し年上のマンガ好きにとって,赤塚不二夫の作品から受けた衝撃はすさまじいものがあったと聞いたことがある。マンガ好きと称してふさわしい彼に好きなマンガを尋ねたところ,『レッツラゴン』と即答だった。それが不思議で,今も覚えている。

ここ数年,石森章太郎が20代までに描いたマンガを読み返していると,あちこちに赤塚不二夫との共通性を感じるようになった。石森のマンガに赤塚本人はしばしば登場するし,分業の跡についての検証が増えている。二人のマンガかの共通する側面と,にもかかわらず石森章太郎のマンガが語られるときにすっぽり抜け落ちているギャグマンガ家としての側面を,赤塚不二夫のマンガを通してあれこれ考える。

二人に共通するのはある種の暗さだ。みなもと太郎は石森マンガの暗さを指摘したけれど,赤塚不二夫の暗さもどこか共通する面があるように思う。

数多の展示物を眺め,奥村さんや唐沢なをきさんと思しき姿を横目にしながら,そんなことを考えた。

Top