1990年代

 90年代に入って,大井武蔵野館にいった記憶はない。夢は抱えたものの,工場ではなかったのだから,しかたない。さよなら大井町,さよならニッポン映画。

 では,どこを利用していたのだろう。

 80年代,私は池袋を「古本屋の町」として認識していた。新刊本屋は今に至るまで充実しているが,当時の西口の古本屋はなかなかのものだった。古本屋以外で池袋にやってきた記憶は数えるほど。そして,それ以外の記憶のほとんどは映画がだった。そのまま90年代に突入した。

 とはいえ,文芸座ではなく,池袋シネマ・ロサで観た映画が,やけに多いことに今さらながら驚く。

 エリック・ロメールの春夏秋冬4部作は,ここで観た。ついでに「レネットとミラブル4つの冒険」(おい,青の時間なんて言葉まで蘇ってきたぞ)。ああ,自然光はダイナミックさに欠ける。ゴダールだって,ルコントだって,ここで観たのだ。なんかフランス映画ばかりだけど。監督で切っているけれど。

 「五月のミル」 ステファン・グラッペリの楽しげなバイオリンの音色。
 「マルセルの夏」「マルセルのお城」 浅茅陽子に似た母親役の女優は何といっただろう。自分がよもや,新たに家族を持つ日がくることなど,予想だにしていなかった。

 やはりフランス映画ばかりだ。

 足が遠のいたが,池袋シネマ・ロサは,いまだにやってるらしい。それだけで頭が下がる。

 その後,池袋西口へは,タイ料理を食いに足繁く通うことになる。

大井町の記憶

 中央線沿線にたまっていた者にとって,大井町の姿は遥か彼方にあった筈だ。
 なのに80年代後半,幾度,京浜東北線に乗って大井町で降りただろう。もちろん大井武蔵野館以外,あれほどに通う理由は他に何一つなかった。

 一軒の映画館の影響力としては,他に類をみないほど,あの頃,刺激的なプログラムを組んでいた。ぴあやシティ・ロードを開くと,まず,大井武蔵野館の欄を確認した日々を送ったのは私だけではあるまい。
 和製ミュージカルを再発見はいうに及ばず,以前記した石井輝男がこれほどに脚光を浴びたのは,大井武蔵野館の功績以外の何ものでもない。

 本屋には,いわゆる「文脈棚」という並べ方がある。ひとつ間違うと,単に嫌みな棚になりかねないが,なるほど,こういう流れで関連させたか,と妙に納得させられることもある。
 大塚にあった「田村書店」は,往来堂書店と同じ経営者だったこともあり,嫌みにならない文脈棚づくりに秀でていた。足繁く通ったものの,いまやカフェ。昔日の夢だ。

 名画座のプログラムこそ,この「文脈棚」の出自ではなかったのだろうか。大井武蔵野館のプログラムは,まさに文脈で構成されていた。

 世は作家の時代だった。

 大井武蔵野館のやりかたは,映画監督で映画が評論される風潮のなか,「モロッコ」に頼ることなく,RKOのプログラムピクチャーの面白さを楽しむ術を教えてくれたようなものだ。

 スタンバーグに喧嘩売っているわけではない。ただ,いいものと,いいことをしようというものの区別だけはつけておかねばなるまい。

 やけに軒の低い駅前通りをつきあたり,その左手に,80年代の夢を抱える檻が輝いていた。

ベーシストの条件

 ポンピドゥセンターで「アンドレ・ブルトン展」が開かれたことがある。(後に日本にもやってきたはずだが)
 矢作俊彦のレポートによると,「ブルトン展って何を展示するのだろう」と訝しがって観に行ったところ,展示品のほとんどが貰い物,贈られ物だったそう だ。贈り主がピカソやマン・レイ,ダリだから展覧会になるものの,貰い物で展覧会開いた芸術家(といっていいのかどうか)は他にいないだろう。

 同じころ,私はブルトン=円楽説とともに,ツァラ=スティーブ・セブリン説を唱えた。
 セブリンといっても,毛皮のヴィーナスではない。スージー・アンド・ザ・バンシーズのベーシストのこと。やたらとネックの長いベースで,実に単調かつカッコいい(テクニックに走らないにもほどがある?)フレーズを奏でていた。

 もうひとりのベーシストの記憶がある。
 解凍前P-MODELのベーシスト中野照夫は,タルボのフレットを取っ払い,それをピックで弾いていた。本人のフェイバリット・ベーシストがミック・カーンとクリス・スクワイア。おっしゃる通りの音だった。

 さて,われわれのバンドに参加したSは,ジャコ・パストリアス仕様のフレットレス・ベースを持参してきた。
 「おっと!」
 われわれは,どよめく。
 軽く音あわせだ。6/8拍子のオリジナルにはじめてベースラインがつく瞬間。
 治外法権バンドでは,拍子以外は(時に拍子さえも)本人まかせ。出てきた音に文句はいわない。

 終わって,違った意味で驚いた。

 われわれの曲は,私がキーボードやギターを弾いても,基本的にメロディーラインがなかった。出てこないのだ。

 この曲もキーボードのリフとドラムのみ。そこにフレットレス・ベースだから,「もしかしたら,メロディをつけてくれるのでは」一縷の望みをかけていなかったというと,うそになる。

 そこにSが弾いたベースラインは,1音のみ。
 フレットレス・ベースだろ? 他にすることあるだろうに。

 その後,数回,スタジオに入ったものの,バスドラが重くなった感触しかしなかった。
バンドは休息に入った。

 訳あって,Sのベースはいまだに私の実家にある。
 申し訳ない。

不幸は嘆くもの

 町田康の『へらへらぼっちゃん』を読んでいたら,ベーシスト編を書く時間がなくなった。
 
 Sとスティーブ・セブリン,トリスタン・ツァラ,中野照夫,クリス・スクワイア,ミック・カーンなどが登場する予定。
 こう書くと,ツァラがいることが不思議だが。

 ブルトンと円楽が似てることに気づいたのは,そのころ。顔もグループのなかでのポジションも。

 ああ,タイトルにつながらない。

次のボーカリスト

 次にスカウトしたのは中学生時代の友人だ。

 煩わしさと徒労に辟易し,昔の友人たちとは音信不通のままでいようとしたものの,どういう方法を取ったのか,数年ぶりに連絡が入ってしまった。それも同窓会だという。
 4-6-3のダブルプレーのようなタイミングで,出席したのは10年以上前のこと。

 数年ぶりに会った友人たちは,やけに所帯じみて,おおよそバンドメンバーにスカウトできそうにない。
 それでも,中学生時代から自分の部屋にドラムセットを持ち込んでいたNと,クリムゾンのリザードをダビングしてくれSは,何とか巻き込めそうだった。Sはベースとボーカルをやっているという。
 いつまでたっても,ドラムとベースばかりだ。

 一度,3人で飲もうという話に落ちついた。

 さて,新宿で待ち合わせていると,Nの話があやしい。「早いものがち」「感性が鋭い奴にしかわからないバイトをしている」などと言いはじめる。Sは,某宗教団体に入っていたのち,わけあって脱退したそうだ。

 恐ろしい2人に挟まれてしまった。

 マルチ商法の非を問うときはSとタッグを組み,新興宗教の悪口をいうときはNに寄り添う。ヌエのような数時間,生きた心地がしなかった。

 マルチよりは宗教脱退者の方が,まだ気がおける。それにしても,こんな選択肢しかないものだろうか。

 唄えるということでSをスタジオに招待した。
 「フレディ・マーキュリーなら唄えるんだけど」
 ホントかよ???
 どう聞いても,音域はワンオクターブないぞ。それも,いきなりテッペンからスタートするから,下がっていくしかない。聞いてるほうの喉が苦しくなってくる。

 即断,ボーカルものはあきらめて,スリーピースバンドの線でいくことにせざるを得なかった。

 それにしても,「フレディ・マーキュリーなら唄える」と言い放ったのボーカリストは奴だけだ。それだけは,ボーカリストらしい物言いだ。
 (ベーシストS編は明日,記す)

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