ポール・ボウルズがにわかに脚光を浴び出したころ,ボウルウズ夫妻を写した写真がそこかしこに見られた。
いきおいあまってか,ジェイン・ボウルズが書いた小説まで翻訳されてしまった。表紙には彼女のポートレイトが使用されていたと記憶している。
そのころ,われわれはボーカリストをリクルートしようと東奔西走を繰り返していた。
あるとき,ひとまわりも年下の女性に声をかけたことがある。
「唄ってみないかね」
スタジオに入ると,カバー曲(思いっきりピコピコさせた「センチメンタル・ジャーニー」や「ブレイク・アウェイ」など)は唄うが,オリジナル曲になるとスタジオの外で煙草を吹かしはじめる。唄はいまいちだった。
とはいえ,ステージ映えするので,何度かスタジオに入った。毎度,どうにも接点がつかめなかった。
ある時,スタジオへの道すがら,買い求めたポール・ボウルズの特集号に掲載されたジェイン・ボウルズの写真を見て,ひとこと「宮本信子って,この人の真似してたのね」。
なるほど,当時の宮本信子の髪型やファッションはジェイン・ボウルズそっくりだった。ということは伊丹十三はポール・ボウルズか。
それはさておき,彼女とのセッションのなかで,意見の一致をみたのは,唯一,そのひとことだけだった。
数年後,「コスモポリタン」でマルチまがいの化粧品店のチーフ・スタッフとして,その名前と写真を見た。人は相応に年をとるのだと感じた。付けられたコメントは,まったく当時を偲ばせるものではあったが。