出前

 学校があった町に,急にわれわれの顔見知りが増えた。しかし男ばかり。おまけに平均年齢が異様に高く,自営業者とくる。

 「よお,昨日,あの後どうだったい?」
 「振り込んじゃいましたよ」
 雀荘での知り合いは,みな,そんな調子だ。週3日は学校まで辿り着くことなく,空の上から呼び止められる。
 「こらこら,待ってたぞ!」
 見上げると,2Fの喫茶店の窓には友人の姿。この時期のツケは卒業間近,忘れたころにやってきたのだが。

 雀荘だけでは飽き足らず,マージャンパイを仕入れる奴も現れた。当然,そ奴のアパートは占拠されっぱなし。いなか暮らしが長いからかどうかは知らないが,鍵が掛けられた状態のドアを見た記憶がないほど,戸締まりに無頓着な男だった。

 そ奴は,空いた時間を近所の中華料理屋でバイトに費やしていた。だから,われわれが揃ったときに都合よくいるのは,5回に1回というところだ。

 ある日のこと。めんつは揃った。雀荘には今週の負けを取り立てようと手ぐすねひいて待つこの町の知人。それでもマージャンがやりたい。
 「あ奴のアパートでやるか?」
 「どうせ,鍵はかかってないさ」
 午後の日差しが,われわれに「日陰は涼しいぞ」と手招きしていた。

 もちろん鍵はかかっていない。そ奴は午後の授業に出て,そのままバイトのはずだ。
 われわれは,早速上がり込んで,卓を囲んだ。

 それから,どれくらい経っただろう。
 「ハラ減ったな」
 「出前とるか?」
 「そうだ。あ奴がバイトしてる中華料理屋に電話してみるか」

 驚いたことに,出前を持ってやってきたのは奴だった。
 どう考えても,出前先が自分の部屋だということに気付きそうなものなのに,ドアを開けるまで気付かなかったのだ。
 「おいおい,シャレにならないよ」
 ダチョウ倶楽部じゃあるまいし。確信犯なのか。いまだに不思議に思う。

I was born

 台風が近づいている。通り一本へだてて,海へ開けた公園は横殴りの風雨で,とんでもない状態だ。ガラス越しに「今日,果たして帰れるのだろうか」と,不安が首をもたげる。

 明日午前9時から,2,000人規模の会が始まろうというのに,セッティングのスタートは午後8時。おまけに,この天気だ。女性ジャズボーカリストは,不安げに窓の外を眺めている。

 自分たちの持ち場の準備を終えた頃,みなの仕事もケリがついたようだ。午後11時をまわっていた。用意のいいメンバーは近場のホテルに部屋をとっていた。「泊まっていく?」冗談じゃない。何がうれしくて(そんなこと,ひとこともいってないが)2まわりの上の異性の寝起きの顔を見なけりゃならないんだ。
 「雨,弱くなったみたいだから,今のうち,帰ります」嘘八百で,その場から逃げるように駆け出した。
 ドアをあけると台風の目と睨みあい。質の悪い台風は,開場待ちでもするかのように,そこから動かなかった。

 広い通りに出るまで,女性ジャズボーカリストと言葉を交わす余裕などありはしない。最終バスはすでに停留所を通り過ぎ,タクシーの空車はしばらく来そうになかった。

 雨風を避けながら,場違いの茶飲み話から,いつの間にかバンドの話になった。
 「お金とって唄うのって,ジレンマない? 僕らは,それで活動休止したんだから」
 深夜の居酒屋での討論を思い出す。あげく,その店は出入り禁止になった。夜中の1時過ぎ,ニューウェイヴバンドとしてのありかたに口泡を飛ばしていたのだから,しかたない。
 「夢だからね。そんなこと,いってたらダメだよ」
 彼女は,こともなげにいう。

 通り過ぎるタクシーのフロントは赤い明りしか映らない。私はそっと聞いてみた。「なんで,始めたの?」
 「放射線かける患者さんは,ほとんど,がんなのよ。治療がうまくいかないと,患者さんとは永遠の別れ。でもね,かなしいけど,何か教えられることがあるの。
 そのじいさんは,ガンコで時間に厳しい。なぜか気が合ったんだけど……」
 「どんな人でも,巻き込んじゃうんだ」
 「まあね。このじいさんには夢があった。もう一回釣りにいきたい。でね。私,友達に釣り雑誌,あるのよね,そういうのが。譲ってもらったり,コンビニの地図を勝手に使って,拡大コピーして」
 「……」
 「目の悪いじいさん見えるように,スペシャルビッグな地図つくったりよ」
 「力はいってるね」
 「状況は厳しいから,それくらいはしなくちゃ。でも現状維持がやっと。だんだん落ちていってしまうの。なのに,じいさん,もう一回,釣りにいくんだってウキウキして。
 あきらめてほしくないよね。つい,それで,いっちゃったの。“私も自分の夢,かなえますから,がんばって”って。そんなこといっても,つらいのよ。そのとき口に出た夢が,ジャズボーカリスト」
 「前から,なりたかったの?」
 「ううん。そう思ってたって中途半端に決まってるじゃない。でも,それからは必死。英会話ならったり,こっちだって真剣にしなくちゃ」
 打ち合わせのとき,人待ち時間に見せてもらった楽譜を思い出す。すきまなく書き込まれたコメントは,まるで指揮者のようだった。
 私は,いたずら描きのような,わがバンドの図面を重ねた。少なくとも,そこには音符はなかった。バンド内「治外法権」を謳っていたので,楽譜が必要ではなかったのだ。

 「結局,じいさんは亡くなって,夢だけが残されたわけ」

 話が終わったからといって,タクシーがやってくるわけではない。ずぶ濡れになりながら,それからしばらく,タクシーを待ち続けた。

バリチュウ?

 喬史は浪人中,「ケチャやってみない」と誘われて芸能山城組に入った。ケチャとは,バリ島の民族音楽。「ケチャケチャケチャ」とせわしなく連呼する。芸能山城組がどんなグループか知らずに入った友人もすごいが(そんなことしてるから浪人するのか,浪人したから入るのか?),「ケチャやらない?」という勧誘も,はて。

 その店以外では飲んだことがない飲み物に通称「バリチュウ」なるものがある。バリ島出身という店主は「島での飲み方」だと力説する。だが,観光で訪れたことがある家内は「飲んだ覚えがない」。
 ただ,バリチュウは,意外と美味しく,自宅でもつくれてしまうので,真偽はともかく,その店で出会ったことを幸いに思う。

 作り方は簡単だ。
 インスタントコーヒーを薄めにつくり,それで焼酎を割る。レクチャーは受けなかったが,それ以外考えられない味だった。

 炭酸紅茶をつくろうと,友人と炭酸を買い出しに行ったものの,ナトリウム入りのものを選んでしまい大失敗。その後,「ウイリー」なる飲み物が登場したとき,「これこそ,夢に見た炭酸紅茶だ」と感嘆した。
 そのことを思い出させる味だ。

 いまだに,あの店以外でバリチュウに出会ったことはない。そして,その店も今はない。

 ところで,バリ島に焼酎はあるのだろうか?

アベル・ガンスと倉多江美

 「静粛に 天才只今勉強中!」という漫画がある。
 フランス革命前後の混乱をシニカルに描いた名作。あの佐藤亜紀が絶賛していることを論拠にあげるのは猾いだろうか。
 主人公は,ジョゼフ・フーシェと思しきジョゼフ・コティ。ツワイクの『ジョゼフ・フーシェ』,辻邦生の『フーシェ革命暦』,バルザックの『暗黒事件』あたりを一次資料として参考にしたのだろうが,その片鱗もないところが倉多江美らしい。

 80年代の初め頃,アベル・ガンスの「ナポレオン」が再映された。スクリーンで観ることができなかったのは,今に思えば残念だが,しばらく後,深夜,テレビで放映された。
 この映画,シネスコどころか,スクリーン3面を使って映写されるもの(全編にわたってではないが)で,「横にながけりゃいいってもんでもないぞ」と突っ込み入れたくなるくらい伸び切っている。いまだに,パノラマ写真と,天地を切っただけの写真の違いが理解できない私にとっては,あまり観やすいものではなかった。

 この映画に,ロベスピエールが,粛正された人々の亡霊に悩まされるシーンがある。初めて観た時「おっ!」と声を出しそうになった。「粛正に」,もとい「静粛に」の一コマとそっくりだったのだ。

 アベル・ガンスを盗用するなんて倉多江美らしいと思ったものだ。
 倉多江美の「彼誰時」という中編は,内田百閒が,芥川龍之介との交遊を描いた一編を元にしている。
 などと,いろいろいってみても,内田百閒,辻潤,武林夢想庵,長谷川如是閑などなど,倉多江美の紹介で読みはじめた作家は,実はキリがない。そしてそれは,とても甘美な読書体験だった。

世の終わりのための四重奏

 引っ越したばかりの徹の家で飲むことになった。酒とつまみは各人が持ち寄ること。ステレオしか開けていないので,CDのソフトは持参すること。

 徹は最高のつまみの手札を握っているという。
 「ペヤングの,とんでもなく旨い食べ方なんだ」
 「どうせ,へんなもの入れるんだろう」
 「ホント旨いんだ」

 しばらく後,「いいから,話せよ」
 昌己が蒸し返す。気になっていたのだ。
 「コンビニに買い出しに行こう」
 「じらすなよ。教えてくれてもいいじゃないか」
 横で聞いていて吹き出しそうになった。「ペヤング」ごときに何も,そこまで本気にならずとも。

 コンビニに行き,まずはペヤング4つをカゴに入れる。
 「つまみ選べよ。俺,最後に買うから」
 「いいじゃないか。……頼みますよ。なんで教えてくれないんだよ」

 その繰り返しで,20分くらい経ってしまった。
 「じゃあ,そろそろ買うか」
 「おっ!」他3人にどよめきが走る。
 徹が向かった先は,乾きものが置かれた一角だ。
 「……」一挙手一投足を逃さない。そして,徹が手にしたのは「……。!?」
 イカの薫製だった。

 「やすっぽそうな味じゃないのか」
 「ホント旨いんだから,驚くぞ」
 「……。」

 部屋に戻り,湯を切ると,薫製を入れる。
 「たくさん入れた方が旨いよな」3人から反応は,ない。独り言のように「たくさん入れよう。きっと,旨くて驚くぜ」。
 
 「……想像してた,そのまんまの味」
 「くどい味だな。イカ薫多すぎるぜ」
 「ほーら,残っちまったよ」
 徹は,急に勢いが萎んでしまった。
 「旨い,と思うんだけどな」

 その日,我々が持参したCDは,インディーズだったころのスカパラ,同じく電気グルーブなど,on timeのアルバムに加えて,Public Image Ltdの”The Flowers of Romance”,そしてメシアンの「世の終わりのための四重奏」があった。
 「四重奏」はラインベルト・デ・レーウがピアノを担当した録音のもの。引っ越しすぐの部屋には「四重奏」がいちばんしっくりした。
 この「四重奏」は,今も愛聴盤だ。

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