2005年10月

10月02日(日) ルパン  Status Weather晴れ

 今日の日記です。

 調子が芳しくなかったため,一日中寝床でうつらうつらしていた。さすがに午後ともなると,頭のそこここかしこが鈍くなってきたので,雑誌「新潮」のバックナンバーを引っぱり出し,矢作俊彦の『悲劇週間』を通して読み進めた。
 この小説は,20世紀初頭のメキシコの革命最中に居合わせた日本人(堀口大學)の恋愛をめぐる小説。ただし,この小説家の作品なので,さまざまな仕掛けがある。
 メキシコでの大學のフランス語家庭教師の名は,ドン・ペレンナ。

 「パリで写した私の息子だと,先生は言われた。自転車は先生が最後に会われたときの買い与えたもの,もう十年以上前のことだ。
 『名前はアルセーヌ・ダンドレジー。妻の姓を名乗っているんだ』」
   「新潮」2005年6月号,p.301

 ダンドレジーがルパンの母の姓であることは気づいたものの(名前はそのままだから),ドン・ペレンナとは,『金三角』以降数作で,ルパンがスペイン人外人部隊隊員に扮した際の名前とは知らなかった。

 他にも詩人の名前が数人登場するし,堀口大學が翻訳を手がけた作品やその作者が,たぶんあちらこちらに配置されているのだろう。
 宍戸錠やポール・ニザンは,もはや芸の域に達している


10月03日(月) Lotus  Status Weather曇り

 “Original CARAMELISED BISCUIT”
 今時,禁煙席がないだけでもめずらしいのに,少なくとも狭いとはいえないその店を一人で切り盛りする女性主人は,飲み物を頼むと,パッケージにそう記されたビスケットを1つ添える。Lotusだ。牡丹の季節には,近くの寺から見物帰りの客で賑わうが,それ以外はほとんど込んでいない。道楽で喫茶店をやっているのかもしれない。行くたびにそう聞きたくなる気持ちを押さえながら,今も休みになるとときどき,昼食を兼ねて訪れる。

 光文社文庫で刊行中の江戸川乱歩全集がブックエンドに挟まれ並んでいるのだけれど,こればかりはLotusに似合わない。


10月05日(水) 転がる身体に傷は絶えない  Status Weather

 喬司が徹,昌己,伸浩を引き連れ“ディスコ”に行くという。私はリズムに反応して身体を動かすことを嫌悪していた頃だったので,もちろん断った。

 その夜,六本木で待ち合わせた彼らは一杯ひっかけて,裏通りにある店をめざしたそうだ。学校があった町でするように道幅を占めてばか話をしていたのだろう。と,突然,徹の姿が消える。そして音。
 「アブラッシャア!」
 今のは何語だ? 喬司が振り向くと,ビルの駐車スペースに不法侵入されないように渡された鎖に見事,身体をとられ,道ばたに踞る徹の姿が見えた。
 「だいじょうぶかよ」
 「ああ」
 といいながらも,擂ったらしい右手の平をもう一方の手でさすっている。その後,徹は黒人の輪のなかに,右手をさすりながら絡めとられていったそうだ。

 私は,いまだによく転ぶ。ポケットに手を入れたまま転ぶので,思い切り裂けてしまったコートは一着,二着ではない。ニューヨークに着いた初日にも,転んでチノパンの膝が破れた。そのまま履いていたけれど。
 今日も地下鉄の階段で転び,スーツのトラウザーズを駄目にした。せっかく治ったばかりの膝の傷跡の下,10cmほどの新しい傷ができてしまった。
 地下鉄の階段で転ぶのは降りるときばかりだ。頭を防御するあまり,身体全体で転がり落ち,手足は傷だらけ。いたるところについている目障りこの上なく,まったく役に立ちそうにないあの監視用カメラに,私が転んだ姿は映っているだろうに,駅員がかけつけてきたことは,ただの一度もない。意外と危ない転び方をしていると思うのだが,気にもしないのだろう。


10月06日(木) 悲劇週間 2  Status Weather雨のち雪

 雑誌「新潮」誌上で今年度1月号から連載,10月号で完結した「悲劇週間」(矢作俊彦)を通して読み終えた。
 後半になるに従って,物語が加速度を増して転がり続ける。散りばめられたエピソードが繋がり,ライトモチーフが繰り返し現れる。北杜夫が『幽霊』について語った際,「牧神の午後への前奏曲」に倣って,ライトモチーフを据えていったという件を思い出した。2部構成に仕立てもすれば,単行本になる日は遠くないと思うのだけれど,まあ,この小説家のことだから。本作ばかりは,合田佐和子の骸骨オブジェで表紙を飾ってもらいたい。
 ふと,未完の(その一節さえも発表されることなく,紀伊国屋書店のデータベース上に,刊行予告があったことを思い出させる)『ウォーキング・ボーイ』の一部が,巧みに取り込まれているのではないかと感じた箇所があったものの,すべてこの物語のためのエピソードなのだろう。

 「論座」をひっくり返し「百愁のキャプテン」を,同じように読み返してみようかと思う。

 で,早速,本棚の奥から見つけたのだが,こりゃ,前途多難だ。「論座」2001年2月号で「百愁のキャプテン」と同じく連載が始まった河合隼雄の「ナヴァホへの旅」は当に単行本化されたどころか,朝日文庫に収まっているのだ。方や,いまだ単行本にまとまらないというのに。


10月09日(日) 空手  Status Weather雨のち曇り

 雑誌「nobody」のインタビューに稲川方人の名前があった。詩人にも疎い私が以前,この名前をどこで見た記憶がある。しばらく本棚をながめながら大槻ケンジの詩集『リンウッド・テラスの心霊フィルム』(思潮社,1990)を取り出した。「いつか行ったサーカスを」と題する解説を書いていたのが,この詩人だった。
 この解説自体,ひとつの詩のようで,たとえば

 「(前略)大槻ケンジと筋肉少女帯がいたこの世紀末をやがて懐かしく思い出すのは,(中略)NHKホールや八王子市民会館や幕張メッセや愛知県民ホールを,大槻ケンジと筋少とともに一気に駆け抜けて次の日は平気な顔をして教室に座っいる少女たちだということが,どこが悲しいことだと僕は思うのだが,その少女たちにあと十数年後,ふと

   追いついたら語ろう,いつか行ったサーカスを

という大槻ケンジと筋少の歌を口ずさんでしまう朝がくるとすれば,彼女たちのかたわらにいるだろう彼女たちが生んだ二〇世紀末の子供たちは,いま僕がたちが思っているほど悲しい人々ではないと言えるし,その子供たちに,懐かしい思い出として少女たちが話しはじめるいつか行ったサーカスも,けっして色あせることはないだろうと思う。けっして色あせることのないサーカスを思いながら,大槻ケンジは詩を書いて,書いた詩を歌って,歌った詩を歌い切れずに絶叫して,歌い切れずに絶叫してもなお叫び切れずに,なお叫び切れない言葉をみるからに常軌を逸したコスチュームと化粧に託して,それでも託し切れない言葉を,彼は濃いサングラスの下に隠しもっているが,そのサングラスををはずした大槻ケンジの視線は(以下,省略)」
   (同書,p.166-167)

と,一気に駆け抜けるラストは何度読んでも美しいと思う。

 この本が出た頃のことだと思う。ナゴムレコードから「空手バカボン」のベスト盤が出て,それを聞きながらページを何度も捲ったことを覚えている。空手バカボンとは,大槻ケンヂと内田雄一郎(筋肉少女帯),ケラ(有頂天)からなる音楽ユニット。私は1987年,渋谷ライブインの筋肉少女帯のライブで,前座のように登場したとき初めて観た。そのときはケラ抜きで「空手アホボン」と称していたけれど。(日記の最初の頃に,このライブに行くきっかけをつくったある“天使”との出会いについて書いた ここ)その前後,テレビの「冗談画報」で見て,しばらく経ってからCDを聞いたのだ。
 コミックバンドと括られかねない曲名と演奏,曲間のコントのようなもの。つぼを押され,思わず失笑してしまう一言二言もありはするものの,笑うより,琴線に触れる絶叫,音色,曲,そして歌詞。

 “青年落語家”のつぶやきの一節に

 「さようなら さようなら
 高座から見るとあなたたちは
 人の顔にポッカリと空いた穴から
 出るに出られない目玉のようです
 しかも目玉は二つもあるのです
 まったく凡庸です
 まったく見るに耐えない
 さようなら さようなら」
   大槻ケンジ「KEEP CHEE(A)P TRICK」(同書,p.41)

 これでもかというくらいのマイナー調の曲に,こんなフレーズをストレートに忍び込ませる大槻ケンジの感覚が,今も変わらず好きだ。

 空手バカボンのベスト盤が最近,仕様を変えて再発されたそうだ。「バカボンと戦慄」(Part1, Part2)「来るべき世界」は収録できなかったそうだけれど(そりゃ,そうだろう),買ってみようかと思う。


10月10日(月) 星座  Status Weather

 最近の日記です。

 浅草キッドの『お笑い 男の星座』(文春文庫)を読んでいたとき,水道橋博士が若い頃のトルーマン・カポーティを写した有名な写真の真似をしたら,意外と似ているのではないかと思った。


10月13日(木) シナリオ  Status Weather曇り

1 真暗なスクリーン??「太陽への脱出」
 星がひとつまたたいて,
 石原裕次郎のスピーチ(英語)が聞こえてくる??。
裕次郎の声「(要約)今晩は。今日はバンコク一高い私の店にきて戴き,どうもありがとう。この店の収益の十パーセントは税金に,残りの九十パーセントは私のポケットに入ります。どうぞ存分に楽しんでいってください」

2 にっかつマーク
 裕次郎の声の最後「Thank you」に重なってたちあがる。
と,そのマークに弾着する.45ACP軍用弾七,八発。轟渡る銃声。

3 闇夜の浜辺「太陽への脱出」
 マシンガンを連射する裕次郎。
 手を止め,キャメラに向かって,
裕次郎「HOW DO YOU LIKE THIS, GENTLEMEN?」

4 穴だらけのにっかつマーク
 裕次郎の発する.44マグナムフォローポイント弾の銃声,一発。
 着弾雰時。
 粉々に破砕,飛散霧消する“にっかつ”マーク。
 と,その背後にたちあがる“日活マーク”NKのエンブレムが燦然と煌く。
 メインタイトル,Wる。

T1「AGAIN」
 さらに文字がF.I,フラッシュする。

T2「THEY RIDE AGAIN」
   矢作俊彦「アゲイン」(キネマ旬報,1984年2月上旬号)

 「初めて映画をつくったときに,シナリオの書き方を間違えてるって言われてさ」(「nobody」19号)と語った作品はこのことだろうか。


10月14日(金) お涙頂戴  Status Weather晴れ

 お涙頂戴,とは奇妙な言葉だ。送り手が発さずに,ほとんど受け手がそう語るのは特に。
 出自があるのだろうけれど。


10月15日(土) the meaning of life  Status Weather曇りのち雨

 モンティ・パイソンの映画『ホーリー・グレイル』が製作されたのは1974年,『ライフ・オブ・ブライアン』が1979年,『人生狂騒曲』が1983年。ということは,『ホーリー・グレイル』と『ライフ・オブ・ブライアン』の間隔より,あと2作の間のほうが少し短い。私はずっと『人生狂騒曲』が作られるまでのほうが,間が開いていたと勘違いしていた。
 『人生狂騒曲』の構成が前2作と異なっており,また画面の色味が大きく変化していることに影響されたとは思うものの,一番大きな理由は,『アンド・ナウ』を含め名画座で観た3作と,ビデオで観た『人生狂騒曲』の違いかもしれない。

 1984年,名画座とレンタルビデオ店が並立していたころのことだ。


10月16日(日) 距離  Status Weather雨のち曇り

 伊藤野枝が大杉栄たちとともに連行された場所を,これまで私は,川崎から六郷を越えてせいぜい大森あたりのどこかだろうと勘違いしていた。その日,川崎に行ったと記されていたことは記憶していたのだ。ところが,「百愁のキャプテン」を読んでいて“柏木”とあったので怪訝に思い,ページを行きつ戻りつし調べてみると,どうやら確かに柏木らしい。大杉の自宅近くで捕まったのだそうだ。
 辻潤が窮死したのは上落合。柏木から30分も歩けば着くあたりだ。昭和19年,みずからの身体を一歩前に進めることさえ叶わない状況であったかもしれないけれど,東中野から南を見渡せば,柏木は目の前に映ったことだろう。

 娘と一緒に区立図書館へ行った。新宿区の変遷がまとめられた本に収載の地図を眺めながら,そんなことを考える。


10月19日(水) 変化  Status Weather曇りのち晴れ

 昌己と飲んでいたとき,クイーンの“ホットスペース”の話になった。最近のことだ。

 「“アンダープレッシャー”って,アルバムに入れるのをボウイが頑に拒んで,やっとベスト盤に入ったんだったよな」
 「それがさ,ライブエイドや追悼コンサートでしゃあしゃあと歌ってさ」
 「まあ,ボウイだからな」
 「“ホットスペース”は,ミックスが今イチだった印象が強いんだ」
 「ポリスの,さ」
 「“ゴースト・イン・ザ・マシン”と似た感じだったよな」
 その後,笑ってしまったけれど,いや,共通体験とは恐ろしい。たぶん昭和50年代の終わり,洋楽リスナーだった者の何割かは,“ホットスペース”と“ゴースト・イン・ザ・マシン”に,相通じる何かを感じた記憶があるにちがいない。
 ただ,今聞き直すと,当時,「フランスのロックみたいだ」と感じたところの籠った感じ,コシのなさは微塵もない。リマスタリングのせいだろうか。

 ポリスの“マテリアル・ワールド”(いや,それにしても何てタイトルだ)を数年ぶりに聞いたところ,風の強い夕方,木立の向こうの低い月をながめているような,やけに感傷的な気分になってしまった。


10月22日(土) タイヤ  Status Weather雨のち曇り

 バーバラ・キングソルヴァーの『野菜畑のインディアン』は,次のような一節から始まる。
 「トラクターのタイヤが破裂して,ニュート・ハードバインの父親がスタンダード石油の看板の上にはね飛ばされるのを見てからというもの,わたしはタイヤに空気を入れるのがこわくなった。」
   真野明裕訳(早川書房,1994)

 ストーリーがしばらく進むと,中古タイヤ店の店主が登場する。本筋と関係なしに,読む側からタイヤのイメージばかりが膨らむのだ。

 それは中学生の頃だっただろうか。子ども向けの雑誌か本で,自動車のタイヤを半分に切断すると,片方はソファー代わりになり,もう片方はゴミ箱になると紹介されたコラムを読んだ覚えがある。すぐさま父親に頼み込み,使い古しのタイヤを2本調達してきてもらった。(あのタイヤ,いったいどこから持ってきたのだろう)私は構造がどうなっているかなんて知りもしなかったので,それをベランダに運び,真っ二つにしようとノコギリを入れた。ところが,途中で「ガリリッ」と何やら堅いものに引っかかり,手首で思い切り自分の力を受けてしまった。
 切り口を見ると,どうやら円周に沿ってぐるりとワイヤーが埋め込まれている。ペンチではとても切れそうにない太さだった。術は思いつかず,しかたなく,そのまま部屋に運んだ。
 以後,数年間,2本のタイヤは私の部屋の一隅を占拠した。クッションにするには,ことのほか座りづらい。で,ゴミ箱代わりに使っていたのだけれど,ゴミを出すのが面倒だったので,そのうち何の役目を果たすことなく,ただでさえ狭い部屋をますます窮屈にするだけの,そのわりにやたらと重い無用の長物と化した。
 実際に以下のような光景を目にしたのであれば別だけれども,あれが破裂する様を思い描くには,路上に捨てられたバナナの皮を見て,足を滑らせ転倒するドイツ人の姿が浮かんでくる程度の想像力が必要だ。


 「道路に散らばる,黒い焼けぼっくいのようなものが何か判らなかった。五マイルに一回は見かけた。路肩と言わず,あちこちに散っていた。大きなかけらをバンパーではねて,はじめてそれがタイヤの破片だと気付いた。」
   矢作俊彦「ここではなく何処かへ」(『複雑な彼女と単純な場所』p.272-273,新潮文庫)


10月24日(月) Time Exposed  Status Weather晴れ

 最近の日記です。

 麻布十番から六本木まで歩いても大した距離ではない。食事を済ませて帰ることにしていたのに,あっけなく夕飯を食べ終えてしまった。だから,地下に潜らず久しぶりに一駅歩いたのは単なるタイミングだ。
 けやき坂から右に折れ,いつ見てもおさまり悪い野外ホールにできるだけ目を向けないようにしながら階段を昇った。そこに現れたのは見覚えのある写真。「杉本博司展-時間の終わり」のポスターだ。この10年以上,ひたすらに時間と格闘していたのではあるまいが,そのポスターは佐賀町エキジビット・スペースで見たときのまま,止まっているのか変わらないのか私には判らないけれども。
 正確にいうと私はその日,「Time Exposed」展に行ったのではなかった。エキジビット・スペースに行ったら展示されていたのが杉本博司の作品だったのだ。いやはや。たぶん帰り道に,レコファンで買ったのがヘレヴェッヘ指揮のフォーレ「レクイエム」。それはまあ格好悪いのだが,そんな感じの展覧会だった。
 帰りに取ってきたチラシは限定版写真集の予約のためのものだったのだけれど,その高価なこと。合田佐和子の油絵のほうが手に入れやすかったという記憶はキャトルミュートレーションだろうか。
 以来,一度も杉本博司の展覧会に行った記憶はない。


10月25日(火) 博士  Status Weather晴れ

 「アパッチ野球軍にさ,“ダイガク”っているじゃんか。“博士”って感じしねえか」
 「おれ,高校の頃,“博士”って呼ばれてたぜ」
 夕方の再放送に感化された徹に,昌己がそう答える。
 「何の博士だよ」
 「“ロック”に決まってんだろ。3年の頃は“ニューウェイヴ博士”に昇格してたけどな」
 「無茶苦茶カッコ悪いぞ,ニューウェイヴ博士」
 「ギターがいた頃のトンプソン・ツインズをクラスではじめて紹介したのはおれだ」
 その語尾がやけに誇らしげだ。
 「“recorder three”だったかな,ブックレット付きのオムニバスアルバムに入ってるの聞いたことあるよ」
 と,私。もちろん目当てはロバート・フリップのソロだった。
 「眼鏡に学帽の貧弱な奴だろ」
 「昔さあ,博士に憧れてたんだ」
 「いや,今でもいいと思うな」
 「さすがに,それはちょっとまずいんじゃないか,今,“博士”じゃさ」
 と,徹は苦笑する。私にはそれがどんな“博士”か予想できたのだ。こ奴の向上心のなさには,すぐさま反応してしまう。ほとんど趣味が一致しないのに会話がまったく退屈しないのは,向上心のなさ加減が,お互いやたらと近しいからに違いない。「アパッチ野球軍」の前に町工場を舞台にした連続ドラマが再放送されているのも承知の上だ。

 「確かにいいよな,博士」
 「何だよお前ら」
 昌己にはまだ判らないらしい。
 「博士だよ,博士」

 徹と私が思い描き憧れていた“博士”の姿は,不味さ1.5倍のインスタントソース焼きそばに匹敵する不毛なものだった。 


10月27日(木) no language in my tongue  Status Weather雨のち晴れ

 リヨン駅に到着したのは朝5時過ぎだった。両替を済ませ,駅から離れたのだから,記憶にはないのだけれど私はパリのガイドブックを携えていたのだろう。
 小雨のなか,近くの美術館をめざしたものの開館しているはずもなく,とにかくポンピドーセンターへ向かった。地下鉄に乗ったはずだから,やはりガイドブックを持っていたのだ。ただ,ポンピドゥ・センターに着くまでの記憶はほとんどない。かなり歩いた気はするのだけれど。

 途中,ミラノでいうところのバールのような店で,サーモンやら野菜を挟み込んだバゲットを買い,歩きながら胃の中に流し込んだ。開館前の列に並び,というか雨宿りできる場所を移りながら,いつの間にか建物の中に入っていた。チケットをどうやって手に入れたのかは覚えていない。美術館のフロアと間違えて,図書館のフロアをしばらくうろついた後,エスカレータで上の階に行き,ようやくベーコンやらタンギーやらの作品を見ることができた。

 シャンデリゼ通りのアニエスbで頼まれた帽子を買い,さらに地下鉄に乗って別のアニエスbに行き,そこでもう一点,頼まれたものを手に入れた。それが何だった,すっかり記憶が飛んでいる。地下鉄の駅近く,学生相手の生協のような店が一斉ストに突入し,途方に暮れた者がそこここで何やら話し合っていたのではなかっただろうか。

 空港行きのシャトルバスに間違いなく乗れたのだから,やはり何らかのガイドブックを持っていたのだ。

 この間,私は一度もフランス語を話さなかった。正確にいえば話せなかったのだけれど。パリでフランス語を話さないということは,つまり,会話によるコミュニケ?ションがほとんど成立しないということだ。いまだ,海外に行って,あのときほど寡黙だった経験はない。
 でも意外と,どうにかなってしまうものだ。


10月29日(土) twilight furniture  Status Weather曇り

 引っ越しはバイクと自転車で事足りたのだから,徹が借りていた部屋には余分なものはほとんどなかった。広々といえば聞こえがいいけれど,閑散としていたといったほうがより正確だろう。日がな誰かが泊まりに行っていたのは,もちろん徹がそれを厭わなかったためとはいえ,一人や二人,ごろ寝するのに十分なスペースが,いつになっても物で埋められなかったことが影響していたのかもしれない。6畳にベッド,机,本棚3本を入れていた私の部屋には,間違っても二人は泊まれなはしない。こちらは反対に常識外れの物で埋まっていた。

 それでも徹の部屋に,引っ越し当初より物は増えていたはずなのだ。押し入れにあらゆるものを押し込んでいるにせよ,部屋の閑散とした雰囲気は終始変わることがなかった。
 「丈の高いものを置かないことだな。置くときは寝かせるんだ」
 そう徹に言われてやおら見直すと,この部屋には確かに黒く塗られたカラーボックスが3本あるのだ。ただ,すべて壁際に寝かせてある。
 「生活感あるのが嫌なんだよ」

 その通りの部屋だった。ただ,残念なことにここはアパートだ。隣人の生活感が嫌というほど身にしみた(ここ)。 


10月30日(日) Time Exposed 2  Status Weather曇り

 高価な本の予約のものではないけれど,数日前に記した“TIME EXPOSED”のチラシが手元にあったのでアップした。(データ調整中)少しは当時の感じが伝わるかもしれない。



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