年末

例年,年末ぎりぎりまで事務所で仕事をすることになる。今年も27日くらいまではそのつもりでいたものの,事務所の掃除と年賀状印刷程度で年内の仕事を終わりにした。

28日の夕方,家内と新宿まで買い物に出かけた。年明けに1泊くらいで京都まで行くことにして,西口のチケットショップを覗く。宿泊先を決めていないので値段を確認し,別の買い物をして帰宅した。

29日は高円寺~中野で買い物。昼過ぎまで事務所で年賀状の支度を済ませる。まず,高円寺でひととおり年始用の買い物を済ませて,中野に移動して残りを調達する。

30日は事務所の片づけ。古くなった段ボールを潰してまとめる。整理がつかないので,31日も少しだけ片づけをし,18時すぎに池袋まで。家内,娘夫婦と待ち合わせて,ここ数年通っている蕎麦屋に向かう。ところが,今年はすでに売り切れ。しかたないので,サンシャイン通りのほうに昔からある蕎麦屋で年越し蕎麦を済ませた。

年末から会社のサイトの更新を検討して,ダミーサイトにテーマをインストールしては検討。結局,現在のサイトのまま,微調整するのがよいという判断に至る。問題は会社の情報ページをどのように構成するか,だ。今のサイトはそのあたりが都合よくできている。

Tab

会社のサイトをつくり,年初までWoocommerce+Stripeで販売ページをつくり活用していた。2,3年前くらいにどこかをさわってしまったのだろう。シングルページのタブの内容が表示されなくなった。気がついたときに検索してcssを加えたり,たぶんPHPを書き換えてしのいでいた。もういくつもの記憶が積み重なっているので,ただTabが表示されないときの対応としてネットを検索したくらいに記憶を圧縮されている。

使わないプラグインを削除していたところ,またTabが表示されなくなった。cssを加えていたのだろうくらいの記憶で,ネットを検索した。ただ,それらしいページにたどりつくことはなかった。

4月にネット販売のセキュリティが厳しくなったため,Woocommerceはカタログモードで使っていて,実際の販売はStoresに移行した。正直,このセッティングのほうが反応がよい。カタログモードでTabが表示されないのは厳しい。すっかり忘れていたけれど,Woocommerceのデザインを加工するプラグインを入れていたらしい。それでTabの問題を解決したのが一番最近の対処策だったのだ。

とりあえず,プラグインを再インストールしてセッティングしたところTabが表示されるようになった。若干デザインが変わった気がするが,Tabが表示されないことに比べれば大したことはない。

Woocommerceはなかなか安定しない。アップデートの関係だと思うのだけれど,シングルページにcssが効かなくなって,だらーっとしてしまうことがある。キャッシュを空にすると直ったり,テーマをアップデートすると直ったり,もうしかたないとあきらめの境地だ。

cssが効かなくなるのが,アクセスを集めたいときにかぎってなので,偶然とはいえ,困ったものだ。

時間があれば,カタログ用にデータを作り直したいのだけれども,50点ほどのデータを入れなおすのは面倒くさい。

このところ

12月に入ってから初めてのポスト。4本の企画を同時並行ですすめながら,2本は減速,1本は下版になり,1本も明日下版になる。某小説家の新連載サバイバルレースを思い出すものの,こちらは下版までもっていかないかぎり一銭も懐に入ってこないから,諸々のネゴシエイトが必要になる。

加えて,経営上の懸案を数か月分,クリアするために書類をつくり,申請する。メンタルに堪えるな,これは。おかげで,眠りが浅いのか,忘れたと思っていた知人などが日替わりで夢に登場する。面白い夢があれば,何でこんな夢,というのもある。

とはいえこの時期,酒の席が増える。金曜日に義理の息子と事務所界隈で飲んだ。当初は下落合あたりに行こうと思っていたものの,近場にあるとんかつ屋に入った。四半世紀以上前,引っ越してきたことのことだったろうか。とてもうまいけれども客あしらいに一癖ある店だと,どこかで読んだ記憶がある。店の前を何度も通ったけれど,だから店内に入ったことはなかった。

それが,旨いのと,居心地がよいのとですっかり長居をしてしまう。そのあと,川を挟んで反対側にできたジャズバーを覗いてみた。カウンターに客はひとり。二人で入った。義理の息子は途中で帰ったものの,結局,看板まで飲んでしまった。カウンターの客とはこの地に共通の知人がいるようで,話が合ったり,知らないことを補完し合ったり。

翌週の水曜日は本郷三丁目で終電まで飲み,翌々日に徹や昌己,和之と中野で落ち合う。少し前に見つけた魚の旨い居酒屋で2時間くらい,そのあと,通りがけに昌己がみた看板をたよりに80年代の洋楽リクエストバーという店に入る。妙に居心地がよく,ウルトラボックスやシュガーキューブスあたりをリクエストした。

今週末は数年ぶりの健康診断の予約を入れている。体調は大丈夫だろうか。

「病いは木から成るの」と書いたのは津野米咲だが,「気」を「氣」と書く奴はだいたいやばいと看破したのは誰だったのだろう。

どこかにそのことがひっかかっていた。YouTubeをだらだらと流しながら仕事をしていると,SNSに「シルクロードのテーマ」という言葉が流れてきた。喜多郎か,と思いYouTubeで検索するとすぐに出てきた。喜多郎って何しているのだろう。喜多郎をひっかけて新しいタブでWikipediaに飛ぶ。おお,1981年に「氣」というタイトルのアルバムを出しているじゃないか。このあたりをたどると,「氣」の流れ(流行のほう)がわかるかもしれない。

ということで,ファー・イースト・ファミリー・バンドのリンクをクリックする。ピンク・フロイドのパクリで有名なバンドだ。それくらいの知識しかなかったのだけれど,宮下文夫の略歴をたどると,ああ,このあたりに「氣」の源流のひとつがあるのではないかと感じた。

坂本龍一だっただろうか,どこかで「ファー・イースト・ファミリー・バンドとかツトムヤマシタとか」というくくりに,日本風(後のタタミゼみたいなものだと思う)をばかにしながら批判していたような記憶がある。ツトムヤマシタね。このあたりまったくかすっていないので,YouTubeでファー・イースト・ファミリー・バンドとツトムヤマシタを聴いてみた。

1970年代初めのいろいろなところでの敗北が,こんな感じでねじまがって潮流をつくったのだろうと思った。日本風のはずかしさというか,居心地の悪さを体感しないことには,たとえばミカバンドの「黒船」のシニカルな側面は伝わらないのだろうなあとも感じた。かすっていなかったけれども,ねじまがった潮流のはずかしさだけは上澄みでも染みているので,ああ,こんなことだったのだなあと,勉強になった。散開前YMO時代,坂本龍一の細野晴臣批判は,たぶん宮下文夫やツトムヤマシタのはずかしさをシニカルに対象化せずに,どこか継承していたからではないかなあとも。

女性性

思いつたので忘れないうちに。

数年前,フェミニズムに関する本を編集した流れで,著者のインタビューをとったときのこと。「女性性とはなにかが掘り起こされていない」ことにより,ケアとフェミニズムの関係がややこしいことになっているのではないかという発言があった。

正義の倫理とケアの倫理の対比から始めて,ネガティブケイパビリティとケアあたりまではなんとか整理がついたものの,いや,整理をつけるからやっかいなことになるのだ。

ケアという気配が,その場をもちこたえることに軸足を置くとすれば,その気配は,解決したり断定したりすることを一義的な目的とはしない。断定したり解決することとケアという気配は質がまったく異なるということ。

女性であれば女性性をだれでもがもっているという誤謬を持ち出す必要もなく,ケア=もちこたえることは,性別を問わず,もちこたえようとするところに生まれる。と,まずはしてみる。

たぶん,口が重たい人の言葉や,文脈を整理すると意味のある内容がまとまらない人の言葉が社会的な力をもたなければ,女性性という価値をつまびらかにすることはできないのではないか。

女性性が優位となる社会,女性性が一般化された社会とは,正義の倫理からみると,あれやこれや解決して判断したくなる状況が目につくだけかもしれないが,そこに生まれることが社会に容認されるならば,それはなんとすてきなことだろう,と思うのだ。

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