Something strange

高田馬場のビッグボックス1階でときどき古書市が開催されている。リニューアル前最後のときは「さようなら」とかなんとか謳っていたように記憶している。リニューアル後,しばらくしてから再開(でよいと思うのだけれど)した。さすがにてらいがあったのだろうか,最初は上の階で開かれたはずだ。

明日,胃カメラをのむので,事前診察に出かけた帰り,立ち寄ったところ,東郷隆の『定吉七番の復活』と『犬から見た世界』があったので買った。『定吉七番』は贈呈落ち(妙ないい方だ)らしい。『犬からみた世界』は昨年,知人に贈ろうと思っていた本で,そのときは結局,別の本を勘違いして購入してしまった。

昨日は池袋で「野性時代」のバックナンバー,「チャイナマンズ・チャンス」第30回が掲載されたものを手に入れた。

日がな本やら雑誌の切り抜きやらが増えていく。

 

Toast, yet

収入を得るようになって後,朝食をしっかりとるようになったのは家庭をもってからのことだ。ホットのアールグレイにミルクを注いで飲むことが決して不味くないことは家内を通して知ったような塩梅だから,それまでの私の朝食はほとんど,ランチタイムの名ばかりサラダよろしく,とってつけたようなものだった。

子どもが生まれる前は,温めたパンに卵,チーズに,プルーンと黄粉を添えたヨーグルト,くだもの,それにミルクティーというのが定番だった。卵はミルクをかなり足した柔らかめのスクランブルエッグにハーブを振りかけたり,残り物の豆腐が入ったり日によって異なった。

子どもが生まれてからさすがに限られた時間でつくらなければならなくなり,卵とチーズはどちらか一方で済ますことになったものの,それ以外は20年近く変わらない。

トースターを買っていないので,パンはレンジで温めたもので済ませる。トーストしたほうが旨いパンは少なくない。しかし,茗荷谷のマール・ツァイトのパンはレンジで温めるだけでも十分だ。

事務所から一番近い食べ物屋がマール・ツァイトなので,昼休みや夕方によく出かける。焼き立てのパンを買って帰り,すぐ食べたほうが旨いのだろうけれど,事務所から自宅まで小一時間はかかる。それよりも何も昼休みに買ったとしてもロッカーに置いたまま,結局食べるのは翌朝になってしまう。
世の旨いパン屋同様,マール・ツァイトのパンも値が張る。
いきおい袋に詰められた前日のパン,通称「サービス」を買い求める。サービスを目当てに伺っているのでは決してない。袋が残っているときはほとんどいつも買ってしまうだけだ。

マール・ツァイトのパンはかみごたえがある。ここのパンを食べるようになってから,他の店のパンが柔らすぎるように感じる。

きらら

最初,「きらら」はてっきりWebマガジンだとばかり思っていた。矢作俊彦の「ウリシス911」の連載がスタートし,第3回まではWebで読めたと思ったら,そのあとは雑誌でということになったと記憶している。

雑誌っていったって「きらら」を書店で目にしたことはない。書店員に探してもらったけれど見つからないまま何十日かが過ぎた。

地下鉄六本木駅に隣接するあおい書店のレジ横ではじめて「きらら」を見つけたのは,だからまったくの偶然だ。「自由にお持ちください」と記されたプレートがついた一角に「ちくま」などと一緒に置かれていた。

東麻布に事務所があった頃なので,発売の頃(いまだ何日発売か知らない)になると,昼休みに2駅移動してあおい書店へ出かけた。入手できるときもあれば,なぜか店頭に置かれていない月もあった。

そんな調子だったので,手元にある「ウリシス911」は,ところどころ抜けがある。たまに古書店で定価を付けられて売られているなかに,読んでいない回が掲載された月号があると買い求めたものの,それでもまだすべてが揃ったわけではない。

2007年くらいに連載が終わったはずなので,さすがに最近では古書店でも見かけることが少なくなった。

昨日のこと。帰りがけに代々木の新古書店に立ち寄ると2006年前後の「きらら」が数冊置かれていた。昔は欠号を携帯電話のメモ帳に記していたのだけれど,そんなファイルを消してしまってしばらく経っている。仕方がないのでじかにめくりながら記憶をたどり3冊購入した。

家で確かめると,そのうち2冊に掲載された回はすでに入手済み,1号分,それもセブンブリッジで間を埋めるような月号が新たに読めるようになった。

ystyr dda

以前記したことをすっかり忘れてしまい,同じことを書くようになるとは。

正義の味方は,文字通り,正義の味方であって,正義ではない。

ならば,善意の味方というのはあり得るのだろうか。

Reread

本を探すために,エレピ一帯に積まれた本の山を移動させた。見つからない本の代わりに,読んでみようかと気になる本が現れるのが常だ。先週読んだ中島らもの『永遠も半ばを過ぎて』は,何年間も本棚に入ったまま,他の本を探すときに目にしていたのに,どうして読みたくなったのかわからない。

姜尚中と森達也の対談『戦争の世紀を超えて―その場所で語られるべき戦争の記憶がある』も,たぶん『永遠も半ばを過ぎて』から数冊違いで並んでいたと思う。このところ会社の行き帰りに読み返している。斎藤環や開沼博の善意への指摘に通じるやりとりがあることに気づいた。

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