ハイ・フィデリティ

昌己とは,読んだ小説のことを話題にした覚えは一度しかない。
まったくの偶然で別々に手にし,同じ感想をもった。数年前,『ハイ・フィデリティ』を読み終えたあとのことだ。
漏れ出た言葉はまったく同じだった。他人事とは思えない話だが,2つだけ気に入らないところがある。恋愛のエピソードはいらないというのが,まずひとつ。もうひとつは,もうひと回りだけ,新しいバンドを扱ってほしかった。

「ニューウェイヴ好きで,恋愛なしだったら,座右の書になるぞ」
「そんな話,書けるとしたら大槻あたりかな」

レコード店の紙袋を後生大事に抱えている男や,最高のカセットテープづくりは励む姿は,読んでいると情けなさを通り越して,切なくなってくるほどだった。
まさに,楽器少年にならなかったロックファンのありうるべき姿が,そこにはあった。

喬史がポリスのブートレッグを買い,「音が悪い」という理由で返品に向かうのに付き合わされた経験を持つ身としては(あげくに柄の悪い店員に「お友だち,ブートレッグが,どんなものか知ってるんですか」と吐き捨てられたのだ),まるで,あれは,この小説のなかのワンシーンではなかったかと錯綜してしまった。

喬史は,その後,「あの,音の悪さがいいんだよな」と,信じられない台詞を吐いた。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Top