週末

土日に取材が入っているので,金曜日は19時前に会社を出た。忘年会シーズンに入った週末だからだろうか,19時台の電車は空いていた。高田馬場で少し休み,ブックオフを覘く。均一棚から数冊買ったところ,そのうち2冊は210円だった。いつの間にか110円均一ではなくなっている。均一棚という呼称は考えたほうがよいな。均一じゃないので。

夕飯をとり,風呂に入って早めに眠る。

土曜日は午後から東新宿の大学で打ち合わせ。一度会社に行き,副都心線で東新宿まで。昼をとり,13時過ぎに打ち合わせに入る。大学が改修中だそうで,あまり長引かせずに終え,会社に戻る。とりあえず資料を確認しながら,次の準備に入る。

日曜日は9時から武蔵小杉で取材。にもかかわらず,昨日つくった資料を一度会社に取りに行ったので,家を出たのは7時くらい。会社から池袋まで戻り,副都心線で元住吉まで行く。午前中で取材を終え,午後,元住吉の商店街を少しだけみる。ブックオフは古本屋とはいえない品揃えで早々に店を出た。ブックサーカス元住吉は,なんというか,素敵な古本屋で,均一棚から3冊ピックアップすれば200円というので本を選んでいたものの,結局,買わずに帰る。検索すると麒麟堂の住所が出てきたものの,シャッターは閉まったまま。ふたたび会社に戻る。夕飯を買って,家に戻ったのは20時くらい。

やけに疲れる週末だった。矢作俊彦『コルテスの収穫』は上巻を読み終えた。刊行時に読んだときは印象になかったものの,誤植や言葉の統一がいろいろ必要な状態のまま,刊行されたことが透けてきた。下巻の原稿自体が存在しないことを前提に,上中巻まで,きちんと校正かけて出すことはできないだろうか。知らない誰かがあちこちで呟くのはしかたないくらい,面白い小説だと思う。

小学生の頃の記憶なので,当事者の名前も,どのようなきっかけでそんなことになったのかもすっかり忘れている。

彼の名字は記憶にない。ただ,当時流行したガッチャマンをまねして,友だちのあいだに○○マン2号,3号と名を与えた。ひょろりと背が高く,リーダー格におされがかちだった彼が,その遊びで命名権をもったのがはじまりだった。1号はもちろん彼自身だ。

2号,3号,4号と○○マンは増えていった。まあ,友だちに別の名前を付けただけといえば,それだけのことだ。にもかかわらず,そこに差異を生まれたのは,別の名をもつ友だちと,その名をもたない友だちが出てきてしまったからだ。初手からその名を辞退するものもいた。私は何号かの名をもらったものの,正直,そんなことはどうでもよかった。休み時間の遊び,放課後や休日のたのしみがそれでスムーズにすすむのなら,まあ名前をもらっておくにこしたことはない。その程度の重みでしかない名前だった。

ただの名前だ。もらうにしても,特別の能力や衷心が必要なわけではなかった。小学生にとっての数週間は永遠の半分程度の時間に感じられる。○○マンの命名に,いやその遊びになんらかのたのしみを感じたのはせいぜい1週間程度,そのうち不協和音がうまれた。いわく,「1号が1号である理由なんてないよな(もちろん)」「1号はなんだかえらそうだ」「1号が選んだ遊びは面白くない」などなど。もともと彼はリーダー格におされることはあっても,リーダーである時間は少なかった。

永遠の半分くらいのある日曜日。メンバーは1号の家に自転車で集まった。しばらくは1号が提案する遊びが続いた。とはいえ,遊びは盛り上がらない。1号は,遊びをたのしむより仲間を仕切る自分の役割に力が入ってしまう。それが負のスパイラルを生んでいた。この遊びもつまらない,次の遊びもダメだ。どれもが以前,誰かがはじめた遊びの受け売りだ。あまり面白くないことは私も感じた。

「帰るよ。もう○○マン,いらないや」1人がそんなふうに言った。ドミノ倒しよろしく,数分のうちに私以外のメンバーは名を返上してしまう。「面白くないんだもの。おまえの考えた遊びのほうが面白い。1号抜きで遊ぼうよ」,1人が私に声をかけた。

向こう側にいる元メンバーと,1号のあいだに私は挟まれるかたちになってしまった。ぐっと腕をつかまれたのはそのときだ。1号が目に涙を浮かべて「行かないでよ」という。

彼の手を軽くほどいたときの感触は,しばらくのあいだ肌に張り付いていた。すぐさま誰とはなく1号に,こちらにこいよと言った。私だったかもしれないし,他の誰かだったかもしれない。別に彼を仲間外れにしようという心づもりではないのだ。彼はこちらにきた。あちら側には誰も残っていない。

仲間とは,その後数年で一人を除き,音信不通になった。もちろん今,何をしているかまったく知らない。ただ,同じような場面に私はその後,何度か遭遇したことがある。あちら側に誰も残らなかったこともあるし,また,とどまり分かれてしまったこともあった。

器がどのようにして形づくられるのかわからない。不相応というと不遜ではあるけれど,不相応な器のために集団が分かれ,不相応な器に最後の最後で頼られてしまう。頼られてしまうから,その都度,最後に私が放った言葉は非道く相手を傷つけてきたはずだ。まるで刑吏になったかのような役割は,集団のなかで誰かが果たさざるを得ないのだろうけれど。

高校1年の初夏,4月生まれだったそ奴は,オートバイで家の塀に激突し,いのちを落とした。葬儀のとき,数年ぶりに会った恩師から泣きはらした目で「ばか」呼ばわりされたそ奴が,最初にあの名の返上したことを思い出した。だからそ奴とは音信不通になったわけではない。

12/9

38年前にKing Crimsonの初来日コンサート初日が渋谷公会堂であった。再追加公演くらいが日程の関係で初日になったはずだ。その後,1984年,1998年,2000年までの来日コンサートは観て,2015年と2018年のコンサートにも出かけた。賛否両論あった初来日のコンサートが一番,ロックバンドっぽかったと思う。

夕方,御茶ノ水で打ち合わせがあったので,18時前に会社を出た。東京医科歯科大学はいつの間にか工事中,したなかく順天堂大学をぐるりとまわって待ち合わせ場所に向かう。相変わらず寒い。19時には終わり,神保町まで歩く。アムールショップを均一棚だけ覘き,島田一男1冊,景山民夫1冊,三好徹の天使シリーズ2冊を購入。半蔵門線を九段下で乗り換え帰宅。

絲山秋子『小松とうさちゃん』(河出文庫)を読み終えた。単行本刊行時に,昌己も読んでいて,「ネクトンについて考えても意味がない」を絶賛していたことを思い出した。井伏鱒二といえばよいのかわからないが,すごい短編だ。

週末に揃えた島田一男を順番に読んでいこうかと思ったものの,どうしたわけか矢作俊彦の『コルテスの収穫(上)』を手に取ってしまった。 下巻400枚はじめ,うそを貫き通した「あとがき」の冒頭,

この物語は1979年の暮に筆をとり,80年の2月までに900枚を書きあげた。

とあるけれど,これも1年後ろ倒しての記述なんだろうなと思った。

同じ年の4月,私は日本を離れた。

は,「ヨコスカ調書」や月刊プレイボーイをひっくり返せば,1979年のことだったとわかる。未完の『コルテスの収穫』は1978年の暮に筆をとり,79年の2月までに900枚書きあげた,のだろう。「あとがき」中,

去年の春まで,私は三十枚以上の物語を(自分では)書かなかった。

だけが唯一,事実だろう。と思ったら,本書の奥付は「昭和62年1月20日」,「あとがき」は「1987年元旦」となっている。ここも1年差っ引いて理解するところなのだろうな。

12/8

ジョン・レノンも三波伸介も,その訃報から40年近く経ていることは不思議な感じがする。北山修が自切俳人を名乗っていた頃,九段会館でコンサートをやったのがこの日か翌日で,めずらしく「帰って来たヨッパライ」を演奏したのを思い出す。ドラムは木田高介で,その後,ライブハウスに通うにつれ,当時のライブにおけるドラムの音の録り方はどうにかできなかったのかと思うことしばしばだった。せっかくのドラミングが,まるで学芸会のような響きなのだ。

といったことを思い出すわけではなく,ただ寒い一日。朝食をとり,したくをして会社に出た。駅前の書店で「新潮」一月号を購入。流行だからといって,文芸誌の束を厚くすればいいというものではないだろう。村上龍の新作500枚一挙掲載とか,昔の「野性時代」を思い出させるような仕立てを誰も望んではいやしまい。「ビッグ・スヌーズ」を読む。24回でまとめてほしいなあ。ここから二けた続けると,せっかくの小説が迷走することは目に見えている。

ゲラを読むはずが,急遽,広告作成でほとんどの時間を費やす。17時くらいにしまい,池袋まで。西口で休憩。18時くらいの出立予定で。「ビッグ・スヌーズ」を読み返し,その後,切り抜きをクリアファイルに挟みもってきた「豚は太るか死ぬしかない」を数回分読む。昔,「メンズクラブ」や「プレイボーイ」に掲載されたエッセイを思い出す。

東武の地下をめぐり,ポンパドールでパンを買い,家内と私分のお弁当を調達する。高田馬場経由で下落合まで。新目白通り沿いのプチでビールとジュースを買い家に戻る。

20時前から夕飯。『小松とうさちゃん』は半分くらいまで読み進める。場面転換で視点が変わる小説が好きなことに気づく。まあ,『マイク・ハマーへ伝言』の影響なんだけど。

Magazine

家内は何らかのウイルス感染の症状らしく,とりあえず薬を処方され,週明けもう一度病院へ行くことになった。慎重なのか医療技術の適用範囲の問題なのかよくわからないが。

午前中,家内が出かけている間に,ここしばらく必要な記事を切り取らずに積み置いた雑誌の山を整理した。「新潮」から「ビッグ・スヌーズ」を切り取り,宮内悠介の「ローパス・フィルター」と岸政彦の小説を抜いた。「週刊新潮」から矢作俊彦の「犬は太るか死ぬしかない」を切り取る。2年かけて13回の連載エッセイというのは,他に読む記事がほぼない雑誌を買ううえで,何とか許容範囲内だ。切り取ったので,他の記事に漂う臭いを捨て去ることができた。ついでに,NASのオフィス表計算ソフトを立ち上げ,掲載号,ページ,タイトルをメモした。仕事では普通のことを,趣味に活かしてこなかった反省を込めて。

ついでに島田一男の文庫データもNASにコピーした。その後,夜になってから,データ化した後に手に入れた文庫本をチェックし補完。

風呂に入り,寝室の本を少し整理する。娘と隣の喫茶店で昼食をとる。娘は卒論をまとめに行き,私は伊野尾書店に向かった。低い雲がさびしげに垂れ込めている。

絲山秋子『小松とうさちゃん』が文庫になったので買おうと思ったのだ。とりあえず,文庫本を見つけたものの,「新潮」2020年1月号が並んでいない。しかたないので「GINZA」の日本のロック特集号でも買うかとページを捲って,平沢進と踊ってばかりの国が並んでいる記事を見つけて読み,棚に戻してしまった。

家に戻り,しばらく片づけを続けた。夕方少し横になっていると,家内が戻ってきた。夕飯食べ,映画「コード・ブルー」を観た。

「豚は太るか死ぬしかない」を読み返す。昨年2月1日号に掲載のエッセイで,今回の香港のデモとそれに伴う警察の動きについて,想定し得ることとして記されていた。文章の密度が年々濃くなっているように思う。石森章太郎はコマとコマを繋ぐスピードが晩年,かなり早くなって,にもかかわらず絵がそれに追いついていないもどかしさを感じたものだけれど,矢作俊彦はある種の化け物だ。

別サイトに反映させようと思ったものの,久しぶりにWindows10を立ち上げたところ,Vivaldiの設定で時間をとってしまい,データの追加にまでは至らなかった。

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