沖縄

日曜日は午後から会社で仕事。早々に切り上げて,帰りに新井薬師の文林堂書店で島田一男,堺利彦,斎藤貴男の文庫を購入。北口をぶらぶらと歩き,哲学堂公園手前のケーキ屋で買い物。家まで歩いて帰る。

月曜日は18時半頃,会社を出る。護国寺から池袋へと歩く。ブックオフとビックカメラを覘く。目白で家内,娘と待ち合わせて夕飯をとる。家まで歩いて帰る。

火曜日は20時くらいに仕事を終え,高田馬場で少し休み,ブックファーストを覘いて帰る。

雑誌は下版,単行本一冊は見本ができ,もう一冊の下版めどがたち,秋に刊行予定の単行本の入稿を終える。疲れがたまっている気がする。

数日前,岸政彦の『はじめての沖縄』を読み始めた。もう少しで終わる。いつにまして雑多な内容だなあと思い,初出を見るとさまざまな媒体で発表した原稿をもとに再構成したもののようだ。ところどころハッとする言葉があるものの,全体,しまりのない感じがする。元の原稿がそうなのだろうが,バックパッカーが東南アジアやインドを紹介するようなくだりに陥る箇所がある。もう少しきちんと書き下ろしたほうがよかったのではないだろうか。

返還から海洋博と南沙織の70年代,島成郎の80年代,吉田司と切通理作の90年代,21世紀に入ってからは矢作俊彦・司城志朗『犬なら普通のこと』の記憶がある程度。10年ほど前,仕事で行けなくなった私のかわりに母親が家内・娘と沖縄旅行に出かけた。帰ってきてから体調を崩し,結局,それが最後の旅行となった。

私が初めて沖縄に観光で出かけたのはその数年前のことだ。家族と首里城近くのホテルに泊まって,那覇市内とアメリカンビレッジを観光して帰ってきた。

精神病院でアルバイトしていたとき,外間さんという看護士と同じ病棟になり,はじめて沖縄の人と話した。とてもていねいな対応をされる方で,一方でそのていねいさに無理があるように,そのときは感じたを思い出す。患者さんに何人かの沖縄出身の人がいたが,だからといって埼玉県の人や栃木県の人と差があるようには感じなかった(加筆予定)。

高円寺

土曜日は午前中から会社で仕事。15時くらいに終え,高円寺まで。代々木で乗り換えのつばめ返しをしなくなってしばらく経つ。新宿で乗り換えたところ,ちょうど三鷹駅が着き,うまく乗り継ぐことができた。代々木に行ったら,次の三鷹行きまで待つことになったなあと,どうでもよい満足感。

家内,娘と待ち合わせ,あづま通りから庚申通りへ抜け,中通の喫茶店で休憩。高架下を越えて,駅まで戻り,パルを下る。古着屋で仕事用のトラウザーズを1本購入。家内,娘とわかれてアニマル洋子に行き,結城昌治『ゴメスの名はゴメス』角川文庫改版を買う。19時を過ぎた頃から急に風が強く寒く吹き始めた。庚申通りでパンや果物を買い,うどん屋で夕飯。古本サンカクヤマを覘いて帰ってくる。

パン屋はじめ,肉屋,バールなど,いつもは並んで入るまでもない店にやたらと人が集まっていた。最近,何かで高円寺特集でもあったのだろうか。

島田一男の監察医シリーズ2冊目を読み終えた。馴染みの登場人物が揃い,狂言回しがページを稼ぐ。殺されるのは3対1で女性が多く,もう少し高い割合で服をはぎ取られている。犯行の原因はゆすりへの報復(かなりやりすぎ),財産目的とわかりやすい。殺人方法はそれなりに工夫(?)されているが,工夫する理由がよくわからない。にもかかわらず,結局,読んでしまう。こんなものをまた,読んでしまったと退廃的な気分になってくる。

とりあえず3冊目を読み始めたところで,岸政彦『はじめての沖縄』を並行することにした。「よりみちパン!セ」は1人の編集者による企画だと知る。理論社,イーストプレス,新曜社と渡り歩くなかで,しかし,当初の企画・制作体制は崩れ,新曜社版は骨格のみで続いているような感じなのだろうか。P-MODELが核P-MODELになったような。でも,面白いのはP-MODELなのだ,だいたいの場合。

『はじめての沖縄』は読み始めたばかりなので何とも言えないが,面白そうな感じがする。繰り返しになるが,その面白さは「よりみちパン!セ」シリーズに収載されていなくても変わらなかった気がする。「よりみちパン!セ」のスキーマに嵌めると,違いの方が強調されてしまう。

Drunk up

平日なので仕事。夕方,徹に「近藤ようこの『五色の舟』を読んだか」尋ねたら,まだ読んでいないとの返事。1つ補完できた満足感。20時過ぎに会社を出て,池袋で休憩。ビール1杯飲みながら本を読む。家に帰り夕飯のときに,もう1杯ビールを飲んだところ,すっかり酔っぱらってしまった。安部譲二じゃないが,酒は体調によって酔い具合が全然違う。1時間ほど横になった後,本式に眠る準備をした。

島田一男の子守唄の何とかという推理小説を読み終えた。島田一男の小説を読む退廃感を久しぶりに被った。小説が退廃的なのではなく,小説を読むと退廃的な気分になる。

パン!セ

まだ5月のはずだが,相変わらず暑い。あれこれ振り回されながらも,小さなコトカラコツコツと向き合っていけば,少しは片づくものだ。西川きよしに感謝,する気はまったくないが。20時前に会社を出て,久しぶりに伊野尾書店に寄る。よりみちパン!セシリーズが新曜社から復活するという。岸政彦『はじめての沖縄』が並んでいたので購入。ついでに『さよならのあとで』(ヘンリー・スコット・ホランド,夏葉社)も。アノニマ・スタジオの本とどちらを買うか少し迷う。

「よりみちパン!セ」シリーズは,徳永進や杉作J太郎など,名作がいくつかあって,理論社がダメになった後,イーストプレスで復刊されたときに買いなおしたものもある。当初,新曜社で「よりみちパン!セ」復活と知っても,あまりピンとこなかった。『はじめての沖縄』は内容ではなく,本のつくりが「よりみちパン!セ」として刊行する必要がどこにあるのだろうかと不思議に思った。「よりみちパン!セ」のつくりじゃまったくないのだ。

ふつうに新曜社の本として出せばよいのに,どうして「よりみちパン!セ」を謳ったのか,よくわからない。企画した編集者が移ったのだろうか。それにしては当初の本づくりのノウハウはまったく反映されていない。

Nobody but me

気圧の変化についていけないのか,体調が悪い。いつもより遅くしたくをして1時間半ほど遅れて会社に着いた。暑い。忙しい。同僚にふれない仕事がたまり,ふった仕事の説明に追われる。家内,娘とも夕飯を食べて帰るというので,バンビで夕飯をとって帰る。

島田一男の『下田子守唄殺人』をペラペラと捲っている。何だか受験を控えている気分になってしまい,不安になってくる。島田一男=行き止まりの道説は意外とよいたとえなのではないか。

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