曖昧

家内が会議のため遅くなる日。少し早めに退社し,デパートで夕飯を買う。緊急事態宣言下(いまだに続いているとは思われない印象。ほぼ飲食店のみがそのもとで対応しているだけのような),19時閉店で,通常に比べ並べる品数を減らしている様子。閉店15分前には軒並み定価の半額になるので,助かりはするものの,どこかでボタンを掛け違えてはいないだろうか。高田馬場のブックオフを覘き,文庫本を2冊購入して帰宅。

娘と夕飯をとっていると家内が帰ってくる。テレビを観て一日が終わる。

King Crimsonのアルバム“Starless and Bible Black”の裏ジャケットに描かれた本をモデルに油絵を描いたことがある。高校3年のときで,カンバスに白い絵の具を塗り,中央に黒字の本を置く。それだけの絵だったものの,なんだか時間がかかった。

芳行と美術準備室に行く途中の階段で,“Bible Black”について話したことを覚えている。北村昌士の本が出たばかりの頃だったからだろうか。北村訳による“Starless”の歌詞が「神聖なる黒さ」のような感じだったことに感化されたのだろう。これはキリスト教へのアンチテーゼなんだよ,と言ったものの,すぐさまキリスト教にアンチテーゼをなぜ示すか意味わかってないだろう,と突っ込まれた。

芳行の知識体系はどのようにしてつくられたのか,いまだに不思議に思う。筒井康隆の影響が70%くらいはあったのだろうとはいえ。

聖書はきれいごとでさ,それを邪悪だという意味で使ったんじゃないか。この程度の返事しかできず,そのまま美術準備室についてしまい,話はうやむやになった。いや,そこでまだ仕上がっていない絵を見せたのだから,続いていたかもしれないが覚えていない。ディラン・トマスの詩を読んでいなかったのだから,まあ適当な話ではあった。北村本を読み,ディラン・トマスの詩を探していたのだろうけれど,そのあたりの記憶自体,曖昧だ。

そんな感じで,意味を問われたとき,曖昧にしか答えることができなかった場面は何度もある。枚挙にいとまがない。言葉に引っ張られるものの,それを一度咀嚼して自分の話の文脈に落とし込むことが長い間,苦手だった。

いまも苦手ではある。ただ,この言い方では,意味が伝わっていないな,ということだけはわかるようになった。場をもたせるだけに置く言葉,意味をもたない言葉を発することは多い。

その一方で,すべての言葉に意味を持たせる考え方は苦手だ。意味のない場,意味に至らない体験を抱え込みたい欲求がある。小此木啓吾だったかは,そうした態度のある面を飲み込まれ不安と名付けた(たぶん)。でも,名づけられた途端,そこに意味が発生してしまうのではないか。まあ,こうして言葉にすることでも意味は発生してしまうのだろうけれど。

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