添う

死にゆく人を前に文学は,とか拳銃はとかのたとえではなく,近い将来,死にゆく人の前に向き合うことがある。母親の末期,仕事帰りに週数回,病院まで見舞いに出かけた。繰り返しになるけれど,末期とは当人にも関係者にも難儀なことが少なくない。亡くなったときから遡って,何かを考える癖がついてしまうと,どこか亡くなるときをただ待っているような感じがするということは以前書いた。

時間がないことは明らかである。ただ,ない時間がどれくらいあるのかわからない。その状況で死にゆく人に添うというのは可能なのだろうか。私は添えずにいることばかりのような気がする。

曰く,間に合うように一日も早くすすめてほしい,と言われたとき,にもかかららず,現実的に必要な時間を早める所作をすることがあまりない。決定的に添うという所作について,私は欠落がある。

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