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何度か記した記憶があるけれど,10代の頃までは「新しいものが一番」という感覚で物事に接していた気がする。アーカイブに意味を見出すほど知恵がまわらなかったということだろうし,それくらいに新しいものが魅力的だったのだろう。

大塚英志だっただろうか,後に「おたく」と呼ばれる一群が,一様に「記録」や「スクラップ」をとっていること/し続けていることをその特徴としてあげていた。特徴であると同時に,後にその記録やスクラップは貴重な資料と化した。その点からすると10代の私はまったく「おたく」ではなかった。興味あるものについてしばしば記録やスクラップを行なったけれど,とにかく,それを保持する体力がなかったのだ。

当時,永井豪の下手な絵と滅茶苦茶な物語には何度も惹きつけられ部屋に単行本が積み重なったが,ある時間が過ぎると,それらは古本屋に売ったりゴミとして出してしまった。石森章太郎のマンガはあまりそうしたことをしなかった。石森はすでに「新しいものが面白くない」時期に入っていたからということもあるのだけれど(こう書いてしまうと本エントリーの全体に整合性がとれなくなるが),永井豪のマンガを買ったときから一度も処分せずに数十年にわたって持ち続けている人がいるとしたら,それは(もちろん処分してしまう側でもかまいはしないが)病理的に説明可能ではないかと,これはときどき思うのだ。つまり欲望と体力のバランスの問題であって,結局そのバランスをとれぬまま10代を終えた。

私の友人たちは多くが似たような体力しか持ち合わせていないものばかりだった。総じて新しいものが一番,でもあった。徹は「新しいものが一番」の刷り込みからもっとも早く抜け出したかもしれない。今も変わらず映画好きの徹にとって,昭和50年半ばは名画座に加え,ビデオやレーザーディスクなどハードとソフトの日進月歩で幸せな時代だった。新しくないものでも一番を感じるのによい時代だった。

昭和50年代が終わり頃になると,鈍感な私たちにも「新しいものが一番」などとは思えなくなってくる事態にしばしば遭遇した。この数年のタイムラグは意外と大きい。新しくても面白くもなんともないものが,それも諸手をあげて歓迎される様をシニカルにとらえるしかなかった。ようやく,音楽で新しくないものでも面白いと感じるようになったのはCDの恩恵だ。“バイナル”などと(まるでピーター・バラカンじゃあるまいし)呼称を変え,レコードが持ち上げられるこの数年だけれど,当時,CD化をきっかけに聞いた体験があるので,CDを蔑む気にはまったくならない。

昭和60年代に入ってからは,だからアーカイブとして今も手元に残っているものが増えるのだ。

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