キャラバンサライ

このサイトのどこかに書いたことがある。書いたことをすべて記憶しているはずはなく,忘れたことを思い出すこともある。

再開発の名のもと,取り壊される新井薬師前駅南口の鄙びたビルの手前にも,だらだらと続くようにビルが並んでいる。もしかするとあの一画,つながっているのかもしれないものの,そんな感じで塀のようにビルは南口とその向こうの道を隔てる。

南口にすぐ近いビルの階段を登り右側にスナックが一軒あった。永岡君にまつわる話で,これははっきりと書いた記憶がある。彼は中学校時代の友人で,キングクリムゾンの『宮殿』と『リザード』を初めて聴いたのは彼の家でのことだった。入学して早々,図工の授業は神社で写生だった。彼は私のもっていた絵具を見て,「ウルトラマリンブルーだ」と執拗に繰り返す。妙な奴だなあと思ってから結局,3年間,仲がよかった。

進学してからすっかり会うことがなくなり,20代を折り返した頃のことだったと思う。10年ぶりくらいにはじめて同級会に出た。永岡君も出ていたのだろう。連絡先を交換し,もうひとりの友人と新宿で会ったときのことも書いた記憶がはっきりとある。そのあたりは端折って,要は新井薬師前駅南口のスナックでの記憶なのだから。

昌己と週末入っていたスタジオに永岡君が参加したのは数回だった。たぶん最初に入ったあとのことだと思う。どこか居酒屋で飲むか,という話になった。永岡君が「スナックないの」と聞いてきた。そんな中途半端な問われ方をしても答えようがない。スナックの用途がわからず,いきおい必要でもなく,入ったこともなかったわれわれに,あるかどうかさえ答えようがなかった。とりあえず駅前まで行き,見つけたのが入ったこともないそのスナックだった。

ドアを開けると,L字型のカウンターと奥の窓際にテーブル席が2つほどあるのが見えた。カウンターにはいかついおじさんがひとり座っていた。われわれは20代を折り返したばかりだったのだ。

その年のはじめ,われわれは高知の友人に誘われて,キャラバンサライという名のライブハウスで演奏をした。後にも先にも社会人になってからスタジオに入りはじめたバンドがライブを行なったのはそのとき1回だ。

いかついおじさんと二言三言,やりとりをせざるを得ない状況になったのだろう。「バンドをやっているのかい」「アマチュアですよ」「ライブも?」そんな感じだ。

で「この前,高知に行って,キャラバンサライというライブハウスで演奏してきました」と言った途端,いかついおじさんが「キャラバンサライで演奏ったのか。有名なライブハウスだよ」とママさん(というのか)に向かって言う。「イギリスじゃなくて,高知ですよ」「知ってるよ。高知出身なんだ」と話が転がってしまう。

この前,夕食のとき,文林堂書店が閉店した話をしていたところ,久しぶりにこのときのことを思い出した。たぶん,以前,ここまでのこと書いたように思う。

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