午前中は取材で近くの理髪店に伺う。予想をはるかに超えて知らないことばかりでとても面白かった。取材をお願いした方と昼食をとりながらあれこれ。
矢作俊彦の嗅覚を40年くらいにわたり,どこかで頼りにしていた面があり,それは今も変わらない。彼がツイッターで,誰だっただろう,高橋源一郎か青山真治だったかとやりとりしていたときのこと。震災後だったと思う。「あいつは右翼の使い走りじゃないの」というようなツイートしたことを覚えている。その後,政党をつくり,党首となった「あいつ」は一定の支持を得ている。
取材はお願いした方は代々,選挙に熱心な家系というか,それはたまたまなのかもしれないが,選挙というシステムを通して自分たちの声を国政はもとより地方自治にも届けることに力を注いでいる。「もしかした支持されていたら申し訳ないけれど」と前置きして,「あいつ」の政党について話が及んだ。前のツイート以来,「あいつ」とその政党に対し,距離をおき,どこかリトマス試験紙のように扱っていることを伝えると,その方は「わたしもそう思う」ということで,そのまま,鼻をつまんで支持することやなにやらに話が流れていった。
レベッカ・ブラウンの『家庭の医学』が刊行されたとき,
寒いと母が言うので、タオルを温めてあるキャビネットから看護婦が一枚出してくれた。私にもその匂いが嗅ぎとれた。清潔で温かさそうな湯気の匂いだ。
p.18
この箇所だけが印象に残り,いや,他の箇所はまったく覚えてもいないし,印象にも残らなかったのだけれど,「清潔で温かそうな湯気の匂いだ」というフレーズは,自分の記憶とどこかつながっている。
強引につなげてしまうと,「あいつ」とその支持者はどこか,世の中のリセットが可能だと思っているのではないかと感じてしまう。大塚英志による今世紀に入ってからの「ポスト○○」への懸念が思い出されるのだ。歴史修正よりもたちが悪いと大塚は述べている。
湯気の匂いはリセットし得ない。そこに手がかりを探ることが必要なのではないかと,まあ強引に結び付けてしまうのだ。