音楽ドキュメンタリー映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』を観た。
せっかくならばできるだけ大きな映画館で観ようと思い,仕事を早めに切り上げて日比谷まで足を延ばした。
どうしたわけか,ミカ・バンドが『黒船』を録音しているあたりのエピソードからイギリス公演あたりで涙腺が緩んでしまった。その後,グルメエピソードのあたりで持ち直したものの,最後のあたりも胸を打つ内容だった。
『それから先のことは』というアルバムは,私にとって加藤和彦のアルバムのなかで特別なもので,それはたぶんアルバムを買ったとき(リリースされてから少し経った高校時代だった)の,自分のまわりの様子と二重写しになる様子が描かれていたからだと思う。40数年ぶりにそのことを思い出した。映画を観た後,日に数回,事務所で流している。聴くたびに不思議なアルバムだと思う。それは歌詞を書いたのが安井かずみだからだ。
映画を観終わり,1975年から76年の加藤和彦の動きを,知る範囲で反芻してみた。
復刊された『あの素晴しい日々』を読むと,
ミカ・バンドのイギリス公演から帰って来た後に安井と出会って,一年なにも仕事をしてなくて,わたしはそれで財産をなくしました。仕事を全然していない。……もちろんミカ・バンドで全部使っちゃったし,全然金もなかったから,安井のところにころがりこんじゃった。(p.183-184)
1976年の初夏だったと思うのだけれど,ロンドンに留学中の北山修はソロアルバム『12枚の絵』を制作していて,そこに加藤和彦を呼ぶ。ミカ・バンドのイギリス公演が75年10月23日までで,ミカはクリス・トーマスに引っ張られてイギリスに残っていただろう。1年も経たずにロンドンに向かった加藤和彦は何を思ったのだろう。
人生をいじくって云々するような悪趣味ではなく(たとえてしまうならばポール・オースターの『ムーンパレス』だよ,これは),北山修と共作した「旅人の時代」の歌詞,さらにそれから数か月後に録音を始めた『それから先のことは』で安井かずみが書いた歌詞,どちらも加藤和彦のことを書いたように読めてしまう。
『それから先のことは』は,完全に私小説なんだよね。(p.187)
みずから私小説と位置づけたアルバムの歌詞を書いたのは安井かずみだった。よく書けたなあと思う。どのようなやりとりがあったのだろう。
ヨーロッパ三部作のリマスターのときに削除された佐藤奈々子のボーカルパート。これは加藤和彦の判断だったのだろうか。
加藤和彦と安井かずみの関係をイコールパートナーのようにイメージしていたのだけれど,どこかミスリードされていたようにも感じる。
起こり得なかった加藤和彦と佐藤奈々子がどこかのタイミングで続けて共作していく様子を思い描いてしまったのは,映画のクレジットに佐藤奈々子さんの名前を見たからだった。