気圧のせいか1時間くらい遅く出社し,発送の作業などを終えた。
慌ただしさは相変わらず,ただ,昔に比べると綱渡りがうまくなったので,なんとかやりすごせているものの,もう少し腰を据えて仕事が片づけられるとよいのだが。
長嶋茂雄さんの訃報。矢作俊彦『マイク・ハマーへ伝言』は,長嶋現役引退の日,つまり1974年10月14日の午後から明朝くらいまでを描いた作品だ。
本サイトに書きかけのままアップしてあるAnother Gameは,何度か書いたかもしれないが,昭和の終わりから平成の始めに,NECの98ラップトップ,一太郎で書いたデータがもとになっている。矢作俊彦が80年代前半のような作品を書くことをやめ,エッセイと「NAVI」の連載に活動の軸足を移していた頃のことで,私にはそれがさびしかった。
その後,週末にスタジオに入るようになったのも同じような理由で,つまりは読みたい小説,聴きたい音楽が新たに出なくなったのであれば,みずからつくり,その間隙を埋めようという動機から始まったものだ。
とはいえ,私は矢作俊彦のような文章とモチーフを持ち合わせていない。模倣して最初に書いたものが,「神様のピンチヒッター」をまねた短篇で,そのあとに手をつけたのがこの物語だった。
これも以前書いたように,森真沙子の『悪魔を憐れむ歌』を矢作俊彦風に描くという試みだった。サイトにアップしている4章の後,渋谷のタワーレコード(渋谷のセンター街の突き当りにあった頃)の向いのビルの2階だったか3階だったかにあったレコード屋(シスコかキニ―だったような気がする)にバイトする友人を訪ね,彼に亜子のところまで連れていってもらうもの合えない。その途中,暴漢に襲われたり,食品会社の常務を訪ねたりがあって,ライブ当日を迎えるという流れだった。
常務を訪ねるあたりまでは一太郎に打ち込んでいたのだけれど,当然のようにFDがクラッシュしてしまい,プリントアウトをたよりに,途中までサイトに打ち込んだものの,面倒になって,というよりはあまり面白くなくなってやめてしまった。
亡くなった上司から記者時代に聞いた,某食品会社の社長が,CMにサブリミナル効果を加えたのがばれて更迭された事件を柱のひとつにして,その背景に移民を進めようとするグループと抑えようとするグループの抗争を加え,そのあたりをただ暴露したミュージシャンが死亡した事故をめぐって物語が進むというものだったはずだ。
とにかく固有名詞を入れ込もうという意気込みはあったものの,さすがに息苦しくなってしまった。
レコード屋でのやりとりあたりまでは20年くらい前のサイトに公開していたようで,昨日,バックアップデータを確認していたら,見つかった。さすがに拙いものなので,少し手を加えて,もう少し続けてみるかもしれない。