ちいさこべえ

望月ミネタロウ(原作・山本周五郎)の『ちいさこべえ』(4)。だらだらと延ばさずに全4巻で完結。『東京怪童』といい,このくらいの長さできちんと終わるマンガはよい。『バイクメ~~~ン』だって,あれだけ内容が詰まって4巻,『お茶の間』は3巻,『バタアシ金魚』だって6巻だ。それにもかかわらず,きちんと線と構図とコマ割り,ネームで見せていく。

マンガにはいろいろあってよいのだけど,ただ,このマンガを基準にすると,無茶苦茶マンガのハードルが上がることだけは間違いない。

原作通りの「お母ちゃん」のくだりは,こんなに真正面から描いてずるいだろう,というくらいの迫力だ。

マンガのコマというのは,一つ描いてしまうと残りのスペースは決まってしまう,実にやっかいな縛りのなかで展開される。1970年代の少女マンガが,枠線を取っ払ったのは発明だとは思うが,こうやって,四角のなかに四角をいくつか構成して,それできちんとページのバランスをとり,なおかつ,一つひとつのコマの構図を斬新に決めていく。

望月ミネタロウになってからのこのマンガ家は,天才・石森章太郎と肩を並べる才能だと思う。

七瀬三部作

少し前から「共感力の劣化」という言葉に,どこかでひっかかっていた。ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を読み直した後,筒井康隆の七瀬三部作を読み返そうと思ったのは,そんなわけだ。

『家族八景』『七瀬ふたたび』は1970年代に,テレビドラマの影響もあり,私たちのまわりでは,どちらも「読んでいて当然」という類の本だった。『エディプスの恋人』が発表されるまでの数年間,あの独特の“感じ”を言葉にすることは難しい。

『エディプスの恋人』が発表されたときの期待と困惑を思い出した。友だちとあれこれ話し合ったものだった。読みながら,すっかり忘れていた“あの感じ”が蘇ってきたのは面白かった。

「共感力の劣化」からすると,『家族八景』が描かれた当時と比べて,大して変わっていないのではないかというのが正直な感想。ツイートが本心かどうかは別にして,呟きを目に耳にすることができる/耳に目にしてしまうことへの対応力が問われているということではないかと,そんなふうに感じた。

当時,「筒井康隆は文春文庫から読め!」 という高校時代の友人の忠告を思い出したものの,文春文庫というのは加齢臭が漂って,たぶん今に至っても,読んだ冊数としては他社文庫にくらべて圧倒的に少ない。確かに文春文庫に収載された筒井康隆の小説は凄いのだけど。続けて『馬の首風雲録』を枕元に置いて,矢作俊彦の『あ・じゃ・ぱん』はこれに近いところがあるなあ,と今さらながら思った。

21

くるりの「THE RECORDING at NHK 101st + THE PIER LIVE」が出たので,少しずつ見ている。「THE RECORDING」は見たので,まずは「THE PIER LIVE」から。

中野サンプラザ2DAYSの初日に出かけたことは以前記した通り。ライブに収録されたのは2日目で,微妙に客の乗りが違って面白い。福田洋子さんがサポートしているうちに一枚,ライブ出せばいいのにと感じていただけに,この2枚セットはうれしい。

金子國義

金子國義の訃報。 加藤和彦の「ベル・エキセントリック」以降のジャケット,再発後は「パパ・ヘミングウェイ」「うたかたのオペラ」も手掛けられた。ミカ・バンド再結成のタイミングでリリースされた「マルタの鷹」,最後のソロアルバム「ボレロ・カリフォルニア」はCDのみのリリースだったけれど,LPジャケット大での金子國義の絵で見たかった。 10数年前,娘をつれて新宿小田急の美術館のアリス展に出かけた。金子さんが会場にいらして,家内が絵葉書を4セット購入したところ,サインをいただいた。  同じ日に,天本英世にも遭遇した。なんとも過剰な日だった。

ストーンサークル

あれ(石丸元章)は獣だな。言葉を持った獣。はじめの三分の一ぐらい読んだときは,あれれ? と思って,最後のオチまでいったときにこいつは大変なやつだと思ったよ。でも,まあそれを全然誰も気がつかないってのもすごいよね(矢作俊彦,2003)

雑司が谷のみちくさ市に出店,当日,「BLUE’S MAGAZINE」創刊準備号を携えた感電社,石丸元章さんから二言三言,話しをうかがうことができた。

決して古くからの読者とはいえない。『ららら科學の子』刊行時,矢作俊彦が高橋源一郎とはじめて誌上対談した際,この2人から“言葉をもった獣”(たぶん)と称されているのを読み,当時,刊行されていたタイトルを読んだ。『平壌ハイ』と『KAMIKAZE』を読んだときの衝撃は,ここ10数年で一番だろう。後者には矢作俊彦も匿名で登場するし。

YYYYYYYYYEEEEEEEEEEESSSSSSSSSS!!!!!!!!!なんていう表現を格好よく感じたのは石丸元章の本がはじめてだった。

本人の紆余曲折は目にしたものの,書かれたものについては裏切られた記憶がない。

というわけで,雑司が谷での石丸さんは,「BLUE’S MAGAZINE」に心底,可能性を感じ,伝えたいという熱意が迸っていた。そこに韜晦はみじんもなかった。“ブルズ”のもつパワーに光を当てたいというだけ。ああ,この人はそういう人なんだな,と,その磁場に引き付けられた感じがした。(後で加筆予定)

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