週末

土曜日は午前中,印刷所の社長さんが表紙と帯の刷り出しをもってくるので出社する。引き取ってから数件のメールに返事を出す。家内と待ち合わせ,恵比寿まで出る。大学での打ち合わせがなくなってから恵比寿にくることもなくなった。数年ぶりにきたような気がする。

LIBEARIE6で開催中の「中井英夫 生誕100年」展をみる。しばらく眺め,『水星の騎士』を購入して出る。東口に移動して,IT COFFEEで昼食をとる。アトレまで戻り,有隣堂で装丁の参考になりそうな本を購入。家内と落ち合い,アトレの西館で休憩する。夕飯用にお弁当を買って帰宅。

日曜日は事務所で仕事。校正が出てきたので送る作業などを済ませる。夕方,家内と待ち合わせ西荻窪まで出る。予約していた本を盛林堂書店まで取りに行く。ついでに島田一男の文庫本と『聖なる侵入』ともう1冊を購入した。昨日,今日で本を買うのに7,000円くらい使ってしまった。CAFEオーケストラで休憩する。記憶が乏しくなってしまったけれど,吉祥寺の羅宇屋を思い出してしまった。どういうわけだろう。つくりたての菓子にチャイ,どちらもおいしかった。

「中井英夫 生誕100年」展はとても静かな佇まいの展示で,らしいといえばらしい,原稿や葉書などをもう少し増やし賑やかにしてもよいかもしれないと感じた。展示室に続く部屋に古書,リトグラフなどが並んでいるなかに合田佐和子の油絵,ピラミッドと奇矯な人物の有名な作品が掛けてあった。200万円を切る値付けで手が出ないけれど,本物をあれだけ近くで目にすることができる僥倖。

島田一男の本は,ドイルの「四つの書名」をもとに書き換えた作品が収められている。このタイミングだから買う判断ができたけれど,これまでだったら躊躇しただろうなあ。

7/14

午前中早々に白焼きが出る。赤字チェックと素読み。帯に修正漏れがあり,デザイナーにデータの直しを依頼する。夕方に白焼きを戻す。天候のせいか疲れてしまう。合間を縫って会社のサイトを更新し,その後処理なども行なう。『少年探偵団読本』を捲りながら日高屋で少し休憩して帰宅。

ものごとに落ち着きがなくなってくると,それにつれてSNSを通した情報も荒れてくる。常時は荒れていても比較対照する感覚くらいは持てるはずが,どうも煩わしくなってくる。簡単なのは,情報のスリットを変えることで,結局,フォローを減らして調整することにした。全方位への目くばせを欠いてしまうのはリスクだけれども。殊にP-MODEL界隈の情報はどうでもよくなってきた。適切な対応ではないことは承知の上,SNSから本に戻る感じ。読み残したままのものがとにかく増えてしまい,ものごとはさておき,収拾がつかなくなっていたのだ。

いなかのじけん

初校出稿が遅れ気味。今週末には入稿原稿を揃えてしまわないと。

午前中は編集をお願いしている方とDTP担当者とで単行本の打ち合わせ。こちらの企画も刊行のめどがついた。8月に刊行がまとまってしまいそうでまずい。少しばらさないと。午後は注文書籍の発送とデザイナーとのやりとり。夕方から印刷所に行き,校正のチェック。帰りに池袋で降り,夕飯用にお弁当を購入して帰宅。暑さは少しおさまってきた一方で,雨と湿気が非道い。

アベノミクスの名のもとに実施された経済政策について,その是非を問う言説を目にする。首相の名を冠した政策から,その技術のみ取り上げて検証することに圧倒的に欠けるのは,その技術を実施した(できた)環境への視座だろう。

こうすれば,こうなる。そこまでは技術学だ。学問としての技術学には,しかし,その技術が実施可能になるための技術論=技術を可能にする原理・原則が欠けている。

アベノミクスを継続せよというメッセージには,アベノミクスを実施した体制に倣えというメッセージがついてまわる。結果としてアベノミクスを実施した実体をモデルとするしかあるまい。技術だけを持ち上げて,実施した実体はどうであっても実施可能であるというのでは,あまりに技術へのまなざしが空虚のような気がする。

時の首相と取り巻きでなければ,アベノミクスを実施できなかったとすれば,アベノミクスをいま評価し,継続せよという場合,さらに,歴史上,わが国ににおいてそれ以外の首相と取り巻きでは実施できなかったというのなら,なおさらにその手法(これはアベノミクスの技術学ではなく技術論だ)をまねるのが一番ということになりはしないだろうか。

アベノミクスを評価するメッセージに技術論が欠けていることの危うさと,なんだか感じてしまうのだ。アウトバーンを例にあげてナチスの政策のなかにはよいものがあったということと,それは同じなのだ。

いなかのじけん

日曜日は参議院選挙。

暑さのためか,早くに目を覚ましてしまった。休日とはいえ,事務所に行くのは午後からでよいと思っていたものの。朝食をとり,結局,1時間ほどふたたび横になる。したくをして選挙に向かう。与党ではないという選択肢のもと,幸い今回はどちらも当選につながった。事務所に行き,単行本のチェック。付き物のデータをまとめたあと,雑誌のデータ確認など。

18時くらいに事務所を出て新井薬師前駅まで,文林堂書店に寄る。単行本1冊を購入し中井まで戻る。おかずを買ってから帰宅。寝室の堆い本の山を崩し,『インサイド・ザ・リーグ』を引っ張り出す。

元首相の殺人事件は言論への挑戦どこか,統一協会に絡めとられた家族により被害を受けた人が私憤をはらすために行なったもののようだ。いまだ統一協会による被害者が出てしまう状況に驚く。与党が勝共連合のようになってしまったのだから浄化作用を求めるのは難しいのだろうけれど,こんなときこそ環境管理し,近づかない工夫が必要なのだ。

1980年代,原理研やマルチ商法,自己啓発セミナーなど,洗脳の手法を用いる組織のどうしようもなさはメディアでさんざん取り上げられた。思えばそれは健全な時代だったのだ。辻邦生まが”シェイクスピア的空間”と俯瞰し得るほどに。ただ,行動主義心理学を扱うときの技術論がないまま,その技術のみ医療や組織変革などにまで広がり用いられてきたなかで,洗脳の手法は生き延びてしまったのだろうな。

いなかのじけん

まずは煩雑にすすんでいた仕事について,整理できつつあるように思う。豆腐のしぼり汁ににがりを入れかき混ぜているような感覚だ。

昼は近くの中華料理店で済ませる。最初はツイッターから,昼食時のテレビでも,元首相が凶弾に倒れたとの情報が続く。新刊の表紙に用いる絵画データを手に入れるため検索しながら,TBSラジオを聴く。いや,反対だ。ラジオを流しながら検索を続ける。ワシントンのナショナル・ギャラリーのサイトでデータを見つける。ダウンロードしてデザイナーに依頼。

昨年夏の件で,先生宛に迷惑電話とでも言い得る連絡が入ったそうだ。「いくぢなし」よろしく,思い出に留め,これからについては何らかの責任を負われる必要はないと思う旨,お伝えした。

18時に吉祥寺で家内と待ち合わせているため,事務所を出る。アトレからパルコ,コピスを回り,買い物。コピスの地下でよい出物があったので購入した。夕飯を買ってから帰宅。

学生時代,ナチスの優生保護法について文献を検索していたとき,ナチスの政治理念にもとづけば優生保護法は語弊があるものの理にかなっていること。優生保護法を批判し,否定する場合,ナチスの政治理念を批判,否定することからはじめないと,妙な横やりが入るように感じた。アウトバーンの「価値」を冠がるときに,ナチスの政治理念と切り離して考えてはならないということも同様に。

第二次安倍政権の経済政策について,この24時間で,結果(なのだろうか)から価値づけをするつぶやきや書き込みを目にする。どのような理念をもった政党であろうが財政出動策を立て,実行することはできるだろう。積極財政を願うがゆえに,理念さておきのメッセージのようにそれらは伝わってしまうのではないだろうか。復古主義の理念をもつ政治組織が積極財政策と提案し,実行したとき,財政策を支持する人々は復古主義に絡めとられてしまいはしないだろうか。

第二次世界大戦中の科学者や技術者が国に動員されてしまった原因について,武谷三男は技術論の視点から整理(というか提言)している。積極財政はたとえるなら,これは技術学であり,それを可能にする技術論が必要であるにもかかわらず,現在,技術学に話は終始しているように感じる。そのことに危機感を覚えるのだ。技術学の声高な喧宣は,結局,理念なき動員に陥るのではないだろうか。

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