コクトー・ツインズとネズミ講

夏休みがはじまって,友人たちとはしばらく会っていなかった。9月の中野サンプラザ,コクトー・ツインズのライブを集合場所に怠惰な日々を過ごしていた。
もちろんライブの日まで連絡はしなかった。1か月程度のことだ。だが,魔の手はどこに潜んでいるか判らない。

その日,中野・RAREで待ち合わせた友人3人のうち2人のようすが妙な具合だ。カラ元気というかのか,テンションは高いのだが,そうしていないと沈んでしまいそうな不安定さが見え隠れしている。

「何だよ。気持悪いな」
「ハハハ,信じるものは救われるってさ」
「変な商売に手を出したんじゃないだろうな」
「ギクッ」
「何がギクッだよ」
「鋭いな」
「言えよ。黙っておくからさ」
「そのうちな。ほら,開場したぜ」

その日,サンプラザ前で,このような会話が交わされてことを,よもやコクトー・ツインズの3名は知るよしもなかったろう。

ライブは心地よく,芸のない表現だが「天にも登る心地よさ」だったと,ここではしておかねばなるまい。

ライブ終了後,地下鉄のなかでも,ライブのことはさておき,話は怪しげな商売のことに終始した。
その日,奴らは最後まで口には出さなかったが,人工ダイヤのネズミ講に絡めとられてしまったのだった。それから半年,われわれは友人のひとりがとうとう,そのネズミ講を廃業に追い込むまで,難儀な荷物を背負わされてしまった。一攫千金を狙う目は,もはや正気の沙汰ではなかったのだ。

その後,コクトー・ツインズは「天国もしくはラスベガス」というタイトルのアルバムを発表する。それこそ,あの日われわれ残り2人の心境そのものだった。
(強引なオチだ。やれやれ)

サークル名が,なぜ…

「学祭のとき,部屋借り切ってライブをやろう」

裕一が提案した。そ奴はYMOのコピーバンドからスタートして,ドラム+キーボード+テープという編成でオリジナルをつくり,ライブハウスにも出没していた。サディ・サッズの前座を務めたこともあった。
全員ステンカラーコートづくめでスミスのコピーバンドという,気が狂いそうなルックスのバンドにも声をかけた。われわれと3バンドで日に数回のステージをこなそう。話はまとまった。

何事にも手続きは必要だ。

教室を借りるにあたり,公認・非公認は問わないがサークル名と担当教授が必要だという。
担当教授は,ゼミの教授に引き受けてもらった。

「サークル名は何というの?」

そう問われて,言葉に詰まった。まだ,何も考えていなかったのだ。

「ムジークになると思います」
裕一が咄嗟に言った。たぶん,坂本龍一の「フォト・ムジーク」からの盗用だろう。

そんなありきたりの名前になるはずはなかった。ゼミ室をあとにしたわれわれは,たまり場に移った。
「音楽の友に対抗して,音楽の父というのはどうだ」徹が提案する。「音楽の友」は,学内にあったサークル名だ。
「何だかえらそうだな」
「せいぜい,音楽の父方の妹,くらいじゃないか」喬史が返す。
みんなは頷いた。
サークル名は「音楽の父方の妹」に決定した。

ゼミの教授はあきれ顔で「かっこ悪い! ムジークじゃなかったの?」
そういったきり,学祭期間中,われわれの教室に足さえ踏み入れなかった。

杉浦直樹とジョン・クリース

好きな映画は,と問われれば「ときめきに死す」と答えていた時期があった。画面に漂う空気に,丸山健二の原作のイメージがとてもうまく表現されていたと思う。
が,まじめに堪能するだけでは消費し尽くしてしまう。どうにも搦め手に入り込んでしまうのが癖だ。

杉浦直樹ってジョン・クリースに似てるな。ふと思うやいなや,イメージがやおら広がる。そうすると,これはジョン・クリースでいえば(こじつける必要はまったくないのだが)「フォルティ・タワーズ」ってことか。

いやはや,シリアスな「ときめきに死す」が「フォルティ・タワーズ」に重なってしまった。
強引だが,まったく本当に。

名画座といえばモンティ・パイソン

80年代なかば,何度,名画座でモンティ・パイソンを観たことだろう。吹き替えと,字幕を続けて観たりすると,どっちがどっちか判らなくなってしまった。
「ミーニング・オブ・ライフ」はちょっとニュアンスが違うので,ここでは「アンド・ナウ」「ホーリー・グレイル」「ライフ・オブ・ブライアン」の3作だ。

そのころ,実はモンティ・パイソン関係映画を最初に観たのが「タイム・バンデッド(バンデッドQ)」だったことに気付いた。地方劇場で「スター・ウォーズ」の吹き替え版と併映されていたのだ。

さて,ある年の正月。2年続けて,正月映画といえば名画座で観る「モンティ・パイソン」と決めていた。1月2日に当時,大塚にあった名画座をめざした。寒い1月だったことを覚えている。しかし,こともあろうか3日まで休館だったのだ。正月に休む映画館があることを知った。お陰で風邪をこじらせ,月なかばのP-MODELのライブに行けなくなった。

不思議と思い出されるのは「ホーリー・グレイル」ばかり。(アンド・ナウは総集編みたいなものだから)「ライフ・オブ・ブライアン」は脳天気なラスト以外,ふだん思い返すことはない。

人喰いうさぎをスクリーンではじめて観た時の衝撃は,今も比類なきものであり続けている。

ギャグ爆弾を利用して

娘が寝る前にお話をせがまれる。
(いきなりホームドラマみたいなシチュエイションだが)
適当な話が続くわけはない。
そんなとき役立つのが,モンティ・パイソンの「ギャグ爆弾」の構造だ。

とても面白い話があって,それがどういう話なのかはせずに,その話を聞いた人が笑い転げる場面を積み上げていく。
案外,話は続くものだ。
ただ困るのは,いつも電気を消してから,「どんな話か気になって眠れない」といわれることだが,もちろん,数分後には寝息が聞こえてくる。

弟に貸して手元にはないのだが,『モンティ・パイソン大全』に,あのドイツ語のギャグは「隣の家に囲いができたってね」「へー」程度の,昔からあるシャレだ,と書いてあったと記憶している。

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