歌詞の化石 その2

さて,2人組の社会人バンド,バンド名は最後まで定まらなかったが,仮に「COLA-L(そりゃつらい)」としておこう。
ドラムとギター,トランペットひと吹きの曲が,記念すべき歌詞付きの最初。

Title: 天才病患者

八幡の薮いらず駆け抜けろ 千人の天才病患者

暗闇に崇高な風駆け抜け
あとかたもなく 発明の王国

キミは天才病患者

短い曲だった。1分くらいだったろうか。
ベース付きバージョン,カシオトーンバージョンなど,いろいろつくったが,人材不足のため,オリジナルに帰結せざるをえなかった。
はじめてスタジオで録音したときのテープは,手もとに残っており,後日,別の曲のベースパートを被せて,音を厚くしたこともある。

歌詞の化石

かれこれ20年近くまえ,初めてメロディがついた歌詞。P-MODELどっぷりの頃に書いたから,盗作みたいだ。

Title: everything goes anything waits

由来朧げな 壁 ガラス窓
気体忘られず 行方探す

興味本位に埋もれ 理由判らず響く
興味本位に埋もれ 楔を転がす

ガラス窓の影 この身 落とす

欠くことなき術 genocide
残りし人の声  suicide

興味本位に埋もれ 理由判らず響く
興味本位に埋もれ 楔を転がす

地に着くまでの身 このみのみのみ

fin

覚えてるものだ。

曲を聞かずに,言葉数だけ合わせたもの。
メジャーコードのやたらポップな曲だったので,かなり救われた。じゃなけりゃ,いまや,目をあてられない。

一昨日分に書いた,面倒見のいい裕一の曲だ。あの日のライブで,打ち込みビッグバンドアレンジ(2ドラで生と六角。コーラス隊付きという編成)で,演奏していた。

コルグ

楽器少年ではなかったものの,シンセはT3,ギターのデジタルエフェクタはA5と,少ない機材のなかでコルグ製品が占める割合は高かった。

M1の上位機種として開発されたT3は,実は今だに使っているほど,勝手がよい。
シーケンサに2機付いているエフェクタのスイッチオン/オフ機能が何と言っても無敵だ。小節の途中で思いきりコーラスかまし,すぐにオフにすると,妙なテンションが得られ,この小細工でつくったフレーズは数知れない。
2機のエフェクタはパラレルにかけられるので,ドラムはエキサイタだけにしておいて,リズムの骨格は変わらないままなのもよい。

パソコン環境が整ってから,DTMに移行しようとしたのの,何百倍もT3のほうが使いやすかった。曲の途中でテンポを変えるのも,三連音符でカウントしていけば,3の倍数小節でぴったり合う。
あまりに使い過ぎて,フロントパネル一式交換せざるを得なくなった。
「次に同じような故障があったら,無償で交換しますよ」とはコルグのサービスマンのコメント。「これほど使い込んだT3は初めて見た」といわれた。

A5の使い勝手もなかなかだ。スタジオで指より足のほうが忙しいなんてこともしばしば。
こちらはメンテナンスしいてないので,飛んだデータはかなりあるが,もともとギタリストではないので,演奏にはあまり影響しなかった。

ステージでシールドを抜く

メンバー2名のバンド,唯一のライブには,正月に飛行機で会場まで行くことになった。
田舎に帰った面倒見のいい裕一がプロデュースしたライブに飛び入り参加させてもらったのだ。昌己はベースを抱えて搭乗した。

担当パートの都合上,トランペット,キーボード,ギターが必要だった。ギターは,調律狂っていても,弦が3本でも特に問題ないので,友人の持っているものを借りることにした。トランペットとキーボードは先に発送しておいた。
裕一宅に行くと,置いてあったギターには弦が3本しかない。いくら問題ないからといって,本当にそういう状態のものとは。
とりあえずそのギターでリハーサルした。われわれは問題なかったのだが,さすがにプロデューサーである裕一は「いくらなんでも……」絶句した。
とはいえ,正月三が日に空いてる楽器店なんてあるだろうか。訝しがるわれわれを横目に,裕一のバンドメンバーが輪をかけて面倒見のよい人で,近場で弦を調達し,その上,かけかえてくれた。

さて,本番。
P-MODELの“FLOOR”をカバーした以外はオリジナルを演奏した。オーラスは,昌己の打ち込みテープにベースとギターのノイズが鳴り続けるというものだった。
何を思ったのだろう。記憶にないのだが,当日,「最後の曲のとき,片づけはじめるから」そう告げた。

当然,本番でも片づけはじめた。
音が鳴るなか,やおらシールドを引っこ抜いて丸めた。不思議なことにそれほどの音はしなかった。途中,「何でもいいから音出せよ!」昌己はいう。その声を聞きながら,エフェクターのスイッチを切った。

「どうも」挨拶の声がして,ライトが点いた。
舞台が妙に白々としていたことだけは覚えている。
最初で最後のステージだった。

当日のようすはビデオに収録されたそうだ。こんなところにも面倒見のよさは現れる。当然,われわれは,今日まで,そのビデオを目にしたことはないのだが。

ベース弾き語り(アンプラグド)

再開。

ベースの弾き語りを見たことがある。
立川駅のコンコース。もちろんEベースでアンプラグド。
弾いていたのは喬史だ。

立川南口にスタジオをとったときのこと。
某宗教団体信者と競馬親爺がきれいに左右分かれていたから,日曜日だと思う。
東京の東からやってきた喬史は,時間より早く着いてしまったようだ。やることは他にあるだろうに,よりによってEベースの弾き語りをすることはない。第一,音が聞こえないじゃないか。
改札を抜け,左手を見ると,見知った姿があった。
唖然とし,そして爆笑した。

以後,Eベースの弾き語り,アンプラグドという姿を目にしたことはない。一度も。

その日の練習が,思いのほかひどかったことを付記しておく。

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