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雨。夕方過ぎから非道い降りになってきた。19時過ぎまで仕事。請求書発行作業は先月よりスムーズになった気がする。池袋でブックオフに寄る。矢口高雄のマンガと文庫本2冊購入。池袋では雨が止んでいたにもかかわらず,高田馬場あたりで大雨。マンガを読みながら下落合駅で雨宿り。小降りになってきたので改札を出る。が小降りは途中までしかもたない。その後は,雨宿りまでの非道い降りに戻ってしまった。

帰宅後,夕飯。テレビを見ながらパソコンでサイトの調整。

先月も書いたとおり,営業や経理の仕事は,日→週→月,とルーティンをこなしていくことが基本だと,この年になってようやく理解する。30年以上,そうした仕事に携わってこなかった。いや,業界紙の記者時代の仕事は,まあそんな感じではあった。ただ,することは日々変わるので,結果,日刊紙の下版で,今日の仕事が終わった,というようにはあまり思うことはなかった。

一日の仕事というのが,取材先に行ったり,原稿を書いたり,会見に顔を出したり。ルーティンという感じではなかった。月刊誌,年二回の名刺広告集めも,ルーティンから程遠い。

その後,出版社の編集の仕事を続けると,人によっては違うかもしれないが,およそ決まった仕事を繰り返しているようには感じない。なおさら,営業事務や経理の仕事はその点からすると新鮮だ。ただ,この仕事を10年単位でする自分の姿は想像できないし,相応しいスキルをもっているとは思えない。ただただ新鮮に感じるだけのことだ。

元町

天気予報がはずれるのはめずらしくない。雨の予報が曇りで持ちそうなので,家内と元町までチャーミングセールを覘きに行く。

13時過ぎに家を出て,渋谷経由で元町に着いたのは14時過ぎ。早いものだ。一本奥の通りにあたらしくできた花屋の二階がカフェになっている。昼食をとることにした。何という種類か知らないが白い毛を丸く刈りそろえた犬があちこちに。元町まで犬を連れて車でやってくるらしい。17時に待ち合わせて家内とわかれ,石川町のほうまで歩く。16時過ぎになったので,横浜銀行の椅子で文庫を読みながら時間を潰す。

家内と落ち合い,地下鉄駅のほうまで戻りながら,店を覘く。Kent Aveでシャツを一枚購入。元町プラザにできた食料品店で買い物。と,ここ,昨年まで洋食屋だったはず。もたなかったのか。渋谷で夕飯を買い,20時前に帰宅。夕飯をとり,STORESに数点登録。

吉祥寺

土曜日は上り框古本市の準備。家事などの都合で,家を出たのは12時過ぎ。準備を終え,13時過ぎに一応開店。ただ,並べた本に値札を差し込んでいなかったので,ひたすら値札を書く。14時半くらいに徹がやってきて,そのあとしばらくしてから昌己夫妻,伸浩も15時過ぎにきてくれた。

隣の琴の練習をBGMにくだらない話を続ける。16時までいて,片づけ。先に昌己夫妻が吉祥寺に向かった。徹,伸浩と新井薬師のラーメン店に行こうかと思っていたものの,時間が早い。結局,少し遅れて吉祥寺に行くことにした。東中野経由で吉祥寺まで。

バサラブックスを覘く。徹はもちろん伸浩もこのところ古本を買っているようで,二人ともえらい勢いで購入。レアに寄って,その後,のんきに。昌己夫妻はすでに店を離れた様子。よみたやまで行って,さすがに疲れる。GOK SOUNDの先のカレー屋まで歩く。幸い開いていて,やっと食事。うまかったものの無茶苦茶お腹にこたえた。徹とは吉祥寺,伸浩と中野で別れる。新井薬師前駅まで歩き帰宅。2時間ほど眠る。

チーズナンがお腹のなかで固まってしまっただろうか。うまかったものの,昼食抜きだったのでなおさらダメージを受けたのかもしれない。一日,学生時代みたいな感じだった。

記者

夕方から新刊修正の件で神保町まで。初刷はそのままでよいことになりホッとした。帰りに古本屋を覘こうとぶらつくものの,以前に増して駐車場化がひどくなっている。結局,アムールショップの均一で2冊100円だけを買う。日高屋で休憩。これが体調によくないのだと,この数か月でわかった。休憩せずにいるだけで体重が2kg近く絞られた。あまり休憩しないようにと思うものの,どうしたものだろう。帰宅後,30分ほど眠る。家内と娘は待ち合わせしていたらしく一緒に帰宅。夕飯をとる。

新聞記者の取材が不法侵入で逮捕されたニュースに絡めて,SNSで島田一男の小説に関するツイートがひっかかってきた。検索先をたどってみると,新聞記者が特権をもっている云々で,この手の輩かと納得し,その先をたどるのはやめた。

新聞記者が正義の人,などという話はどういう思い違いだろう。それをもとにしての新聞記者叩きだ。川内康範よろしく百歩譲って「正義の味方」というのならば,少しはその土俵で何か語ることができるかもしれないが。この手の二元論に物事を絡めて叩くのが流行っているのだろうか。1980年代のはじめの体験をもつ身としては,二元論自体を懐疑するのが当然のように思うのだ。

報道の公正性についてであれば,まだ考え得ることもあるだろう。それは正義とは話がまったく違う。そのあたりの話は散々,1980年代に語り尽くされた気がする。にもかかわらず,このところ目にする考え方や事件には,遠くはない過去の体験がすっかり抜け落ちている面は少なくない気がする。

切通理作の著作を誤読したまま論文や本をまとめてしまった大学助手は,経過を読む限り,当時の体験を持ち得ないことを結果的に武器にして,無知蒙昧さ加減を体裁で糊塗したまま物語をつくってしまったかのように思われる。

80年代を思い出すと,それは固有名詞の時代だったといえるかもしれない。固有名詞を出すことで,その背景を含めて前提が共有できる便利な時代だ。ウインドを通して普通ならば遭遇しないようなデータベースに繋がることはなかったから,固有名詞の由来を辿ることは難しくない。ただ,みずからの体験が露呈されるので,固有名詞の出し方のセンスが必要ではあった。

体験をもとにした固有名詞は誤読されづらい。好きでアクセスしたデータベースというか体験がもとになっているので,今回のように切通と大江の言説を履き違えるようなことはほぼ起きない。その漠然とした安全性を担保に,固有名詞が飛び交った。

固有名詞の意味が刷新されたとしても,そこにつながるデータベース・体験は付いてまわる。違和感を感じてしまうのは,身の丈じゃないことが多いからではないだろうか。矢作俊彦は「身の丈」などというと,この国民に竹下と揶揄したことを思い出すものの,やはり身の丈の話ではないのだ。新聞記者を正義といい揶揄するものも,切通の本を誤読するものの,身の丈に合った言葉を使っていない違和感が,だから強く漂うのだ。

Vote

その頃,小学生にとってはクラスが世界のようなものだった。それで不自由することはなく,世界を広げる必要も見当たらない。週一回,強制的に訪れるクラブ活動の時間はほぼ唯一,その世界を崩すときであったのかもしれない。幸い,私が入ったクラブに上級生はいなかった。発明クラブに化学クラブ,郷土クラブだったはずで,どのクラブも自分と同学年しかいなかった。どのクラブも翌年,なくなってしまったはずで,どのような経緯でそのクラブに入ったのか,そもそもそのクラブがなぜ成立していたのかさえ覚えていない。

おもしろそうなことは密かに行なうという習性は,いつの間にか身についていたのだ。

狭いと感じることがない世界に,それ以外から刺激を受ける時期がもうひとつだけあった。生徒会長選挙の時期だ。給食の時間になると立候補者を囲んで応援団がクラスをまわる。選挙権をもつのは4年生以上だったはずで,それまでは廊下の彼方のざわめきを妙なものとしてとらえていたように思う。「○○先輩の応援演説が面白い」そのうち,そんな噂が飛び交う。「先輩」という言葉に違和感を覚えながら,そんなものなのかとひとりごちた。

選挙権をもつ学年になった給食時間。昭和40年代は残りわずかの時期だ。立候補者を囲み,「清き一票を」の声とともに一団が教室に入ってくる。クラスと立候補者名が告げられると,どこから用意したのかラジカセが教壇に置かれスイッチが入る。流れるのは「タブー」だ。応援団のひとり,小柄で運動神経がよさそうな男性が前に出て,当時,テレビで流行っていた加藤茶を真似て踊り出す。クラス中,爆笑だ。その後,いわれるところの「客いじり」を下級生相手に巧みに演じる。

年2回の選挙で,このクラスからの立候補者は続けて生徒会長になったはずだ。本人のことなどまったく記憶にない。覚えているのは加藤茶を真似して受けをとる応援弁士の彼のことだけだ。

3回目の選挙期間,全体,出し物は明らかに派手になった。「タブー」に似た出し物を幾名かの候補者の応援弁士が演じた。子どもながらに,これは教師からストップが入るだろうなと感じた。案の定,次の選挙のとき,応援弁士たちの度を越えた催しは禁止された。開拓者であった応援弁士の彼は教師にかなり怒られたという噂が廊下伝いに流れた。

その後,生徒会長選挙は誰の目にも興味のない行事になった。選挙の時期,あの面白い催しが復活しないか期待しては失望するの繰り返しだ。

中学になると,白いソックスのワンポインがどうしたなど,自分にとってはどうでもよいことが論点になり,さらに鼻白んだ。それはただ,校則に意見をいうときの常套句にしか聞こえなかったのだ。

平成初めの選挙を体験した身にとって,それは小学生のとき,「タブー」に合わせて踊り,客いじりをして立候補者を当選させた応援弁士の競い合いと同じに映った。おもしろかったけれど,それは本筋ではない。

「当然の報いだね」とは踊ってばかりの国の歌詞の一節だ。

と,一年前にほとんど同じこと書いていた。そんな気がしたのだけど,一年前だったのか。

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