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その頃,小学生にとってはクラスが世界のようなものだった。それで不自由することはなく,世界を広げる必要も見当たらない。週一回,強制的に訪れるクラブ活動の時間はほぼ唯一,その世界を崩すときであったのかもしれない。幸い,私が入ったクラブに上級生はいなかった。発明クラブに化学クラブ,郷土クラブだったはずで,どのクラブも自分と同学年しかいなかった。どのクラブも翌年,なくなってしまったはずで,どのような経緯でそのクラブに入ったのか,そもそもそのクラブがなぜ成立していたのかさえ覚えていない。

おもしろそうなことは密かに行なうという習性は,いつの間にか身についていたのだ。

狭いと感じることがない世界に,それ以外から刺激を受ける時期がもうひとつだけあった。生徒会長選挙の時期だ。給食の時間になると立候補者を囲んで応援団がクラスをまわる。選挙権をもつのは4年生以上だったはずで,それまでは廊下の彼方のざわめきを妙なものとしてとらえていたように思う。「○○先輩の応援演説が面白い」そのうち,そんな噂が飛び交う。「先輩」という言葉に違和感を覚えながら,そんなものなのかとひとりごちた。

選挙権をもつ学年になった給食時間。昭和40年代は残りわずかの時期だ。立候補者を囲み,「清き一票を」の声とともに一団が教室に入ってくる。クラスと立候補者名が告げられると,どこから用意したのかラジカセが教壇に置かれスイッチが入る。流れるのは「タブー」だ。応援団のひとり,小柄で運動神経がよさそうな男性が前に出て,当時,テレビで流行っていた加藤茶を真似て踊り出す。クラス中,爆笑だ。その後,いわれるところの「客いじり」を下級生相手に巧みに演じる。

年2回の選挙で,このクラスからの立候補者は続けて生徒会長になったはずだ。本人のことなどまったく記憶にない。覚えているのは加藤茶を真似して受けをとる応援弁士の彼のことだけだ。

3回目の選挙期間,全体,出し物は明らかに派手になった。「タブー」に似た出し物を幾名かの候補者の応援弁士が演じた。子どもながらに,これは教師からストップが入るだろうなと感じた。案の定,次の選挙のとき,応援弁士たちの度を越えた催しは禁止された。開拓者であった応援弁士の彼は教師にかなり怒られたという噂が廊下伝いに流れた。

その後,生徒会長選挙は誰の目にも興味のない行事になった。選挙の時期,あの面白い催しが復活しないか期待しては失望するの繰り返しだ。

中学になると,白いソックスのワンポインがどうしたなど,自分にとってはどうでもよいことが論点になり,さらに鼻白んだ。それはただ,校則に意見をいうときの常套句にしか聞こえなかったのだ。

平成初めの選挙を体験した身にとって,それは小学生のとき,「タブー」に合わせて踊り,客いじりをして立候補者を当選させた応援弁士の競い合いと同じに映った。おもしろかったけれど,それは本筋ではない。

「当然の報いだね」とは踊ってばかりの国の歌詞の一節だ。

と,一年前にほとんど同じこと書いていた。そんな気がしたのだけど,一年前だったのか。

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