クリムゾンとディックをめぐる勘違い

1981年,“DISCIPLINE”を引提げて,飾り立てられたアイコンを自らたたき潰すまで,キング・クリムゾンをめぐる神話ともいうべき言説が巷を駆け巡っていた。

そのころ,滝本某が,クリムゾンとフィリップ・K・ディックの関連を意味ありげに語るライナーノーツ(ライブのパンフレットだったかもしれない)を読んだ。いわく,『SMIU』=フリップ&イーノに対して,『ヴァリス』はクリムゾンだというのだ。(符牒みたいだ。何と説明しづらいことだろう)

時,まさに『ヴァリス』の翻訳が出たばかり。
早速,入手した。
刷り込みとは恐ろしい。クリムゾンとの関連ばかりを探しながら読み進めた。すると,「帝国は1974年9月に終わった」というような意味の一節が飛び込んできた。
これに違いない。クリムゾンが解散声明は1974年9月に出たのだ。キング→帝国,意外と近いではないか。

その発見に満足してからは,とりあえず読み終えようとページをめくり続けた。(にしても相手は『ヴァリス』だ。やっかいにもほどがある)

さて,それから何度ディック再評価→雑誌の特集があったことだろう。多くは,蒸し返しばかりだった。

ただ,そのなかのひとつ記事に,件の時期1974年9月は,ウォーターゲイト事件,ニクソン退陣を意味すると記されていた。

あたりまえに考えても,ディックがクリムゾンの解散について言及する必要など,それより前に,クリムゾン自体,聞いたことがあるはずない。
そうした連想が,それほど不自然ではない時期があったということだ。

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