池内了


「グラフィケーション」で,池内了の連載を読み始めてから,かなりになる。そのたびに,武谷三男たちが積み重ねてきた論理をしっかり継承していることを感じる。まとめて単行本を読み返している。最近,金森修の『科学の危機』をめくっていて,この違いは何なのだろうと思った。

池内にあって金森にないものの最たるものは「技術論」で,ということはつまり,科学と技術の関係をどう認識しているかだと思う。

「1954年,政府が決定した突然の原子力予算(いわゆる中曾根予算)に驚いた日本学術会議は,激論の末,自主・民主・公開の三原則の下に原子力の平和利 用に踏み切ることにした。一切の情報の公開とともに,民主的で自主的である運営によってこそ研究の自由と国の技術の発展,そして国民の福祉を増進させるこ とが可能になる,との高邁な精神が込められていたのである。原爆という恐ろしい兵器を作りだした物理学者が,人々の役に立つ原子力エネルギーの民生利用の ための研究開発を行う中心となった。贖罪の意味もあったのかもしれない。

この原子力三原則は,翌年成立した原子力基本法に取り入れられたが,実は最初から空文化する危険性があった。政府見解によれば,民主の原則とは国会で承認 された原子力委員会が研究開発を指導することであり,個々の機関はそれぞれの方針と規律に従う,自由の原則とは国会の討議によって決定されることであり, 公開の原則は成果の公開であって一切の公開ではなく,それも個々の機関の判断に委ねる,というものであったからだ。研究の自由が保証されている大学では三原則は守られたが,電力会社ではほとんど無視されてきたことは(中略)明らかだろう。

(中略)

もう一つの問題点は,原理や法則性に主要な関心がある物理学者は基礎研究から始めるべきだと主張したが容れられず,応用・開発を優先する政府・経済界が主 導権を握ったことである。その結果,物理学者は一斉に手を引き,実用研究を行う工学者の手に委ねられた。原子力工学があっても原子力理学は存在しないので ある。工学者は早く実物を操作したい,より大型化したいとの欲求が強い。たとえ輸入技術であっても,それを洗練させれば外国を凌駕できると考える傾向があ る。技術輸入からのし上がってきた明治以来の習性だろうか。これが原子力ムラを形成する原因となった。技術の推進一色となり,外部からの批判を許さない状 況が作られたのである。

さまざまな分野の科学者の相互討討論・相互批判があればこそ正常な科学の発展が可能になるのだが,それが欠けていたと言わざるを得ない。国策という名目で の社会の要請,膨大な原子力開発予算,電力会社の宣伝力,マスコミの甘さ,それらが合わさって安全神話が形成されてきた。これも社会が課した科学の限界な のだろうか。」

池内了:科学の限界,p.167-169,ちくま新書,2012.

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Top