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18日に,新木場スタジオCOASTで,くるりのライブを見た。昨年のPierライブ以来,今年になって初めてのくるりだ。

感想はぽつぽつと書いていくことにして,カレーについてまとめてみる。

アンコールで,岸田繁のピアノ弾き語りで「カレーの歌」が演奏された。1970年代の終わりからコンサートやライブを見るようになってから,はじめて歌を聴いてじーんとしてしまった。そのことがとても不思議だった。

「カレーの歌」はとてもシンプルな曲で,歌詞もストレートだからだろうかとも思ったけれど,「東京」だって似たようなものだ。何回も聴いた「東京」とはまったく違うかたちで琴線をゆさぶられた。

たぶん,カレーだからなのだ,と思った。

子どものころから,嗅覚は記憶とつながる。アスファルトの焼ける匂い,土管のなかの砂と化学薬品が入り混じった匂い,古本屋の匂い,友だちの家の匂い,新しい学校の匂い,ランドセルの匂い,潮の匂い,思い出せばキリがない。

カレーの匂いも,だから,そうした記憶の1つだった。母親がカレーをつくるときの匂いは,もしかすると子どものころの記憶のなかで,いちばん慣れ親しんだものかもしれない。「カレーの香りは……」と歌われた途端,一気に記憶だけが蘇ったのだろう。それは『ららら科學の子』の主人公が銀座の近藤書店で本の匂いを嗅いだときと,もしかしたら似ているのかもしれない。小説では匂いがダイレクトにくるのだから,たまらなかっただろうけれど。

数年前,仕事ででかけたシンポジウムで聴いた話をまた思い出した。これは以前,記したはず。

大学生くらいのその女性は,精神疾患を抱える母親をもつ。小さいころは,友だちのお母さんや家と自分のまわりがなにか違うと感じながら育ったそうだ。大人になり,母親の主治医から,母親は精神疾患を抱えながら,すごくがんばって子育てと家事をやってきたことを伝えられた。でも,いまの状況では入院して休ませたほうがよいと思うので,わかってほしい。そこで彼女は,はじめてこれまでの諸々が腑に落ちた。

小学校の調理実習の時間のことを思い出して話しはじめる。

うちが友だちのところと違うと感じていたので,「ふつう」と言われるととても不安になった。その日はカレーの調理で,先生が「じゃがいもとにんじんは,おうちでふつうのカレーをつくるときと同じに切ってください」と言われた途端,こう感じた。「うちのカレーってふつうなの? わからない」。その様子をみた先生が材料の後片付けなどの役割にすぐ,まわしてくれた。

「“ふつうのカレー”といわれると不安になるんです」

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