3.11


豊島区大塚の事務所にはブラウン管テレビがあった。
そのテレビは阪神淡路大震災の様子を映したし,地下鉄サリン事件もその小さな画面越しに目にした記憶がある。
東日本大震災の記憶も,だからそのテレビ画面とともにある。

事務所は揺れたものの2階だったので,大きな被害を受けなかった。父が一人で暮らす11階のマンションに翌日出かけ,そこで福島第一原子力発電所事故にまつわる報道をみたのだけれど,そのマンションの被害の非道さに比べると,なきに等しいものだ。

仕事は17時まで行ない,残業もした。危機管理意識に乏しい管理者を前に,それでも少しは早く退社したように思う。

以前記したとおり,豊島郵便局まで歩いて速達を出し,都電で家の近くまで帰った。学習院下近くの中華料理店は営業していたし,帰り道の混雑はそれほどでない。

東日本大震災当日に,いや,その後から今日までを通して受けた被害を考えるとき,誰かと誰かを,何かと何かを,比べてはならないと思う。

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