MADNESS


昼過ぎに歯医者の予約。雨は止んだかと思うと急に大降りになる不安定な天気。歯ぎしり対策のカバーが出来上がったため,簡単に使い方のレクチャーを受けて終わり。高田馬場で昼食をとる。あおい書店を久しぶりに覗く。近々,ブックファースト名に変わるそうだと少し前のWebで読んだ記憶がある。2/3くらいの面積で足りそうな在庫で,あまり覇気が感じられない。芳林堂書店があの調子だから,あおい書店にはなんとか踏みとどまってほしいのだけれど。

会社に行き,出張で使った荷物を置く。メールが何通か届いていたので,いくつかに返事を出す。18時くらいに出て,お弁当を買って家に戻る。

その後,那智君とメールで2往復くらいのやりとりがあった。おかげでMADNESSのことをあれこれ思い出した。

きっかけは“In the City”“Driving in My Car”をCMソングとして聴いたあたりだから1982年のこと。“Our House”で決定的にはまり,きちんと聴きはじめたのはアルバム“The Rise & Fall”からだ。買ったのは前作“7”が最初で,以来,リリースされるたびにアルバムを手に入れた。“7”は中古の英国盤,“The Rise and Fall”は国内盤だったと思う

そんなことを思い出したおかげで1983,84年くらいの妙な感覚が蘇る。とにかく,面白いバンドは今が最高だから,前のアルバムをはあんまり聴かないというような空気だ。やってきたことを否定しながら,前に向かうミュージシャン,リスナーもどう変わっていくかのほうに興味があった。MADNESSの1st,2ndを買って聴いたのは解散が決まった1986年のことだ。なぜ,あれほど好きなバンドのアルバムをすべて聴かなかったのだろうかと,今にして思えば奇妙なんだけれど,当時はそれほど特殊なことではなかったように思う。Japanの1stを1982年に買って聴くというのはよほど特殊な事情がなければありえない。毎月,いろいろなバンドが新しいことを始めるので,レイドバックする必要なんてほとんどなかった。

ロックに歴史なんてほとんどなかったのだ。

もちろん50年代,60年代のクラシックロックは知識として存在を理解していたけれど,そんなものを後生大事に楽しむのはよほどの酔狂か,ただのおじさんだ。“温故知古”がネタとして共有できるようになるには,まだ少し時間が必要だった。

MADNESSは“Keep Moving”録音中にMike Barsonの脱退という危機的状況を迎えた。それにもかかわらず,アルバムの出来はすばらしい。続く“Mad Not Mad”も当時はくりかえし聴いた。決して内容が悪いわけではない。ただ,打ち込みドラムが圧倒的に幅を利かす時期にリリースしたタイミングが悪かった。せっかく味のあるリズム隊を一部,データに置き換えたのが残念だった。後のTHE MADNESSに比べると,それでも手弾きの割合は高いのだけれど。

1986年のことだ。MADNESSが解散することになったと発表された。ラストシングルは“(Waiting For) The Ghost Train”,私は12インチを御茶ノ水のディスク・ユニオンで手に入れた。B面の最後に“Seven Year Scratch”が入っていた。“Uncle Sum”からはじまり,これまでのシングルをカットアップした1曲で,途中,空気ががらりと変わる。“One Step Beyond”が鳴る瞬間だ。

つまり,私は1982年くらいからMADNESSを聴き続けてきて,解散シングルのB面で初めて“One Step Beyond”を耳にしたのだ。タイトルにある通り,MADNESSの活動期間は7年だ。今になってみると,ああ短かったのだなと思うけれど,当時はとにかく変化が激しかった。1979年から1986年は,それはそれは長い月日だったのだ。

昨日,“Mad Not Mad”リリース後のライブの動画を見てみた。大所帯で,とにかく新しいノリを生み出そうと試行錯誤している様子がとても新鮮だった。もう少しあの体制で続けたならば,“The Rise and Fall”に劣らないアルバムができたかもしれないと思った。

1992年にMADSTOCKで劇的な復活を遂げるまでの数年間,彼らがそれぞれチャレンジし,残した作品は結局,断片的なMADNESSの音楽でしかなかった。

1992年の復活後,MADNESSの歩みは決して“Seven Year Scratch”のように変幻自在ではなかったものの。

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