Party

昭和60年代が始まったばかりのある日。伸浩と一緒に,徹のアパートに行った。ウーロン茶を飲みながら,SPKだったと思うのだけれど,重機が暴れまくるビデオを見ていた。

しばらくすると麻雀帰りの昌己,喬史,裕一がきた。さらにブラバン帰りの和之まで顔を出す。17時を回っていただろうか。喬史が「夕飯,寿司にしようぜ」と提案した。徹は,いまだかつて回転寿司屋にしか入ったことがないのをネタにしていた。彼の頭のなかは,回転寿司がいちばんの贅沢で,次がテイクアウトの寿司という序列だった。アパートの近くに小僧寿しがあり,徹はそこをよく利用していた。

「そういえばさあ,パーティー寿司っていうのがあるんだ。パーティーだぜ。パーティー+寿司ってさ,いったいどんなのだよ」

そのとき,徹はさておき,他の奴は「パーティー寿司」=大人数で食べる寿司という常識くらい,たぶんもっていたはずだ。その後30年,この話を蒸し返したことはないけれど。徹は「パーティー寿司」=豪華な寿司という認識だったような気がする。「パーティー寿司ってのがあってさあ,食べたくなるじゃないか」と言われたことを思い出す。

パーティー寿司7人前の注文が入ったその小僧寿しでは,もちろんすぐにできるわけはなく,1時間後に取りにきてほしいと言われた。買い出しに出た私たち数人は,そのまま古本屋かレンタルビデオ店を眺め,7人前のパーティー寿司を確保したとき,19時をまわりそうな時間になっていた。

徹のアパートに戻り,各自1桶のパーティー寿司を目の前におく。そのときの様子を今も覚えている。徹は部屋にテーブルをおかないと決めていたのので,畳に桶を並べるものの,各自それぞれの方向を向いて食べざるを得ない。

「おぉ,これがパーティー寿司か」喬史が声をあげる。「すごいな」伸浩が続く。

歓声があがったのはそれからしばらくまで。あとは苦行そのまま,声が出なくなってくる。

「これ多くないか?」ようやく徹が気づいたようだ。「もしかして,1桶をみんなでつまむんじゃないか,これ」

「多いよ。まった,誰か気づけよ。しょうがねぇな」そういう喬史は,まるでとってつけたかのような物言いだ。和之は食べながら不機嫌になってきた。徹以外,誰もが,こんな量を一人で食べるはずないと最初から感じてはいたのだ。ただ,徹の勘違いが面白くて,ここまで来てしまった。

「ああ,もう食えねえ」昌己がギブアップしそうになるのを見た喬史が「なんだ,白いのばっかり残っているじゃないか。知らないのかよ。こういうとき,イカは先に食うんだよ」

いや,そんなこと誰も知らなかったと思う。第一,「こんなとき」という条件自体,おかしいだろ。

われわれはたぶん,こんなふうにして,それぞれの勘違いに乗りながら,ひたひたと流れがちな4年間に波風を立てつづけたのだ。

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