Diary

しばらく前,ドネーションソフト・CloverDiaryを使っていた当時のログを引っ張り出し,エディターソフトで開き,タグを打ちながらフォーマットに手を加えていった。ついでに最低限の誤植修正と用語の統一をし,ざっと斜め読みしたときのこと。ああ,この頃,大槻ケンヂのエッセイが面白くなくなり,代わりに自分で書こうとしていたのだなと感じた。結局,それは90年代にスタジオに入り始めたときの感覚と同じだ。

今日のことを書かないという約束事は,つまりネタにしてから書くということだ。それにしては冴えない書き込みが少なくないけれど,まあ身の丈だろう。その頃,元になったサイトのことを昌己に話し,いくつかのネタを読むように仕向けた。しばらくして,居酒屋でその話が出た。「オチをつけすぎだよ」と諭されたことを覚えている。

改めて継時的に目を通すと,すっかり忘れていたことがいくつもあって,正直なところ「これは重宝するな」という感じだ。自分で面白がっているときはわかるし,怒ってもいる。今日のことでなくても,そのときに書き留めておかなかったら,あっさり捨て置かれるようなやりとりが残っていたりする。無理して書かなくてもよいのにと思う日はたびたびだ。

引用を書き写した箇所は,これまでさまざまな形で活用した。コピーしてSNSに書き込んだこともあるし,仕事で使ったこともある。文献については,検索できるリストを(自分のために)つくりたいと思い,相応しいページのつくりかたを探しているのだけれど,いまだ見つからない。

WordPressに変えてから,たいした情報を書き連ねているわけでもない投稿が検索で引っかかるようで,ときどき統計情報を眺めながら,もう少し何か書き足したほうがよいかもしれないと思うこともある。なにせウェブログだというのにツイッターより文字数が少ない投稿がいくつもあるのだから。自分が検索する立場で,このサイトの情報にアクセスしてしまったら,「何だかライコス使っていたころを思い出すな」という手ごたえのなさだろう。

今日(といっても一日,二日前がほとんど)のことを書くようになってから,オチもないし,下書きなしに書いて,アップしてから読み直し,誤字を修正したり,書き直したりする。データをアップする前に校正すればよいのだけれど,この習慣は変わらない。

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