古本

読み終わったら古本屋に売る派(?)と聞いて,永井豪の漫画『デビルマン』を思い出した。

『デビルマン』の単行本を初めて目にしたには,昭和50年代の初め頃だったと思う。図書館近くの小さな書店の棚に,石森章太郎の『リュウの道』と並んでいた。漫画はすでに完結していて,そのときは第2巻が強烈だった。まゆげが伸びる,あの場面だ。絵が下手なのに迫力がある。永井豪は一貫して絵が下手だ。デッサン力がない点については手塚治虫に近く,石森章太郎から学ぶことはなかったのだろう。特に,立ち位置を描いたときの手の手持無沙汰加減を見ると,ああ永井豪の絵だ,といまだに感じる。

しばらくしてから『デビルマン』全5巻を手に入れた。当時は,『手天童子』の終わり方がすっきりとしていて評価が高く,永井豪自身,『デビルマン』よりも『手天童子』の話を持ち出すことが多かった。未完の「黄金都市編」が単行本に収められていない時期の『バイオレンスジャック』は「月刊少年マガジン」版の蛇足っぽいエピソードが災いしてか,本式に取り上げられない。そんな頃だ。

第5巻は迫力あり,悲劇的だったもののトラウマを受けるまでの衝撃はなかった。それよりも『凄ノ王』の第2巻のほうから何倍も傷を受けたことを思い出す。『デビルマン』の頃,永井豪がイメージするデーモンは昆虫由来と思しきものが多い。『仮面ライダー』の影響だったのだろうな。石森章太郎が描く怪人に比べると,全体弱そうに映る。昭和60年代以降,永井豪の漫画から昆虫モチーフの魔は姿を消した。

昭和50年の初めに買った『デビルマン』の単行本は数年後,古本屋に売ってしまった。その後,ワイド版,ハードカバー,文庫版,一巻本,加筆版と,新しいバージョンが出るたびに買っては読み,しばらくすると古本屋に売ってしまう。今,手元にある『デビルマン』は昨年末,小学館から出たバージョンの第1巻と第2巻だけだ。これもたぶん売ってしまうと思う。

永井豪の漫画は,読み終わると手放したくなってくる。傑作と言われる『デビルマン』がそうなのだから,『手天童子』も『凄ノ王』も『バイオレンスジャック』(講談社,日本文芸社,中央公論社のワイド版・文庫版)もすべて読み終わってしばらく後に売り払ってしまった。文庫版『バイオレンスジャック』の「黄金都市編」と後半,本物の早乙女門土が登場するあたりだけ100円で買ったものが残っているくらいだろう。『デビルマンサーガ』はとりあえずまだ売っていないけれど。

読み終わったら売る派の意見に,すべて肯首するものではない。でも,読み終わると手元においておきたくなくなる本,というのはあると思う。でも,売るときに「この本が次の読者の手元に届いてほしいから」と感じることはないな。

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