コトナ買い

金曜日の夕方。この前,八勝堂書店の均一棚でみた平井和正『真幻魔大戦』(文庫版)はまだ残っているだろうかと思ってしまう。一度,そうなると気になってしかたない。仕事はキリがついたし,残りは日曜日に出社して済ましてしまおうと思い,早めに事務所を出た。

帰りにクリーニングを引き取り,袋が付いていないので,セリアで調達した大き目の袋に投げ込んで池袋に。当然のように『真幻魔大戦』12冊(1~11巻,14巻)は残っていて,1冊50円で手に入れた。

駅中のロンドンパブで休憩していると久しぶりに伊野尾書店の棚を覗いて帰りたくなる。中井で降り,まだ開いていた店に入る。ハヤカワ文庫『日本SF傑作選4 平井和正』が並んでいるのを見てしまう。結局,購入。2018年の夜に,平井和正の文庫本を13冊抱えて家に帰るのは自分くらいだろうなと妙にしみじみとしてしまった。

Kindleで『真幻魔大戦』第1巻が無料配信されているので,少し前ダウンロードして最初のあたりを読んだ。出だしは面白いのだ。だけど,最後までそれが続かない。長い物語をきちんと畳めない小説家,漫画家は少なくない。中期以降の平井和正,漫画家では松本零士をすぐに思い浮かべる。

平井和正の小説を初めて読んだのは,(以前記した記憶があるけれど)角川文庫で刊行がはじまったアダルト・ウルフガイシリーズ『人狼戦線』だったと思う。記憶では数年遡った感じがするのだけれど,1982年1月刊行とあるのでそのときだったのだろう。あっという間に2つのシリーズを読み終え,幻魔大戦シリーズに手を染めた。

後に矢作俊彦の洗練されまくった一人称のような三人称文体にどっぷりと浸かった。読み返すと平井和正の文体,面白かった頃の文体は一人称のような三人称だ。初手から「おれ」で始まるアダルト・ウルフガイシリーズはさておき。80年代からこっち,だから一人称のような三人称文体に嵌るきっかけは平井和正だったのかもしれない。遭遇した時差は短いが,1981年からの5年間における1年の差は,現在では容易く5年の差に換算できてしまうと思う。

とりあえず『真幻魔大戦』の第1巻を読み返す。ある章の出だしと終わりがほぼ同じ文章で終わるあたり,矢作・司城のシリーズに似ている。ホーンブロアシリーズから人物造形を借りてくるあたりも近い。ただ,当時の徳間書店の校閲がどの程度だったか知らないが,「わたし」と「私」が混在した文章が飛び交い,思うが儘に書いて,植字して刊行された感が伝わってくるのはさすがに「言霊」が書かせた故なんだろうと感慨を覚えた。言霊だから,漢字,ひらがな,カタカナの指定まではしないのだ。同じ人物の台詞のなかで,だから「私」と「わたし」が混在する。自由といえば自由,怠惰といわれても,それは仕方ないかもしれない。

手に入れた12冊をどこまで読めるかわからないが,まずは一冊ずつ読む前にアルコールで拭いてきれいにしてからページを捲っていくことにする。

で,均一棚から10冊以上,一時に買って「しまう」ことを「コトナ買い」と称してしまおうかと思ったけれど,「コトナ」自体,まったく一般化されていないところに,さらに言葉をつくったって,情けなさに拍車をかけるだけだなあと思いながら「コトナ買い」は控えようと,すこしだけ誓う。

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