Déformation

朝から頭痛。会社に連絡して様子をみてから出社することにする。11時過ぎに支度をはじめ,12時過ぎに出社。18時過ぎに退社。中井で降り,日高屋で少し休憩した後,伊野尾書店を覘き帰宅。1時間ほど眠る。家内と夕飯をとり,Youtubeにアップされた赤い公園のPVをみる。娘が帰宅。

矢口高雄の訃報。少し前,「釣りキチ三平」の文庫を古本屋で数冊買って,読み返していた。絵が巧いというか線がまったく見事。と同時に思ったのは,昭和50年代のなかば,矢口高雄と水島新司のマンガが描いた技術の知とそれを実践する際のディフルメされた動き。石森章太郎がマンガに教養を盛り込んでしまう手癖をもう一歩進めたのは,この2人のマンガ家だろう。

中学生の頃,BCLブームと同じ時期に釣りが流行ったのは「釣りキチ三平」のためだ。ある週末のこと。友人と自転車でダムに行き,どうしたわけかそこでルアーを流し,結局,手持ちの1つを失わせてしまったことがある。石立鉄男(が演じるキャラクター)をまねしているうちに,ほとんど自分と同一化してしまったかのようなクラスメートから週明けに非道く怒られたことを覚えている。あのダムでルアー流すバカがどこにいるんだよ。1つ絡めちゃったんだって。そんなところに連れて行くからだよ,まったく。その通りだ。

ディフォルメされたからだの動きが先に立ち,技術の知を身につけるような読み方をしていなかったのだろう。野球の場合はそれでなんとかなってしまうものの,釣りの場合,そうはいかない。その後,1年くらいは友人と釣りに出かけていた記憶があるものの,その後,義父と一度だけ出かけるまで30年以上,釣竿をもつことはなかった。

赤い公園の新曲をYoutubeで聞き,見る。津野米咲の訃報以後,SNSではいろいろな情報が飛び交い,なかにはこれまで発表された曲の細部のこだわりを解説するものがあった。その1つに,歌詞の発音に合わせてギターのカッティングを調整している,というものがあった。本当かどうかしらないけれど,本式にそこにこだわるのならば,後期ザ・ビートルズや中期以降のXTCのように赤い公園はレコーディングバンドの形をとらざるを得ないだろうなと思った。ところが,新しいボーカリストになってからの赤い公園はライブバンドに変化しようとそれは熱心に取り組んでいたのだから,先の指摘はどうなのだろう,と思った。指摘されていた曲がバンドのものではなく,提供した曲だから,バンド演奏と同じにはできないのだろうけれど。

新しいボーカルになってから先のアルバム,今回の新曲とも,リードボーカルの音源が多重録音されていないことは聞くと,すぐわかった。あれは加藤和彦だっただろうか。米英のロックバンドのレコードを聞き始めた頃,ボーカルが多重録音されていて,そのことがメロディの厚みにつながっていることを発見。フォークルのアルバムだったかなにかで,ボーカルを多重録音したところ,ロックっぽくなった,という話を読んだことがある。

ただ,これはライブバンドにとってはもろ刃の剣だ。ライブになると音の薄さが目立ってしまう。ここ数年の赤い公園は,キーボードや打ち込み音の扱いを取っ払って,ボーカル,ギター,ベース,ドラム,4人で曲を立ち表すことができるよう,試みを続けてきたという認識にたぶん間違いはないはずだ。新曲2曲を聞きながら,そんなことを思った。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Top