胡蝶蘭

事務所に胡蝶蘭が届いた。私には不相応だけれども,会社の門出に期待を込めてという意味だろう。銀行口座開設の面談をwebで。まあ,そのような時代なのだ。新会社については,準備が整っていないので,SNS等で報告してこなかったものの,胡蝶蘭を撮影してまずはFaceBookに挨拶をアップした。反応があったのでホッとした。

また島田一男を捲りはじめている。『野獣の夜』(徳間文庫)の解説が面白い。加納一朗によるもので,このような箇所がある。

銀座のまんなかのMデパートの地下三階に,十数社が同居して云々,というのを,奇妙に感じられる向きも多いと思われるので,島田氏に代わって説明すると,このMデパートは松坂屋である。当時,建物はいまの半分しかなく,正面に向って左半分は終戦後駐留軍専用の,木造のダンスホールであった。デパートに売る品物がなく,上階はほとんど閉鎖状態だったころである。この木造部分の地下(作品では地下三階)は,うすぐらい廊下で,そこに添って本当に小部屋ごとに小さな事業所が入っていた。その一つに「大陸情報通信社」というのがあった。六畳にもみたないせまい部屋に,六〇ワットぐらいの電球が一つ下がり,机が三つもあればいっぱいという部屋である。部屋は新聞やら書類で埋まり,廊下にもなにやらいっぱい置いてある。

ここは終戦時,東京通信局長だった島田氏が同僚と設立した,満洲から引き揚げてくる新聞人たちの連絡と情報交換の場であった。(中略)

この地下のうすぐらい小部屋がいつまで存続したか記憶はあいまいだが,間もなく銀座が次第に復興するにつれ,ダンスホールは日本人も踊れるようになり,やがて閉鎖してあとは松坂屋シネマという映画館になった。雨後の筍のように映画館が増えはじめた時代で,このころ地下の間借人たちも整理されたのであろう。

同書,p.315-316

文庫の解説に,この手の文章を見つけることがときどきある。

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