悪所

インタビュー原稿の整理をさすがにしなければならない。まだまだ粘土を用意し,大きく削ったあたりの段階。校正作業を済ませ,少しずつ形をつくる。

土曜日は家内と待ち合わせて中野まで行く。少し買い物をしてオリエントで夕飯をとる。新井薬師前駅の文林堂書店を久しぶりに覘く。と,家内が30%オフだと知らせてくれる。10月2日で閉店するのだそうだ。とりあえず,文庫2冊を購入し,明日再びくることにした。

平成のはじめ,弟が日本を離れた後,彼の代わりに上高田のアパートに住んで早々,文林堂書店を定期的に利用するようになった。文庫とマンガがほとんどで,ときどきハードカバーを買ったものの,不思議なことに,この店のハードカバーの内容は突っ込んだところがないものが多い。とても私の読書傾向に似つかわしいものだった。

2年ほどで実家に戻ることになり,通うことはなくなった。大泉学園に住んでいた頃,一,二度来たことはあったかもしれない。四半世紀前,中井の近くに越してきてからは,以前ほどではないにしても,会社帰りや休日,ときどき利用した。少し前,岩波文庫の『与話情浮名横櫛』が安くで売っていたのを買ったときは,このあたりのラインナップもあるのかと思った。辻邦生の『春の戴冠』一冊本を買い,事務所を借りたときに,毎日少しずつ読もうと思ったものの,なんだか忙しくなって,習慣化する前に書棚に並べたままになってしまった。

古本屋はもともと悪所で,聖人君主が集う場所でも営む場所でもない。悪所だけれど町場にあり,何らかのメッセージを発信したり,ひそひそと好事家が集まったりする。聖人君主が敗れた図式だから,閉店が残念だというのでは決してない。町場の多様な姿が,駅前再開発の名のもと,小奇麗になるであろうことにため息をついてしまうのだ。

日曜日は事務所で仕事を少しすませ,午後から家内と文林堂書店に向かった。昼休憩中で,店頭をしばらく眺め,店内に入る。古ツアーさんの姿が目立った。石森章太郎の『ジュン』と内田百閒の『昇天』,『ナイチンゲール書簡集』を買った。『ジュン』は数年前から買おうかと迷っていたものだ。刊行当時,たぶんその頃,私が買った本のなかで一番高かったそれを,ていねいに読み進めたことを思い出す。親が江戸川に転勤になって以降,あのあたりの空気の悪さのせいで本が軒並みダメになってしまった。それでも老後,印西に引っ込んだ両親のマンションにまだ残っていたように思う。

マンションを処分したとき,江戸川でダメになった本はほとんどゴミとして出さざるを得なかった。『ジュン』もそのなかにあったはずだ。

文林堂書店の店頭で『ジュン』を見つけたとき,再びこの本を手元に置いておきたくなった。結局,このタイミングで買うことになるとは想像していなかったけれど。

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