少し前に読み終えた笠井潔の『アポカリプス殺人』をまた読み始めている。歳をとってから,読み返すことが苦にならないどころか,どこかあたりまえのことになってきた。
一連のエントリーのどこかに,大江健三郎が「この小説を三回読んだ」からすぐれた小説だと称した個所について,高橋源一郎が何か書いた箇所だったか,もしくは高橋源一郎も三回読んだからすぐれた小説だと記していたのか,とにかく三回読んだくらいでどうのこうのいうのはおかしいのではないかと思ったことを書いた。
いまも小説を三回くらい読み返すだけで,すぐれたものかどうか判断するのはおかしいと思う。何かを判断するために読むのではなく,ただ読むのだから。
ただし,そうなると,手元にある本を読み終えることはもはやできないのだろうと,とっくにあきらめていたことを今さら思い直すのだ。