masto

たかがSNSのプラットフォーム? ごときに四苦八苦するのはおかしいとは思うものの,この10年で情報のルートがさらに変わってしまったのだ。

さらにというのは,検索エンジンが登場してしばらくの頃,素人のサイトはアクセスしない前提でネット情報をあたっていた時期があるからだ。ネット上の情報はその程度の量と質だったのだ。素人のサイトから情報を引っ張るくらいならば図書館などで新聞や雑誌,書籍のあたりをつけて足を運ぶほうがどれほど効率的か,いや,効率的ではなく,選択肢としてじかに足を運ぶことで得られる情報のほうが圧倒的に秀でていたのだからしかたない。ライコスあたりで検索すると,ゴミのような情報までフラットに引っかかってきた。今にして思うと,それはよい時代だったのだ。優劣なく,フラットに情報は並んでいた。数年が経つと,アクセス数やなにがしかの量によって情報に傾斜がかかるようになった。足を運ぶことよりもネット上の方が秀でているかのように感じることがあたりまえのようになる。

検索サイトの選択ではGoogle一強になり,環境に管理された質が目の前を行き来するようになった。

そのほかの選択肢としてSNSが登場したような形になり,にもかかわらず質が問われるのは量の後ろ盾あってのことというのは変わりない。

Mastodonで量は分散され,とはいえ質の問題は一朝一夕に展望が開けるようには思えないな。

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