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午後から出張校正のため,午前中に作業を済ませておく。1日経つと何をしたのかすっかり忘れてしまうくらい雑多なことを片づけた。

13時過ぎに事務所を出て末広町まで。ここ半年くらい世話になっている床屋は平日の午後過ぎというのに待っている客が2名。15時過ぎには印刷所に着きたいのだけれど,順番が回ってきたのは15時前くらいだった。それでも30分ほどで終わる。あわてて印刷所に向かう。

校正の確認は30分ほどで終わる。歩いて秋葉原の方向に向かう。週末,事務所でイベントがあり,そのとき用にマレットを探しているのだ。ドラム・パーカッションを置いてあるような店には立派なマレットしかなくて,お茶の水まで行ったけれども,ここにも安手のものはない。しかたないのでネットで購入することして帰社。仕事を少し済ませる。

学生時代,義之がアパートに来たときだっただろうか。当時,矢作俊彦が「NAVI」に連載していた「ドライヴ・イン・シアター」の話になったことがある。連載第一回目はこんなふうに締められている。

だから私が,自分でつけ加えなければならない。「にもかかわらず,今,我々はアメリカの昭和六十年代にいるのではなく,幸か不幸か,日本の一九八〇年代にいるのだ」と。

義之には,この箇所の意味がよくわからないのだというのだった。わたしは,「意味」を問われるのは苦手だったし,いつものように格好のよい締め方だなあとくらいにしか思っていなかった。

昭和元年から100年が経ったと,あちこちで喧伝されている。仕事でデケイドと昭和の5年の差について少しだけ書く必要があったので,上の文章を思い出した。締めの前はこのような按配だ。

無作法にひっつけられた映画と自動車(中略)それが我が世の春を誇った時代,アメリカもまた春の盛りだった。(中略)我々はそれを一九六〇年代と呼び,アメリカ人は一九五〇年代と呼ぶ。

(中略)

そのことをポンセ君に話すと(中略)「そんなのはズレでいも何でもないさ。デケイドなんてスケールを,無理に使うからいけないんだ。ショーワで言やぁ簡単さ。君が書きたいのは。アメリカの昭和三十年代についてだ。昭和二十年代には朝鮮戦争があり,四十年代にはヴェトナム戦争があった。だからさ,——ぼくらは人の食い残しにやっとかぶりついた世代なんだ」

5年ズレた昭和でひっくくると,アメリカの食い残しに日本やフランスがかぶりついたところまでを含むことができる。初手から10年で区切って何かを語ることに意味づけなどないものの,意味がないから10年で機械的に区切ってしまうというのは悪くないと思う。

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