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2週間前のこと。三軒茶屋までくるりのライブを観に出かけた。

17時に事務所を出て,青山一丁目経由で半蔵門線に乗る。三軒茶屋には,仕事でときどき出かけていた。まだ,ブックオフが2軒あるころで,駅の南側の商店街にはまだ古本屋があった。打ち合わせの行きかえりに,だから古本屋に寄ったり,酒を飲みながら夕飯を済ませたことが何度もあった。それが,ここ数年は打ち合わせを終えるとそのまま帰ってしまう。

残ったほうのブックオフに寄り,昭和女子大まで歩く。人見記念講堂に入ったのははじめてで,やけにきれいなつくりだった。先に来ていた家内と娘と落ち合い開演を待つ。

セットリスト

  1. 真夏日
  2. LV45
  3. ワールズエンド・スーパーノヴァ
  4. 琥珀色の街、上海蟹の朝
  5. THANK YOU MY GIRL
  6. 赤い電車 (ver.追憶の赤い電車)
  7. Morning Paper
  8. GUILTY
  9. ハイウェイ
  10. 7月の夜
  11. 八月は僕の名前
  12. 愛の太陽
  13. つらいことばかり
  14. スラヴ
  15. In Your Life
  16. California coconuts
  17. ばらの花
  18. ロックンロール
  19. Liberty & Gravity
  20. 奇跡
    • アンコール:
  21. 東京
  22. Tokyo OP

WordPress6.3

くるりのライブに行ったり,小田原まで日帰りで学会販売に出かけたりしたものの,それらすべてより先にWordPress6.3のアップデート問題だ。

よほどのことがないかぎり,ここ数年,WordPressのアップデートでトラブルに遭ったことはない。ときどきアップデートがかかるものの面倒だからと思い,自動更新設定をしていたのがだいたい誤りだったのだ。

8月9日の朝8時51分,自動更新の連絡メールが入った。事務所に来てパソコンを立ち上げる。WooComeerceの注文ページを確認しようとすると致命的なトラブル発生とのアラートが現れる。ダッシュボードに入れない。まずいことになった。せっかく売れ筋の本が出て注文が少し入り始めたタイミングでサイトがダウンしてしまっては元も子もない。恐る恐る外からサイトにアクセスすると,幸いサイト自体を見ることはできている。でもこれだってキャッシュを見ているだけであって,しばらくしたら見られなくなるかもしれない。

コロナの後遺症ではないけれど,作業ペースが半分くらいになった時期の遅れを取り戻すべく,あれこれすべきことはあるなかで,サイトの修理に時間が割けるだろうか,だいたい。アップデートが原因だろうから,ネットを検索してバージョンダウン,それもWordPress本体のバージョンを下げる方法を見つけた。新たにプラグインは入れられない,ダッシュボードに入れないのだからできるはずがない。とすると選択肢はひとつだけで,ファイルサーバー上に旧バージョンのWordPressのファイルとフォルダをアップロードして上書きするというものだ。そんなことした大丈夫なのか? 100%大丈夫とはどこにも書いていない。できればプラグインは止めたほうがよいと書いてあるけれど,そこそこの数のプラグインを使ったサイトで,フォルダ名をひとつひとつ書き換えて止めていく作業をミスなくこなす自身などどこにもない。

とりあえず,旧バージョンのWordPressデータをダウンロードし,不要というか書き換えたらとんでもないことになるフォルダとファイルを削除したものを用意した。あとはいつ上書きするかだ。

日中にやって,失敗したら,その対応で,他にすすめなければならない仕事がストップしてしまう。膨らみ切った風船を左手にもち,右手に針をつまんでにらめっこし続けるような緊張感のなか,サイトの更新はせずに,それではない仕事を一つずつ片づけた。それらのめどがついたので,フォルダとファイルの更新に着手したのは土曜日の昼のことだ。

ファイルサーバーに準備したファイルをアップロードし上書きするところまではできた。問題はフォルダの上書きだ。手順としては上書きされてよいはずが,しばらく待っても反映されない。まさかフォルダを一つひとつ辿って,ファイルを上書きし続けなければならないんじゃないか,これ? 無茶苦茶不安になる。とりあえずサイト上で商品の販売までできるようにして,支払いは銀行振込からカード決済,コンビニ決済まで対応している。素人でもまあ,そのようなサイトをつくることができたのだけど,このままではまた一からつくることになるかもしれない。段取りなんてメモしていないし,まずいなあ。

バックアップしていたはずのサイトデータにもっとも必要なデータが入っていないことを確認して,復旧どころか,どこにも書いていない方法をやってみることにした。つまりは,wp-adminとwp-includesのフォルダを一度,サーバーから削除して,旧バージョンのフォルダ(圧縮して)をアップロードし,サーバー上で解凍するという作業だ,それは。

こんな方法,恐ろしくて勧められないし,やるべきではないけれど,とりあえずこの方法でサイトを復旧し,今日,いくつかのぺージを更新するできた。思い出すだけでも恐ろしい。

一男

原ではなく,島田。

相変わらず,古本屋で島田一男の文庫や新書を見つけると買ってしまう。先日,出張で京都に出かけた際,軒先の均一棚で新書3冊を見つけたので買って帰ってきた。文庫でもっているものが1冊あったけれど,それ以外の2冊をコロナで療養しているときにだらだらと読み進めた。捜査官シリーズの新書で,そのうち一冊は最初のページからしばらくなんだか不吉なシミというかヨゴレ(なんだか薄い血糊のような感じ)があって,さっさと読み飛ばしていった。もう一冊をこの前読み始めたところ,最初に登場した犯人は途中で殺されてしまった。後は殺した2人がいかにお互いを先に始末するかで物語が進み,最後まであっという間に読み切ってしまった。

捜査官シリーズは警察側から描かれることがほとんどで,犯罪者に加担できるような描写はあまりないものの,構成自体は凝ったものが少なくない。キャラクターはいつもの島田一男の小説に登場してくるパターンだから深みや重さがないのが好き嫌いわかれるところだろう。

キャラクター設定にもう少し趣向を凝らすアイディアをもっていたならば,島田一男の小説はもっと耐用年数があったように思う。というか,小説としての構造をいただいて,今風のキャラでデコレーションすれば読まれそうな気がする。日活アクション映画に対する矢作俊彦の小説のような立ち位置で創作する者が現れはしないだろうか。

週末

コロナの後遺症というよりも,寝苦しい夜が続いていて眠りが浅く,日中にそのしわ寄せがくるような按排のようだ。

土曜日は夕方に都立家政の古本屋を覘く。3,4回来たことがあるものの毎回,店は閉まっている。この前の「モヤモヤさま~ず2」で取り上げられていたので,営業していたのだと思って夕方過ぎに出かけた。新古書店というよりも普通の古本屋に近い品揃えだった。夢野久作の文庫,石森章太郎のマンガを購入。野方まで戻り,夕飯用にお弁当を買って帰宅。

日曜日は午後から仕事の打ち合わせがあるというのに10時過ぎまで眠ってしまう。シャワーを浴びて本郷三丁目まで行く。昨日のお弁当がだいたい2人分くらいの分量があって,この年になるとそんな量を食べた翌日は半日以上何も食べなくても問題ない。

13時過ぎに落ち合い,17時くらいまで企画の打ち合わせなど。病みあけだからなのか,仕事で話す機会が多い方々はおしなべて熱量が過多なのか,すっかり疲れてしまった。中野まで出て,古本屋を覘き,ヤミヤミカレーで少し早めの夕飯をとる。古本屋をはしごして帰宅。2時間ほど眠る。

月曜日は,午後から打ち合わせが一件。配本の部決をとって伝票をつくる。火曜日に伝票を渡して,水曜,木曜と雑誌の仕事を済ませなければならないはずが,郵便局で1時間くらい手続きにかかったり,入金準備と作業で時間が割かれたりで,なかなか進まない。

最初のあたりまで読んで放っておいた『ネット右翼になった父』を読み終えた。親子関係は別に何を言うまでもない。それを新書で出す必要性はないように思う。当初の企画とはまったく違う内容になったと著者が書いているものの,耐用年数の短い本を新書で出す風潮はどうにかならないのだろうか。

シン・仮面ライダー

Amazonプライムで「シン・仮面ライダー」が見られるようになったので早速,アクセスしてみた。

仮面ライダーはもともと,逃亡者モノとしてスタートしたと読んだことがある。だとすると,物語を求心していくのは真実,なぜ,主人公は逃げざるを得ないのか,また本当の犯人を見つけ出すところにできてくるはずだ。これはサイボーグ009も同じで,にもかかわらず石森章太郎のマンガでは,犯人をやっつけるところに話をもっていく。仮面ライダーもサイボーグ009も物語の構成としてはいびつな形で,にもかかわらず,それをアクションとして描き切ってしまえるところに石森章太郎のすごさがある。

「シン・仮面ライダー」は石ノ森章太郎のマンガを柱に,テレビドラマの意匠をまとわせてまとめたように感じた。

リアリティというやっかいな問題は,たとえばマジンガーZと機動戦士ガンダムとの対比を経て,大友克洋による設計至上主義というかたちで1980年代に線引きがあった。ただし,それを大友克洋自身が作品によって広げていくことができずにドラッグと超能力を糊塗して引き延ばしていくしかなかった。だからその後,リアリティとはドラッグと超能力をいかに描くかの代名詞のように扱われるようになったのではないか。

仮面ライダーにドラッグと超能力の様子はほとんど含まれていなかった。それが1980年代の仮面ライダーblackによって超能力が含まれるようになり,オリジナルドラマでドラッグの要素も加味された。

「シン・仮面ライダー」で,悪=逃亡者の真実をどのように描くか,またリアリティの問題をどのようにクリアするか,もちろん,その前に物語をどのように進めるか,これらを考えることはとてもたのしいものだっただろう。

仮面ライダーの「ライダーキック」という必殺技を立ち止まって考えると,どのような原理で敵がやられるのかよくわからない。「シン・仮面ライダー」における「ライダーキック」は敵を壁や大地まで引っ張り押しつぶすための方法としてとらえられる。これは,「童夢」における超能力を援用したものだと思う。「シン・仮面ライダー」を見て,ライダーキックの解釈がとても新鮮だったのだ。

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