ひかり

日帰りで京都出張。

新刊に関する小体な記事が載る日だったので,義理の息子に事務所に詰めてもらい電話対応を依頼する。

前日にデスクトップパソコンがクラッシュした。Amazonの再整備品+Office付き,SSD起動で40,000円弱という代物で,スペックの関係から昨年後半からWindows updateの対象にならないものだったので,そろそろ乗り換えようと思っていた矢先のことだ。3年と少し動いたので,クラッシュによるストレスはほとんど感じなかった。

NASに取ってあるバックアップの復旧というかフォルダごとのコピペが想像以上に簡単だったこともストレスを感じなかった一因だろう。自宅からノートパソコンを持ってきて,必要なフォルダをダウンロードしてはNASに展開する。半日分くらいの作業は反映されていない状況だったものの,大勢に影響はない。

ネットワークの再設定には今日の時点でもまだ元通りというわけではない。

10時前に事務所を出て東京駅経由で京都に向かう。品川乗り換えの方が早いらしいのだけれど,だいたいが自由席を利用する身としては,このところ品川乗り換えで席を確保できなかったらと考えてしまう。

車内でだいたいゲラ読み。12時過ぎに京都に着いて,近鉄に乗り換える。インタビュー前に撮影をセッティングしている。神社の境内で20分くらい,適当にとってもらうというものだ。念のため,境内をチェックしてから,駅近くの喫茶店で昼食をとる。駅でカメラマンと待ち合わせて,ざっとスケジュールを説明し,先に現地確認に向かってもらう。

定時少し前に著者と落ち合う。撮影~インタビューで仕事が終わったのは16時過ぎ。寒くなってきた。東寺まで戻り,ブックオフを覘く。何冊か購入して京都駅に着く。駅ビルで休憩しようと思ったものの手頃な店がないので,改札に入り,お弁当とビールを購入した。

のぞみ号をいつもは使う。ただホームに人がかなりいたので,何年振りかでひかり号の自由席に乗ることにした。かなり空いていて,のぞみ号よりも品川まで15分くらい時間がかかることと比較して,混雑するのぞみ号をこれまで使ってきたことを少し悔やんだ。京都までであれば,ほとんど問題ない。

帰りは品川で降りて帰宅した。

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2024年は,くるりのライブに行っていなかったのだろうか。検索していないのでわからないが,久しぶりに,くるりのライブを観に出かけた。

会場は南越谷のサンシティホール。学生時代,友人のオケを観に数回入ったような気がする。昔ながらのコンサートホールで,ステージから扇型に広がるフロアはまあまあ見やすい。

当時の南越谷駅前は,おそろしく閑散としていて,武蔵野線を使うことはほとんどなかったので,小さな古本屋にときどき行くくらいで,友人たちと駅近くで遅くまで話したこともあったような気がするが,当時は酒を飲みながら時間を潰すことがほとんどなかったので,どこかで飯でもとっていたのだろう。

武蔵野線のホームは吹きっさらしで,電車は多い時間帯でも20分に1本,夜になると30分に1本くらいだった。武蔵野線で通っていた昌己や伸浩は,中途半端な時間に駅に着くとホームまで上がらずに改札のあたりでひたすら電車が来るのを待っていたらしい。

30数年ぶりに来た南越谷は別の場所のように賑やかになっていた。JR,私鉄を問わず,ここ十数年,人の出入りが多い駅前の雰囲気そのものだった。家内と待ち合わせて,東西線から半蔵門線を経て東武線で新越谷まで行く。急行を使っても,まあそれなりに距離があった。

これまで,くるりのツアーではツアー終盤に都内もしくは近郊のチケットをとることがほとんどだった。それが今回はツアー初日のチケットを入手することになった。旧渋谷公会堂2デイズはもちろんチケットが取れず,神奈川県民ホールと比べてサンシティホールをチケットを入手したのだ。どのように記録に留めるかを考えながら次のポストに移る。

1/19

花粉が飛び始めたらしい。このところのだるさはそのせいかもしれない。11時くらいに事務所に出かけて仕事。一件,すっかり手配を忘れていたことがあって,後処理で慌ただしくなってしまった。19時近くに野方まで出る。娘から聞いたオムライスの店に行き,夕飯用に2つ買って帰る。

夜半に赤い公園のことが少しだけテレビ番組で触れられて,もちろんバンドは活動を停止しており,歴史になってはいるものの,P-MODELの活動休止中にソニックスカイが紹介されていたとしたら,同じように感じたのだろうなと思いながら少しとまどった。

矢作俊彦が作品を発表しなかった時期に森雅裕や樋口有介,斎藤純を紹介されたような,といえばわかりやすいだろうか。KING CRIMSONの文脈でUKが紹介されたというのも似たような感じがする。要はそうなのだろうけれども,当然違い,そこに欠落しているものは埋めようがないということと,埋めようがないという前提で作品に接するのはどうも違うようにも思える。眠る前にあれこれ考えたけれども,途中で容易く眠ってしまった。

1/16

朝いちばんで末広町まで行き,10分ほど歩く。仕事の打ち合わせを終えて,タクシーで本郷向丘まで移動する。

本の整理を頼まれたのは4年ほど前のことだった。もともとは空いたスペースを事務所として借りながら,有効活用できないかと相談された。かなり条件が錯綜しており,数か月の間,関係の方と面談を重ねたものの,建物を再利用するのはむずかしいと判断した。それでも,その流れで建物のあちらこちらに収納されたままの蔵書の扱いを頼まれたのだった。

一部を新設大学の図書館に収納してもらい,残りは古書店に引き取ってもらう話をすすめた。ところが,大学で本を選ぶだけのスキル(というのかわからないものの)をもった担当を専任するのにおそろしく時間がかかった。かかったというのではなく,専任できなかった。

そのまま1年近くが経った。

元はといえば,建物の持ち主の死去に伴い,家族から依頼されたことだった。当初は,蔵書をそのままにして,整理しながら資料室として使う方法を提案した。4年経てば,家族の気持ちは変わる。残された本へのこだわりは,家族の中から少しずつ消えていった。1年くらい前になると,古書店に整理してもらう話だけに絞って提案しても,すすめられそうな感触になった。会社のことで世話になった古書店に間に入ってもらい,整理をお願いする古書店が見つかったのは年明けのことだった。

11時に建物の前で待ち合わせ,家族に案内されて屋内に入る。30分くらいかけて蔵書の様子を確認し,古書店主と別れた。あとは古書店に任せ,4年前の依頼にようやく少し区切りがついた。

地下鉄の駅近くの中華料理店で昼食をとり,乗り継いで事務所に戻ってきたのは14時過ぎ。銀行に入金に出かけ,企画の打ち合わせなどを済ませる。

18時過ぎに吉祥寺まで行く。年明けに買った品物が按配よくないので交換,もしくは返却を相談する。夕飯用にお弁当を購入して帰宅する。

1/14

熱はないし,咳込むこともない。ただ,話しているとときどき喉がいがいがとしてきて咳き込んでしまう。かぜ薬を飲んでいるものの,あまりぱっとしない。

ということで,19時くらいに事務所を出て帰宅。家内は娘と食事をして帰るというので,適当に済ませる。

Amazonプライムで,トーキング・ヘッズの「ストップ・メイキング・センス」を観る。トーキング・ヘッズのライブというと1980年だったか81年だったか,FMで放送されたものを録音して,たまに聞いていたことがある。エイドリアン・ブリューがサポートしていた時期の音源だった。その後,レンタルCD屋でベスト盤を借りて,これもときどき聞いた。たまに聞くくらいで,長い間,熱心に聞くことはなかった。

それがクラウトロックの面白さをわかってから,トーキング・ヘッズの聞き方が変わった気がする。要はクリス・フランツのドラムなのだ。どれほど異化した(イカしたではなくて)リズムを乗せても,8ビート,表のノリでひたすらドラムを叩くクリス・フランツの前では,それこそモリッシーのボーカルを醤油に例えた永野にならえば,クスクスやガンボに醤油を垂らしたようなものだ。

「ストップ・メイキング・センス」でもクリス・フランツのドラムは変わらない。最近,当時,渋谷陽一が繰り出したトーキング・ヘッズ批判が批判されていたけれど,この映画を観ると,なんだか借り物さ加減が半端ないように思う。好意的にいうならば,ブラックミュージックのイディオムが感じられない演奏で,それがクラウトロックなのだろうとあらためて思った。黒人が演奏するとブラックミュージックになるというような短絡ではなく,いくら音を重ねてもブラックミュージックならない凄さ。

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