2/11

午前中から事務所で仕事。途中まで,といってもさわりだけまとめたインタビュー原稿データが見当たらない。保存していなかったらしいので,初手から原稿を作り始める。その前に,新刊のデータを登録したり,メールの返事などをしていたところ,あっという間に午後になってしまった。

3時間くらいで仕上がり4ページ分くらいのインタビュー原稿をまとめる。以前ならば録音テープを聞き返しながらテキストデータをつくり,それをもとに原稿にまとめていったので,1週間くらいかけて原稿にしたものだ。それが,録音データをフリーサイトでテキスト化し,そこから原稿をつくることができるようになったので,数分の1の時間でまとめあげられる。こればかりはネット技術の進歩に感謝する。

おまけに,以前ならば自分で聞きながら原稿化する時間がとれないときは,テープ起こしを専門に行う業者に頼んだものだった。もともとは速記屋さんというものがいて,インタビューや対談,座談会などに一緒に入ってもらう。速記録をもとに原稿化してもらったものに赤字を入れて,入稿原稿をつくった。たかだか30年前,Windows95がリリースされた頃までは,そのようにして誌面をつくったのだ。そこにはカメラマンも入るから,取材の場は仰々しくなる。1つの企画で,謝礼を含めると2時間で10数万円の費用がかかったものだから,容易に対談,インタビュー,座談会の企画はすすめられない。

カメラマンには入ってもらうものの,謝礼は実のところ30年前と同じ水準だ。速記屋さん・テープ起こし費用がばっさりと必要なくなり,謝礼も当時と同じくらいの水準なので,時間がとれるならば1つの雑誌にインタビュー,対談などの企画を複数掲載できる。

以前と同じようにして原稿をつくっている会社があるかもしれないが,こればかりは現在の環境ですすめたほうがよいと思う。

18時くらいまで作業をしてから池袋で家内と待ち合わせ。買い物をして帰宅した。

アフター・クラッシュ

出張の翌日,ネットワークを設定するものの,なかなかうまくいかない。ファクシミリ・プリンタ・スキャナー複合機とつながりづらいので,ドライバーを一式,再インストールしたもののスキャナーの保存先が設定できない。

理由はシンプルなもので,ノートパソコンを代替にしているため,ネットワークはWiFiでつないでいたのだ。もともとLANを張っていたため,LANコードをつなぎなおしたら認識した。

そろそろパソコンのデータは本体に保存せずにNASに一本化し,NASのバックアップを定期的に外付けHDDにすることに。メールのデータはサーバーに残っているし,それで不便ないような気がする。

ひかり

日帰りで京都出張。

新刊に関する小体な記事が載る日だったので,義理の息子に事務所に詰めてもらい電話対応を依頼する。

前日にデスクトップパソコンがクラッシュした。Amazonの再整備品+Office付き,SSD起動で40,000円弱という代物で,スペックの関係から昨年後半からWindows updateの対象にならないものだったので,そろそろ乗り換えようと思っていた矢先のことだ。3年と少し動いたので,クラッシュによるストレスはほとんど感じなかった。

NASに取ってあるバックアップの復旧というかフォルダごとのコピペが想像以上に簡単だったこともストレスを感じなかった一因だろう。自宅からノートパソコンを持ってきて,必要なフォルダをダウンロードしてはNASに展開する。半日分くらいの作業は反映されていない状況だったものの,大勢に影響はない。

ネットワークの再設定には今日の時点でもまだ元通りというわけではない。

10時前に事務所を出て東京駅経由で京都に向かう。品川乗り換えの方が早いらしいのだけれど,だいたいが自由席を利用する身としては,このところ品川乗り換えで席を確保できなかったらと考えてしまう。

車内でだいたいゲラ読み。12時過ぎに京都に着いて,近鉄に乗り換える。インタビュー前に撮影をセッティングしている。神社の境内で20分くらい,適当にとってもらうというものだ。念のため,境内をチェックしてから,駅近くの喫茶店で昼食をとる。駅でカメラマンと待ち合わせて,ざっとスケジュールを説明し,先に現地確認に向かってもらう。

定時少し前に著者と落ち合う。撮影~インタビューで仕事が終わったのは16時過ぎ。寒くなってきた。東寺まで戻り,ブックオフを覘く。何冊か購入して京都駅に着く。駅ビルで休憩しようと思ったものの手頃な店がないので,改札に入り,お弁当とビールを購入した。

のぞみ号をいつもは使う。ただホームに人がかなりいたので,何年振りかでひかり号の自由席に乗ることにした。かなり空いていて,のぞみ号よりも品川まで15分くらい時間がかかることと比較して,混雑するのぞみ号をこれまで使ってきたことを少し悔やんだ。京都までであれば,ほとんど問題ない。

帰りは品川で降りて帰宅した。

42

2024年は,くるりのライブに行っていなかったのだろうか。検索していないのでわからないが,久しぶりに,くるりのライブを観に出かけた。

会場は南越谷のサンシティホール。学生時代,友人のオケを観に数回入ったような気がする。昔ながらのコンサートホールで,ステージから扇型に広がるフロアはまあまあ見やすい。

当時の南越谷駅前は,おそろしく閑散としていて,武蔵野線を使うことはほとんどなかったので,小さな古本屋にときどき行くくらいで,友人たちと駅近くで遅くまで話したこともあったような気がするが,当時は酒を飲みながら時間を潰すことがほとんどなかったので,どこかで飯でもとっていたのだろう。

武蔵野線のホームは吹きっさらしで,電車は多い時間帯でも20分に1本,夜になると30分に1本くらいだった。武蔵野線で通っていた昌己や伸浩は,中途半端な時間に駅に着くとホームまで上がらずに改札のあたりでひたすら電車が来るのを待っていたらしい。

30数年ぶりに来た南越谷は別の場所のように賑やかになっていた。JR,私鉄を問わず,ここ十数年,人の出入りが多い駅前の雰囲気そのものだった。家内と待ち合わせて,東西線から半蔵門線を経て東武線で新越谷まで行く。急行を使っても,まあそれなりに距離があった。

これまで,くるりのツアーではツアー終盤に都内もしくは近郊のチケットをとることがほとんどだった。それが今回はツアー初日のチケットを入手することになった。旧渋谷公会堂2デイズはもちろんチケットが取れず,神奈川県民ホールと比べてサンシティホールをチケットを入手したのだ。どのように記録に留めるかを考えながら次のポストに移る。

1/19

花粉が飛び始めたらしい。このところのだるさはそのせいかもしれない。11時くらいに事務所に出かけて仕事。一件,すっかり手配を忘れていたことがあって,後処理で慌ただしくなってしまった。19時近くに野方まで出る。娘から聞いたオムライスの店に行き,夕飯用に2つ買って帰る。

夜半に赤い公園のことが少しだけテレビ番組で触れられて,もちろんバンドは活動を停止しており,歴史になってはいるものの,P-MODELの活動休止中にソニックスカイが紹介されていたとしたら,同じように感じたのだろうなと思いながら少しとまどった。

矢作俊彦が作品を発表しなかった時期に森雅裕や樋口有介,斎藤純を紹介されたような,といえばわかりやすいだろうか。KING CRIMSONの文脈でUKが紹介されたというのも似たような感じがする。要はそうなのだろうけれども,当然違い,そこに欠落しているものは埋めようがないということと,埋めようがないという前提で作品に接するのはどうも違うようにも思える。眠る前にあれこれ考えたけれども,途中で容易く眠ってしまった。

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