ケイゾク

対談のテープ起こしを整理する。途中から別の方に依頼した記録を整理した原稿が届いたので,そちらを1日半かけて調整して確認の依頼へ。対談テープ起こしの続きに戻る前に取材立ち合いの準備と取材で数日が終わる。

もともとテープ起こしが苦手だ。文章をまとめるとき,イメージしているのは「デッサンをもとに絵を描く」ことで,最終的に線は整理されるものの,可能なかぎり線を引いていく。石森章太郎の『マンガ家入門』だったかに1本の線に絞る(たどりつく)ために納得いくまで線を引くことという進言を忠実に守っているようなものだ。

録音テープがmp3になり,Wordにさえディクテーション機能が装備されるなか(わたしがつかっているOfficeは年間契約のものではないので,この機能を使うことができないが),2時間程度の録音データを数分で日本語にするソフト(アプリというのか,このところは)はいくつもある。

日本語にしただけでは,まったく使えないので,削ったり入れ替えたりしながら原稿をまとめていくことになる。手先の疲労感が少ないものの,結局,原稿をまとめるためにかける時間はそれほど変わらないというのが正直なところだ。

昔,速記屋さんという職業があって,対談などの場に同席し,傍目には解読できない記号で発言を残していき,その速記録を持ち帰り,読み解きながら原稿にして収めるのが仕事だった。わたしが編集の仕事をはじめた頃は同席してもらうようなことはほとんどなくなり,その場ではカセットテープをまわして録音し,カセットテープを速記屋さんに渡し,テキスト化してもらうなかでの付き合いがだいたいのところだった。

「ケバ取り」というとプラモデルをつくるときのイメージがまず浮かぶけれど,テープ起こしのレベルで「ケバ取り」といわれることがある。よほど話し慣れた人でないかぎり,言い間違いや言いよどみ,繰り返しなど,録音された音声をそのままテキストに起こすと,「そうなんだけれど,それじゃ原稿にならない」という暗黙の基準がある。ケバ取りは,まずはその基準で整理しながらテキストにまとめることを指し,人によっては,テープ起こしのレベルを数段階に分けて設定することもある。

速記屋さんの経験をもつ人に依頼すると,原稿として整理するのに手がかからない場合が少なくない。もちろん,元の話がある程度,構成されていることが前提などで,フリーハンドで話し合ってもらうと,いくら能力をもった速記屋さんであっても,届いたテキストを原稿に整理していくには相応の時間がかかる。

「早い安い」を売りにしている人は,聞き間違いや最低限の言い違いを統一するあたりの手をかけないで納品することがままある。偏見とはいえないくらいの頻度で,だ。この場合,元の録音を聴きながら,まず文意を確認し,それから原稿をまとめていくことになるので,コストパフォーマンスは悪い。

ソフトを使ったテキスト化は,「早い安い」の極北で,事前の構成をしたうえで始めた話し合いであっても,原稿としてまとめていくにはかなり大変な労力を要する。2時間の録音データを原稿にまとめるのに,2時間以内で終わることはほとんどないので,まず全体をテキストにした後で,削ったり入れ替えたりする作業を繰り返し,構成とつくっていく。1時間の録音をたとえば1,000字程度にまとめるときは,削りすぎて,聞いた話がほとんど使えなくなるという事態に陥ることもある。初手から見出しくらいつくってから削ればよいのだけれど,人の話は見出しに沿って展開するものではないので,こんなことを伝えたいと考えてもなかなかうまくすすまないし,「伝えたいこんなこと」にたどり着くにも時間がかかるのだ。

手がけている録音データの原稿作成を何とか明日あたりには終えたいのだけれど。

つういん

夕方から東村山で打ち合わせ。1時間ほどの時間を見込んでいたものの,興味深い話をいくつも伺い,時間が伸びる。18時半から昨年末刊行したタイトルの打ち上げとかこつけて,デザイナーに声をかけて久しぶりに飲み会を予定している。18時に終え,昌己に連絡し,先に進めてもらうことにして10分ほど遅れて到着した。デザイナーはすでに来ていた。

その後,声をかけた他社の編集者がやってきて,3時間あまり。打ち上げの話はほぼなしに,あれこれ話しながら飲み続けた。中井には居心地のよい居酒屋がいくつもあるので,こんなときに重宝する。

昌己とデザイナーと別れ,川沿いのミートボール居酒屋に入る。ハイボールで1時間少し,続きなど。大江戸線の最終に遅れないよう0時少し前に切り上げ,他社の編集者と別れる。

当然,土曜日はほぼ使いものにならない。一度起きて,胃のなかに食べ物と水分を放り込み,再び横になる。なんとか14時過ぎに起き,事務所で少しだけ仕事を済ませる。家内と高円寺まで買い物に出かけて20時くらいに帰宅。

1/17

そろそろ昨年の後始末に区切りをつけ,今後の企画などすすめる時期になったか,と。2週間くらいかけて,片づけのようなことを済ませてきた気がする。今年の半分の企画は済んでいるし(中に何を詰め込むかはさておき),単発の企画も,隔月ですすめるにしても,あと1冊詰めれば埋まってしまう。

寒い一日。午前中,編集者と打ち合わせ。12時前に終え,無事仕掛りの企画をお願いすることができた。午後から取次にでかけ,夕方帰社。ディクテーションソフトを試用して,昨年末の対談データをテキスト化する。おかげで,この企画もかなりめどをつけることができた。

出版契約書の雛形に手を入れ,20時から杉作J太郎のラジオ,「音楽殺人」特集を聴きながら,他の仕事を整理する。21時前に帰宅。

阪神淡路大震災から28年目を迎えた。昭和から地続きのような感触のあった世の中は,その被害とともに更地のようになった。そのから先のことに意味を見出すとともに,それまでのことを懐かしさを覚えるのは退廃なのだろう。

Fill-In

起きたら高橋幸宏さんの訃報。「まさか」を本人の声で再生してしまう。

裕一は高橋幸宏ファンというか,その作品をなぞるかのようにして創作に当時,勤しんでいた。彼が声をかけてつくった自主製作カセットテープを聴くと,ほとんどが高橋幸宏のボーカルスタイルに影響を受けたものだった。その頃,ある種の界隈ではあたりまえだったとはいえ,それは一般化できるようなものではもちろんない。SNSなどの遥か手前,にもかかわらずある種の壁をもつ同士はつながるものだったのだ。

1985年の秋。学校の教室を借り,ディスコと称して曲と映像,ライブを1日かけてやったことがある。言い出したのは裕一だったはずだ。われわれは同意し,ゼミの担当に形だけの顧問を頼み込み,手続きを終えた。

PAとモニターをレンタルし,前日の夕方過ぎにはセッティングが終わった。外に面したガラス窓すべてに黒い模造紙を貼り,発光するモニターを徹のスイッチングでライト代わりにする。前日だっただろうか,裕一が六角ドラムとキーボードのセッティングを終え,いや違う。企画が終わった後のことだった。裕一はシンセとドラム,オープンリールを回し同期をとってYMOのコピとオリジナルを演奏した。そのとき聴いた「中国女」は,正直,YMOが演奏するものよりも恰好よかった。何度か繰り返し,最後にはオープンリールを回しながら,シールドのついた六角のスネアを抱え,スティックで打ちながら踊ると何ともたのしかった。たぶん,私がロックにリズムを意識したのはあのときだった気がする。

高橋幸宏は後に暗黒期とさえ称される(最初の)東芝時代を迎える。すでに社会人になっていた私は裕一と,小原礼のライブに出かけた。中野サンプラザだった。2階席だったので,直近にチケットを買ったのだろう。たぶんP-MODELのライブ帰りに決めたのだ。定期的に会うとしたらそれくらいしか機会はなかった。

それは不思議なライブで,観客のほとんどは後半登場するという加藤和彦,高橋幸宏,高中正義が目当てなのだ。反応からそれはあからさまだった。MCで小原自ら「後半出てきますから」のような自虐的なことを言っていた。

その後半になり,「ファンキー麻雀」のイントロとともにステージ奥から1ユニットがせりあがってきた。その後何度か目にする,今井裕抜きのサディスティック・ミカ・バンドだ。再結成ライブはいかなかった(チケットをとるのも難しかったし)ので,私が演奏する加藤和彦の姿をみた最後になる。

くるりを目当てに,赤い公園も出るというのでワールドハピネスに出かけたときのことはこのエントリのどこかに書いた。1985年にある種の界隈と体感した層は,30年後,規模が様変わりしていることに驚いた。次に出かけたときは能年玲奈がリードボーカルをとる「タイムマシンにお願い」まで聴くことができた。

それが5年以上前のことになる。

1/13

発送の作業を午前中で終え,出稿用広告データをまとめる。昼過ぎに終わり,入金も済ませる。夕方に編集の方がいらして1時間ほど打ち合わせ。明日,机の下に敷くマットと会社のプレート(小さなものだけれど)が届くので少し準備をしておく。19時過ぎに事務所を出て,日高屋で少し休憩して,高田馬場のブックオフを覘く。文庫と雑誌を買って帰宅。食事の後,dynabookの調整を少しする。主にメールの仕分けあたり。

寒い。このところ笠井潔の『バイバイ・エンジェル』を読み直している。矢吹駆の現象学的直観というのはスピノザだなあと今頃気づく。

ネット上で記録をとりはじめてから今年で20年になる。10代の20年に比べると変化に乏しいとはいえ,短くはない。いつくらいから本の読み返しの時期に入ったのか,いつかチェックしてみたい。本を読み返すということは記憶させることで,外付けではない記憶のありかを裡に留めておくことだと思うものの,新鮮さばから先立って,これだけの本を最初に読んだときに数%でも多く覚えておいたなら,もう少し違った変化につながったのではないかと思うのだ。

Top