通夜

幕張メッセでの取材を終え,バスでJR幕張駅に向かう。南口の居酒屋で遅めの昼食。幕張の居酒屋では昼間から当然のように氣志團がかかっている。それにしても,海鮮丼の酢飯が温かいままなのはどうしたものだろう。たまにテレビでレポーターが寿司を食べて,「ほかほかで美味しい」などとぬかすが,いつから酢飯がほかほかで食されるようになったのだろう。1年振りに草古堂に行くが,時間がないのでざっと見ただけ。後ろ髪をひかれる思いで寂れたJR幕張駅に。新宿経由で小田急線に乗る。町田の先で18時からお通夜。終わってから駅ビルの大戸屋で4人で食事をとっていると,遅れてもう一人がやってくる。途中で急行に乗り換え,家に着いたのは22時半くらい。

20数年前,月に一回二俣川で行なわれていた検討会の主催者の1人が亡くなられた。訃報から1日しか経っていないお通夜にもかかわらず,県下はもとより遠くからも200名近くが集まった。

ここ10年以上,会っていなかった懐かしい人,人,人。仕事にいい思い出などほとんどないと思っていたにもかかわらず,30代の頃,この方たちからお話をうかがえたこと,問いを投げかけられたことは本当にすばらしい体験だったのだなと感慨一入。亡くなられて先生がこうして皆を呼び集めてくださったことに意味づけは必要あるまい。

人を取除けてなおあとに価値のあるものは,作品を取除けてなおあとに価値のある人間によって作られるような気がする(辻まこと)

時空のねじれ

幕張メッセに行くには,東京駅から京葉線を利用するのが通例だ。ただ京葉線ホームまでの距離を想像するだけで他の方法を探ってしまう。

ときどき西船橋から南船橋経由で海浜幕張に行くことがある。しかし,かなりの確率で電車に乗り間違える。鬼門は南船橋だ。同じホームから東京方面行きと蘇我、上総一ノ宮あたりに行く電車がやってくる。

南船橋と幕張の位置関係を把握していないことが乗り間違える一因かもしれない。年に一回くらいしか出かけないのに加え,仕事以外まったく用事がない地域なので初手から覚えようという気分が起きない。

今朝も乗り間違えた。何だか時空がねじ曲がっているような気がしてならない。

週末

土曜日。映画「美しい星」のチケット,2回目を15時50分から購入したため,それに合わせて一日の予定を調整する。高田馬場で朝食をとり,会社に行く。PDFからテキストを抜き出し,一本のデータにまとめる作業を始める。13時過ぎに床屋へ。1時間ほどで終わり,仕事の続き。15時過ぎに池袋に行き,「美しい星」を観る。一週間前より客が入っていた。夕飯用にお弁当を調達して帰る。

日曜日。家内と背広を買いに東京駅大丸に行く。大手町から歩き,東京駅に隣接した食堂街で昼食をとる。背広は至極簡単に決まり,裾上げの依頼をして,できあがりまで時間を潰す。八重洲地下街のバビーズで休む。家内が買い物に出ている間に,『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』を読み終えた。靴をついでに買い,背広を引き取りに大丸に戻る。娘は夕飯をとって帰るというので,東京駅に隣接する食堂街の居酒屋で軽く食べる。BGMは80年代のちょっと外れたあたりばかりかかり,盛り上がってしまった。

『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』は6割くらい面白く,でも突っ込みを入れながら読み終えた。著者がどの程度,ロックについて思い入れがあるか知らないけれど,本を読むかぎりでは,嵌ったことがないのかもしれないと思った。だから勝ち負けで容易く切れるのではないか,と。

あと,語られるなかで面白いところは,10年前に矢作俊彦が内田樹,高橋源一郎との鼎談で言っていたことと重なるところで,だからあまり新鮮味はない。テープ起こしの体裁をとっているけれど,これは著者が一人二役で書いたのだろうな。

映画「美しい星」をもう一度観て,選民思想が一人称でしかないことが露わになっているなあと感じた。だから二人称,三人称をふたたび獲得するためには,一人称は潰えなければならない。結局,80年代って一人称の時代だったのだというのが発見。

最後の円盤の台詞はたぶん,P-MODELの「回収船」の引用だろう。

映画「美しい星」は二度以上,観たほうが面白いと思う。あと,シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』あたりは読んでおいて損はない。

I’m Only Sleeping

気圧の変化に伴って体調が無茶苦茶悪い。午前中というか始業早々,仕事にならないほどのだるさ。対談のテープ起こしをしながら,何とか夕方くらいから落ち着いてきた。19時頃会社を出る。新大塚まで歩き,出口近くのケーキ屋で買い物。高田馬場のプラットフォームで娘と同じ電車になり,一緒に帰ってくる。とりあえず21時くらいまで寝た。夕飯をとってようやく落ち着く。

季節外れの花粉症のため,抗アレルギー薬を処方してもらったはいいものの,強烈な眠気に襲われ,普通に服薬していたのでは仕事にならないほど。早めに飲んだり,一日おきにしたり調整したものの奏功せず。花粉症(なのか?)の症状は少しおさまったので飲まずにやり過ごすことにした。お酒も一日抜いた。といっても,大した量を飲むわけではないが。

今後,この時期がこんな調子だと,一年の1/3は低調だということになってしまう。早く舌下免疫療法を始めよう。ただでさえ,一年が過ぎるのは早いのだ。

話はない

夕方,出来上がった本を届けに虎ノ門に行く。帰りに虎ノ門書房で浅羽通明『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するか』(ちくま新書)を買い,渋谷に向かう。道玄坂の王将で早めに夕飯を済ませて,ライブハウスO-nestに。HAPPYの7inch 発売記念ライブ。家内,娘もやってきて5階にあがる。

O-nestには初めて来た。娘は友だちのライブを見に一度来たことがあるという。ビルの5階が受付で,ワンフロア降りたところがフロアになっている。250人程度のキャパシティで,ビルの4階だから当然,天井が低い。昔の新宿ロフトを少し小さくしたような感じだ。ドリンクチケットを缶ビールに換えてライブを待つ。まだ60人くらいの入り。

3バンドがそれぞれ1時間弱の持ち時間のようで,最初に登場したのはJappers。ギター2本のほかにスチールギターが入り,キーボードにリズム隊という編成。ギターは交換したりして,アコギ1本+エレキ2本になったりもする。キーボードは白玉を押さえるくらいで,キーボード的な役割はスチールギターが担当しているようだ。歌詞は英語,ブリティッシュロックテイストはHAPPYに通じる。最後に続く流れで,テレビジョンの“Marquee Moon”風絡みから始まる曲が鳴った。ところが,リズムが早急に変わり,いつの間にかJoy Divisionの“Transmission”風に。そういえば,ドラマーの叩き方はスティーヴン・モリスに似ている。最後の曲のバスドラの音なんて,もろそのまんまで恰好よい。こんな機会でもなければ聴くことはなかっただろう。

次は,踊ってばかりの国。後で検索したところ,メンバー交代したばかりだそうで,左右2本のギターがまだバンドにしっくりなじんでいないように見えた。音は別として。フィッシュマンズやボ・ガンボスを思い出すという書き込みを見た。確かにそうなんだけれど,実はどちらもあまり好きではない。ライブを見たことがなかったからなのかもしれないが。ところが踊ってばかりの国はとてもよかった。下津の目つきは昔の町田町蔵みたいにギラついている。「デイ・ドリーム・ビリーバー」を換骨奪胎したかのような「話はない」をナマで聴いたら,このバンドのファンになってしまうのは当然だろう。家に戻ってから,あれこれチェックした。この体制でバンドが続くことを祈る,切に。

トリはHAPPY。踊ってばかりの国の後に登場すると,なおさらにメンバー相互のコミュニケーションのよさを感じる。このバンド,何度か見たが,結局,ベースの鬼のような安定感が肝なのだ。音がぶれないし,力強く響く。“Lucy”などとともにリリースされたばかりの新曲や,出来立ての曲も披露されて,このキャパシティで見られるのはいつまでなのだろうかと感じるくらいのステージだった。英語の歌詞は,ドメスティックで勝負するにはリスクなのだろう。アンコールに応えて,ライブは終了した。

HAPPYはワンマンよりも,今回のような対バン企画を増やしてほしい。

娘はまだギリギリ10代だから違和感ないものの,家内が娘にくっついて最前列に陣取ってしまったのには唖然とした。どのバンドにとっても,最前列最長年齢記録を更新したんじゃないだろうか。踊ってばかりの国の“OK”で,下津がバーに足をかけたんだけど,リフトに行くんじゃないかと一瞬危惧した。私のまわりは群れからはぐれたかのような男ばかりだった。段差の上,スピーカーの前だから,とてもよい位置で見られたのだけれど。

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