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朝いちばんで末広町まで行き,10分ほど歩く。仕事の打ち合わせを終えて,タクシーで本郷向丘まで移動する。

本の整理を頼まれたのは4年ほど前のことだった。もともとは空いたスペースを事務所として借りながら,有効活用できないかと相談された。かなり条件が錯綜しており,数か月の間,関係の方と面談を重ねたものの,建物を再利用するのはむずかしいと判断した。それでも,その流れで建物のあちらこちらに収納されたままの蔵書の扱いを頼まれたのだった。

一部を新設大学の図書館に収納してもらい,残りは古書店に引き取ってもらう話をすすめた。ところが,大学で本を選ぶだけのスキル(というのかわからないものの)をもった担当を専任するのにおそろしく時間がかかった。かかったというのではなく,専任できなかった。

そのまま1年近くが経った。

元はといえば,建物の持ち主の死去に伴い,家族から依頼されたことだった。当初は,蔵書をそのままにして,整理しながら資料室として使う方法を提案した。4年経てば,家族の気持ちは変わる。残された本へのこだわりは,家族の中から少しずつ消えていった。1年くらい前になると,古書店に整理してもらう話だけに絞って提案しても,すすめられそうな感触になった。会社のことで世話になった古書店に間に入ってもらい,整理をお願いする古書店が見つかったのは年明けのことだった。

11時に建物の前で待ち合わせ,家族に案内されて屋内に入る。30分くらいかけて蔵書の様子を確認し,古書店主と別れた。あとは古書店に任せ,4年前の依頼にようやく少し区切りがついた。

地下鉄の駅近くの中華料理店で昼食をとり,乗り継いで事務所に戻ってきたのは14時過ぎ。銀行に入金に出かけ,企画の打ち合わせなどを済ませる。

18時過ぎに吉祥寺まで行く。年明けに買った品物が按配よくないので交換,もしくは返却を相談する。夕飯用にお弁当を購入して帰宅する。

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熱はないし,咳込むこともない。ただ,話しているとときどき喉がいがいがとしてきて咳き込んでしまう。かぜ薬を飲んでいるものの,あまりぱっとしない。

ということで,19時くらいに事務所を出て帰宅。家内は娘と食事をして帰るというので,適当に済ませる。

Amazonプライムで,トーキング・ヘッズの「ストップ・メイキング・センス」を観る。トーキング・ヘッズのライブというと1980年だったか81年だったか,FMで放送されたものを録音して,たまに聞いていたことがある。エイドリアン・ブリューがサポートしていた時期の音源だった。その後,レンタルCD屋でベスト盤を借りて,これもときどき聞いた。たまに聞くくらいで,長い間,熱心に聞くことはなかった。

それがクラウトロックの面白さをわかってから,トーキング・ヘッズの聞き方が変わった気がする。要はクリス・フランツのドラムなのだ。どれほど異化した(イカしたではなくて)リズムを乗せても,8ビート,表のノリでひたすらドラムを叩くクリス・フランツの前では,それこそモリッシーのボーカルを醤油に例えた永野にならえば,クスクスやガンボに醤油を垂らしたようなものだ。

「ストップ・メイキング・センス」でもクリス・フランツのドラムは変わらない。最近,当時,渋谷陽一が繰り出したトーキング・ヘッズ批判が批判されていたけれど,この映画を観ると,なんだか借り物さ加減が半端ないように思う。好意的にいうならば,ブラックミュージックのイディオムが感じられない演奏で,それがクラウトロックなのだろうとあらためて思った。黒人が演奏するとブラックミュージックになるというような短絡ではなく,いくら音を重ねてもブラックミュージックならない凄さ。

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昼前から事務所で仕事。相変わらずシガー・ロスを流している。確かに70年代前半のピンク・フロイド風にも感じられる。

18時くらいに事務所を出て吉祥寺まで行く。家内と待ち合わせて買い物。ブックオフに寄ってから夕飯をとり,21時すぎに戻る。東中野で買い物の続きをしてから帰宅する。

会社のサイトの調子が悪い。WordPressかWoocommerceあたりのアップデートの関係かと思ったら,決済プラグイン絡みだった。今のご時世,専門家に対価を払わずにサイト立ち上げから本の販売までできるのはよいものの,それだけ管理上,手がかかる。

10数年前,WordPressにこのサイトを移してみてよかったとは思うのだけれど。あの体験がなければ,自力で会社のサイトをつくろうなんて思いもしなかっただろう。

 

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昼,ひさしぶりにクリクリコーヒーまで買い物に出る。このところコーヒー豆の値上がりを実感するようなものを飲んでいなかったのだと思う。

学会関係の仕事をすすめながら,20時くらいまで事務所。数日前,生まれてはじめて生きた紙魚を事務所で見たため,ゴキブリ駆除用のキットをいくつか置いた。まさかとは思うものの,紙魚に増殖された日には商いへのダメージは強烈だ。

年明けにYoutubeで坂本龍一の作品を流しながら仕事を始めたところ,ここ数日はシガー・ロスばかりになってしまった。

連載「真夜半へもう一歩」第2回を読み終える。単行本化の際に加筆された米軍との絡みはなくてもよかったのではないかと思う。それが二村永爾シリーズを成り立たせる柱のひとつであったとしても。「キラーに口紅」の加筆で手応えを感じたのか,手の加え方がとても似ている。それがシリーズとして『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』に結実するとはいえ。と,どうしても保留付きで感じるのだ。

三人称

『マイク・ハマーへ伝言』の第2刷を読み返す途中で「真夜半へもう一歩」連載第1回を読み終えた。三人称で一人称のような文体。たぶん矢作俊彦の文章に打ちのめされたのは,こういう表現があるのだという驚きが一因だった気がする。もちろん,それ以外にもいくつもの要因があるのだけれど。

ただ,一人称のような三人称の文体が流行することはほとんどなかった。それがこの数年,二人の作家の小説を読んで,一人称のような三人称だなあと感じた。一人は藤岡陽子で,もう一人は伊与原新だ。

藤岡陽子はみずから一人称のような三人称の文体が好きだとどこかで語っていた。伊与原新がどう考えているのかわからないけれど,この二人の小説を読みながら,一人称のような三人称の小説の面白さというか,一人称にしないことで物語に神の視点とは違った視点が生まれ,読者はそこに吸い込まれていくのかもしれない。

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