会社帰りに川島先生が書かれた岩波新書を買おうと,それでも小さな本屋を巡った。茗荷谷の本屋には岩波の新刊はなくて,中井の伊野尾書店もよく見ると岩波の本はない。あれだけ面白い本を仕入れても岩波を仕入れるリスクは大きいのだろう。
棚に面で杉作J太郎の『恋と股間』が再発されていたので,代わり(ではないが)買って帰った。
会社帰りに川島先生が書かれた岩波新書を買おうと,それでも小さな本屋を巡った。茗荷谷の本屋には岩波の新刊はなくて,中井の伊野尾書店もよく見ると岩波の本はない。あれだけ面白い本を仕入れても岩波を仕入れるリスクは大きいのだろう。
棚に面で杉作J太郎の『恋と股間』が再発されていたので,代わり(ではないが)買って帰った。
サイボーグ009完結編の漫画が出ていたので,つい買ってしまった。
描いている人たちの表現力がプロの域に達していないのが何とも致命的な作品,というしかない。構図,カット割り,デッサン力,そして線の力。すべてが借り物で身に付いていない。トンデモ漫画として語り継がれれば御の字だろう。
うそで思い出すのは夢野久作の「少女地獄」。親にも関係することでうそをついていたころ読んで,つまりは高校時代なのだけれど,身につまされた。うそはうそを呼ばなければ,物語は安定しないということを小説にしなくてもいいじゃないかと思いもしたが。
うそをついて収拾がつかなくことが見えてしまうから,娘がついたうそにきつく対応している。
斎藤環が岩波の本で,東日本大震災後の「善意」について書いている一文が印象に残っていて,昨日,地元の書店で開沼博の『フクシマの正義』を買ったところ,この「善意」についてかなり辛辣に記されていた。読み終えていないが面白い。
量を飲めなかったことも影響しているのだろうが,40歳を過ぎるまで,酒を飲んで記憶を失くした記憶はない。と書くと心もとないので,記憶を失くしたことはない。
40歳を過ぎたころから胃がひっくりかえらずに,それでも長い時間にわたって酒をのむことができるようになって後,ときどき,あの時間にあったい何を話していたのかすっかり記憶が飛んでいるときがある。
先日,昌己を誘って知り合いのイラストレータと飲んだときのこと。18時くらいから飲み始めて,気がついたら23時を回っていた。はじめは指し向いで飲んでいたので,何を話していたのか記憶はまだあるのだけれど,19時を過ぎたくらいから23時まで,少なくとも短い時間とは言えない時間,私たちが話していたことは断片しか記憶にない。
記憶になくても,まったく支障のないことを話していたのだと思う。