このところ

11月10のみちくさ市への参加前後あたりに書こうと思ったものの,多重課題の日々でなかなかポストが埋まらない。

みちくさ市は前日に並べる本を選び,値付けしながら,持ち運べる量に抑えていくという,このところの段取りに沿ってすすめた。

文庫本の蔵書が非道い量になっているので,減らそうと思って選ぶものの,次の読者の手には渡りそうがない本ばかり目につく。結局,単行本と雑誌をそこその冊数増やした。

当日は曇り空のなか,半年ぶりにカートを引っ張りながら目白駅経由で雑司ヶ谷まで行く。受付を済ませ,本と雑誌を並べ始めるとぽつりぽつりと雨が落ちる。全体を軒のほうに移動させて11時前にはセッティングを終えた。

最初に売れたのは平井呈一の『真夜中の檻』。その後は少し売れては閑散とするを繰り返す。12時過ぎに家内が助っ人にきてくれたので,明治通りの方まで昼食を取りに行く。帰ってくると娘夫婦がやってきた。

16時少し前まで店を張って撤収する。30冊くらい売れ,春よりは金額は低いものの,コロナ前よりはよい感じで本が手離れする。

娘夫婦と池袋まで歩き,喫茶店で休憩して別れる。夕飯用にお弁当を調達して帰宅。

と,このくらいなら翌日にでも書けたものを。

ザ・ギャンブラー

洞口依子映画祭 パート2で矢作俊彦監督作品「ザ・ギャンブラー」が上映されるというのでチケットを予約した。当日は矢作監督も登壇されるというのでたのしみだ。

とはいえ,月曜日の下版が朝2時までかかってしまう。22日に出張校正が終わってからは手持ちの仕事があまりすすまない。

24日の木曜日は単行本の作業に区切りをつけて17時くらいに家を出た。渋谷に着いてから地下を通って文化村通りに出る。ところが東急本店がないものだから,ただでさえ斜め上下に交差する通りばかりの円山町で,すっかりユーロスペースを見失う。コロナ前,LOFT9で古本市をやったのと同じ場所にもかかわらず,オン・エアが左右に見えるあたりをいつの間にか超えてしまった。どうにもこれは違うなと思い,来た道を戻ると,すっかりユーロスペースの前を通りすぎていたことに気づく。

軽く夕飯をとってからユーロスペースに向かった。1階のカフェで洞口さんと矢作さん,他数人が話している様子を眺め,エレベーターに乗る。

「ザ・ギャンブラー」はレンタルビデオが出たときに観て,その後,セコハンのビデオを買ってから観た。シネスコサイズのスクリーンを日活は埋められないようになったと矢作俊彦はどこかで書いていた気がするが,ビデオで観たときの感想は,間隙の多さだった。人の溢集を描くには,予算があまりに少なかったのだなあと上映後の座談で知ったけれど,人いきれが感じられたのは,カードゲームの後半,徹夜明けの場面,人が少なくなってからだった。

主人公は傑という名で,演じた俳優はどこか,あぶらだこのヒロトモに似ている。ドラッグで捕まり,その後の道を閉ざしてしまったように記憶しているが,活舌が手慣れてくれば,おもしろい俳優になったのではないかと思った。洞口依子映画祭とはいえ,誰も主人公について一言も触れないというのは不思議な気がした。

島田一男の『珊瑚礁殺人事件』のネタバレをしたからと言って,誰も困ることはもはやあるまい。1985年に書かれたこの小説の背景にあるのは1997年の香港返還だ。マリアナ諸島のロタ島に香港をそっくりもってこようと画策する一派が,島の土地を買い占めようとする計画の中で殺人事件がいくつか発生する。

犯人のひとりが時速85マイルでグアムの米国空軍基地ゲートのインターセプトのバーをぶっ飛ばして突っ込み,T字路で前半分,アコーディオンのように縮んだ状態で発見される。小説では,ここがラスト前に当たるのだけれど,この後から始まる小説を矢作俊彦が書けばよいのになあと,読みながらずっと思っていた。

島田一男の小説だから,登場人物の造形や動機などは側物的なもので,いかようにも仕立てられる。そんなことを思いながら,昔の「Title」を捲っていたところ,しばしばキューバに通っていた頃の矢作俊彦のエッセイが掲載されていた。というか,エッセイが掲載されているから,今も書棚に収まっているのだが。

ロタ島ではなくキューバではどうだろう。1980年代半ば,香港返還を前にキューバに香港をもってこようとする一派。共産キューバに移るのはおかしなことではあるものの,グアムあたりの島よりも面白くなりそうな気がする。

9/16

月1エントリくらいは残しておかなければ。

午後から所沢の倉庫まで棚卸の予定。午前中に済ませる仕事を片づけ,どのようなルートで行こうかと考える。

ひばりヶ丘で古本市が開かれているので,行きか帰りに寄ろうかと思う。行きに寄るとなると,軽い昼食を含め,40分程度の時間しかない。帰りに行くかどうか迷いながら所沢に向かう。

倉庫は東所沢なので秋津で武蔵野線に乗り換える。昼食は駅ナカのつけ麺店に入ってみる。よくあるタイプの店だったものの麺の上に乗っているチャーシューというかローストビーフのようなものがやけに赤い。大丈夫かなと思いながら,それでも食べ終える。

秋津まで行き,新秋津まで歩く。駅前に古本屋が一軒あるのだけれど,水曜日は定休日だ。念のため店先まで行ってみたものの当然閉まっている。武蔵野線に乗り,東所沢まで出る。いつも土産を買う洋菓子店が締まっていたため,スマホで検索して,駅の反対側にもう一軒,洋菓子店があることがわかったので,そちらで土産を購入。

正確な数字というよりも,実際に在庫を目で見て,どう処理していくかのための棚卸なので1時間ほどで終える。来た道順を辿り,新秋津から秋津の間のちょっとした商店街でパンを購入。15時くらいにもかかわらず,立ち飲み屋はほとんど満員。まあ立ち飲み屋だから通りの方に出てしまえばスペースはそこそこ確保できるとはいえ,まあ盛況なことだ。

秋津の改札を通り,ひばりヶ丘に行くには向かいのホームに渡るのだなあと思うと面倒になり,所沢経由で事務所に帰った。

加藤和彦の命日か。『あの素晴しい日々』(百年舎)で面白かった箇所。

歌謡曲のメロディーっていうのは,音楽的に分析すると,コリアン・メロディーでしょう。いわゆる中国系,ペンタトニック系っていうのはコリアン系統じゃないよね。コリアンが悪いってわけじゃないけど,なんか歌謡曲,演歌に通じると。これは完全に日本のベーシック音楽だよね。本当は日本のベーシック音楽は純邦楽だけれども,またそれと一クッションおいて,中国っぽくやると,たとえば非常にうるさいミュージシャンでも許せてしまう,というのがあるよね。

一回,教授(坂本龍一)とその話をしてて,「教授も日本ていうけれども,結局やっているのは中国だろう,なんで日本じゃないの?」って話をしたことがあるわけ。そしたら,ポロっとね,「いや,実は本当は僕はね,フォーク・ソングみたいなのつくっちゃうんだ」って言うわけ。これが本当かもしれないっていう。だからそれほそうだけど,なんで中国っぽくするとかっこよく見えて,完全な演歌みたいなのがかっこ悪いってわかんないね,って話を昔にしたことがあるんだけれども,いまだに僕わかんない。なんででしょうね。(p.170)

休日

少し前,神田にある早川書房の喫茶室に行った。置かれてチラシをもってきて,9月に船堀でアガサ・クリスティーの戯曲『殺人をもう一度』がかかることを知った。家内が予約をして,久しぶりに都営新宿線に乗り,中川を越えた。

劇団フーダニット第23回公演『殺人現場へもう一度』を観る。第1幕は,演劇というよりもラジオドラマでいいような印象で途中少し眠くなってしまったが第2幕に入ってからは緊張感がみなぎり,とても面白かった。

帰りに森下で途中下車する。7年前,古書ドリスが森下に店を構えていた頃,ネット経由でやりとりが始まっただるぶっくすさんと森下の古本屋で待ち合わせして飲んだとき以来かもしれない。だるぶっくすさんはその後,南から来た円盤回しとして,Loft9の古本市のとき手伝ってくれた。売上をポケットに突っ込み,センター街のTHE ALDGATE British Pubで売れた分だけ飲んだ。なんだかたのしい思い出の初っ端が森下から始まった。 その頃はまだなかった古書しいのき堂を覘く。古書ドリスからサブカルの臭いを消すとこのような感じの品ぞろえになるのかもしれない。じっくりと棚を眺めてしまう。

竹内敏晴さんの本が数冊並んでいて,読もうと思いながら読んでいなかった『レッスンする人』を買う。立川の賢治の学校で竹内さんのお別れ会があったときだったか,その後だったかに買おうと思ったものの,そのときは『「出会う」ということ』を手に入れたのだったと思う。 帰りの電車で読み始め,布団に入ってから,ざっと最後まで読み終えた。からだとことばの戦前・戦中史とでもいう内容で,おもしろく読んだものの,同じく藤原書店のセレクションに感じたのと同じく,どうも竹内さんのおもしろさの手前で立ち止まっている本のように感じる。

野苺

チェックインして後,温泉に入り,夕食後,別の温泉に入った。このあたりは熊が出るようで,熊避けの鈴をフロントで借りた。

部屋に戻ってから帰りのために,行きとは違う経路を探し始める。高崎や長野まで出てから軽井沢に戻る経路を含め,何とかなりそうなものを見つけるまで数十分かかる。昔であれば,時刻表と地図を捲りながらメモを取っていくのだろうけれど,スマホのブラウザからタブを増やしながらルートを開き,ときどき乗り換えアプリで確認していく。

結果,万座・鹿沢口駅から長野原草津口駅まで出るのではなく,羽根尾駅まで行く経路を見つけた。不安だったのは羽根尾駅周辺に,時間を潰せそうな場所がほとんどないことだった。計算では,吾妻線を下車し,バスに乗り換えるまで50分ほど時間が空くことだ。加えて,「国道三起点の碑」なるものにほど近いバス停から旧軽井沢までの道は,往路と変わりのない蛇行,高低差,さらに強烈なものかもしれない。明らかな違いは,万座・鹿沢口駅から羽根尾駅までの10数分の移動がバスではないということだ。

翌朝,9時45分発のバスに乗り込む。万座・鹿沢口駅まで45分。前日の移動のおかげで,この程度のバス移動が短く感じられるくらいにはなっていた。駅で降りたのは私たち以外に7,8名。その誰もが駅の待合室で吾妻線を待っている。20分ほどしてホームに入ろうとして初めて,駅員の姿が見えないことに気づく。改札にはタッチパネルが表裏に一か所ずつ付いた一台のタッチパネルがあるだけだ。とりあえずSUICAでタッチしてホームに上がる。電車に乗り込み10数分,羽根尾駅に着いた。想像していたよりも遥かになにも見当たらない。

移動行程と併せて,羽根尾駅近くで時間を潰すことができそうな場所は探していた。バスの時刻を確認し,その店まで移動する。ロマンチック街道沿いにふさわしいつくりの外観とはいえ,創業50年近くの店からすると未来にいる私たちには輝かしいものには映らない。入口から中を覗こうとすると,待ち構えていたかのように扉が開き,店の人と思しき女性が顔を出す。

羽根尾駅にも駅員の姿は見当たらなかった。それどころか,ICカードのタッチパネルさえも据えられていない。そのまま改札口を出てきたつけは上野駅まで持ち越すことになる。羽根尾駅はだから,いくつかの忘れることができない出来事と結びついてしまう。いくつかのとても大きな割合を,呼び込みに出てきた女性が占めているのだけれど。

Top