5/12

夕方から新宿で打ち合わせ。数か月前,企画をひとつ相談された方。もともとは,一連のエントリーの最初期,一度,会社を移る状況になったとき,相談に乗ってくださった方だ。そのときは条件が折り合わず,別のかたちを選択した。ただ,昌己は別にして何人かの共通の仕事の知人がいたため,年末に新宿に集まり,最後は東口のキャットで終電間際まで飲むようなことが幾度かあった。

企画のその後から,もろもろ話が広がってしまい,16時半から2時間以上話し込む。戦後の少し前に生まれたかたなので,70歳を越えている。この世代の知人と話をはじめると,つい長くなってしまう。

東中野まで出てブックオフを覘く。踊ってばかりの国のセルフタイトルのアルバムが1,800円で並んでいて即購入。文庫を3冊買う。歩いて中井まで。帰宅後,夕飯をとり,そのままSTORESに本とCDを登録する。

数日前,サイト内で最も高値をつけたP-MODELの本が2日も経たずに売れた。非道い値付けではないかと不安になったものの,もともと流通量が少ないものではあるし,まあ,売れなくてもいいし,と思ったが甘かった。それにしても,平沢のどこに人を惹きつける魅力があるのか,しばらく前からわからなくなってしまった。

そりゃ,35年前は他に類のないミュージシャンだった。でも,フロアに200人から多くて800人くらい。おもしろいものはこそこそと,そのものだった。ステルスと自称するくらいにみずからは侮辱することはなかった。それが,なあ。

まあ,あとは旬4のビデオあたりか。さすがに手持ちのものが減ったものの,もう少し登録してみよう。

5/10

メールでのやり取りで慌ただしく過ぎる。仕事ではあり,そのことで物事が先にすすむとはいえ,一度で区切りにならないのがもどかしい。

19時まで仕事をして退社。新井薬師前まで行き,文林堂書店を覘こうと思ったものの,緊急事態宣言下で休業中。中井まで戻り,伊野尾書店を少しだけ見て帰宅。夕飯をとり,テレビを観ていると眠たくなってしまう。23時過ぎに眠る。

今月号の「ビッグ・スヌーズ」を数回読み返す。『ハード・オン』や“THE PARTY IS OVER”はじめ,いくつかのエッセイに登場した店が記録のなかに出てきた。単調になりがちな携帯電話でのやりとりを蝦蟇蛙ひとつで小説にしてしまう手腕。『大いなる眠り』を換骨奪胎したところから,かなり離れた。他人のあらすじで相撲をとることが,これほどうまいのだから,『かわいい女』『湖中の女』『髙い窓』『プレイバック』,せめて4作は読みたい。

川本直さんとのやりとりで納得したとおり,これまで発表された文章については,箱に入れてリボンをかける所作抜きに何らかの形でまとまることを期待する。正直,「ららら科學の子」は連載のときから文章のうまさを感じるよりも,物語に浸ってしまったものの,「常夏の豚」「ビッグ・スヌーズ」はつくづく文章がうまいと思う。その座標軸は暗記したくなるかどうかなのだけれど。

5/9

Storesに登録した「ロフトといえばP-MODEL」枠がほぼなくなる。スキューバディスクは切り取ってしまったものの,スキューバブックを登録しようかとネットをチェックする。えらい高値で取引されているものだ。チラシや切り抜きも処分してしまおう。近々,登録することに決める。

11時から歯科受診。一度,帰宅し,会社に行く。著者に一件連絡。もうひとりの方に電話。18時過ぎまで仕事をして退社。東武百貨店で夕飯用にお弁当を買って帰る。テレビを観ながら食事をとる。起業の準備,スピードをあげていかなければならない。「ビッグ・スヌーズ」を読み返す。

で,はじめに決めなければならないことは整理できた。それぞれのメリットとリスクを洗い出したうえで,一件ずつ交渉していく。その他のことに手をつけようとすると,結局,はじめに決めなければならないことが手つかずのため,すすめないことに気づいてきた。ひとりでセブンブリッジをしている気分だ。世の中には自分以外が要因で,セブンブリッジが進まないことは少なくない。反面教師というか,なんというのだろう。

金土

金曜日は夕方から西日暮里で打ち合わせ。20時くらいまで。COVID-19が社会的問題になる前,企画の打ち合わせをしていた方と,思えば1年半ぶりほど,じかにお目にかかっていなかった。もろもろ話しはじめると,以前に出たような話にもなる。雨。

土曜日は,午前中に一件,仕事の打ち合わせ。帰宅後,15時に不動産屋まで行き,事務所物件の鍵を受け取る。一度,事務所まで行き,鍵を確認して戻る。伊野尾書店で「新潮」を購入。東中野まで出て,イツキ コーヒーロースタリーで昼食。高円寺まで出る。家内が古着屋を覘いているあいだ,「新潮」の「ビッグ・スヌーズ」を読む。先月号が休載だったためか,ボリュームがある。二村と涼子(と呼称される人物)のやりとりが気持ちよい。後半,マンガ「ハード・オン」の初めあたりを彷彿とする場面が描かれる。『コルテスの収穫』には,似た場面はなかったはずだけれど,あってもおかしくない。

買い物を続け,daysに。事務用品はここで揃えようと思う。セール品のボールペンを2本購入。北中通り商店街を駅に向かってもどると,クリーニング屋で古本を売っている。中を覘く。店主が買い集めた本を販売しているのだそうだ。個人蔵書なので,本には明らかに傾向がある。正直,苦手なものがすくなくなかった。神吉拓郎のハードカバーを2冊購入。買い物を続け,その後,野方まで。一瞬,雨が降る。ハルミチルは売り切れてしまった様子でお弁当が調達できない。フジヤでお弁当を売り出していたので買って帰ることにする。できあがるまで家内は少し先のお店で買い物。お弁当を買って,帰宅。

「ビッグ・スヌーズ」を読むと,諸々のやっかいなことが消えてしまうような感覚を覚える。もちろん,そんなことはない。ただ,この小説を読み耽るたのしみがあるだけで,世の中捨てたものではないとは思える。そろそろ完結だろうか。

烏滸より低く

下版の続き。めどがつく。打ち合わせに出ていた代表が忘れ物をしたとかで帰社。印刷所との打ち合わせを終えて,仕事を続けていると,ちょっとよいかと仕事場のあたりに寄ってくる。切り出した話は,忘れ物をして帰社したついでにするような類なものではなく,あきれ果てる。常識をもたないことにおいては突出しているものの,この世界ではそれが特色として通ってしまうことがあったのは事実だ。ただ,度を越すにもほどがある。確認事項を質すと指示が出ない。らちがあかない。あきらめて,本人と話し合うことはやめにする。20時前に帰宅。減便した山手線は当然のように混んでいる。烏滸と呼ぶには次元の低いあれこれが目につく。もらい事故続きだな。

帰宅後,家内に経過を話すと呆れられる。夕食。酔いがまわるには,いらだたしさがおさまらない。数時間前のもらい事故の影響が効いている。

社会生活を営むのに免許が必要だなどというつもりはない。ただ,対外的に関係をもちながら,世間で店を張っていくのに最低限欠かせない常識はあるだろう。常識をもたないものに何をいってもしかたない。ただ,常識をもたないものが20年近く,手形を振出し,入出金の手順だけを覚えて機械的に繰り返している様子を目にすると,それで続けている奇跡というか偶然はさておき,そ奴の判断を仰ぐことだけはやめようと思った。

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