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松家仁之の『沈むフランシス』(新潮社)をなんとか読み終えた。そう長くはない話なのだけれど,たとえるなら樋口毅宏の“雑司が谷”シリーズを読むほうが,どれだけ清清しいかと思ったくらいに,いやな読後感だった。

少し前には「元・編作家が減った」と現役編集者が語るほど,物書きで生計をたてる生活と出版社に属する生活を天秤にかけ,後者に腰掛けるサラリーマンが少なくない時期があった。

それが,このところ元・編作家が続けて登場している。以前に比べると,編集者で生計をたてていくことが容易でなくなったのかもしれない。

この小説家は,先に調べたとおり,元・新潮社の編集者だったそうで,当時,クレスト・ブックスを立ち上げ,軌道に乗せたことが評価されているとのこと。クレスト・ブックスは,最初に読んだ『朗読者』があまりに印象がよくなかった。文庫になってから読み面白かったジュンパ・ラヒリの作品は,クレスト・ブックスというよりも,新潮文庫という印象だ。

この小説は,だから,クレスト・ブック・ステイストの作品をドメスティックで刊行すれば受けるだろうという,中小広告会社の営業マン的発想で描かれた作品のような印象を受けた。この物語を描きたかったのかが正直,感じられなかった。第一,クレスト・ブックスは翻訳シリーズなのだから,原著の編集に本人はまったくタッチしていないにもかかわらず,それをドメスティックでと感じさせてしまう著者の短絡さのような何かがどうにも先に匂い立つ。

前半で,福岡伸一の動的平衡のたとえをそれなりの巧みさで織り込んだりしているものの,ならば福岡伸一の文章を読んだほうが美しさは勝っている。スノッブな固有名詞の使い方は,50代前後には馴染みのもので,固有名詞の新鮮さは感じられない。

いや,この程度の小説がそれなりの評価を仮に受けるのであれば,新しい書き手の作品をいっそのこと読まないで済ませたほうが,潜みながら読書を愉しむことができるのではないか,などと思った。

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