いま語るべき宇宙戦艦ヤマト


安彦 ガンダムの直接の先駆けになったのは「宇宙戦艦ヤマト」なんですよ。僕はヤマトのスタッフでもあったんだけど,あれはまさに戦争のお話で…。
矢作 でもあれは海戦ですよね。バトルという意味での戦争なんですよ。
安彦良和vs矢作俊彦,アニメ,ネットにあふれる“リアル”の正体とは…?,月刊ガンダムエース,2003年11月号.

「宇宙戦艦ヤマト」が描いたのはバトルという意味での戦争だ,といったのは矢作俊彦。ホーンブロワーシリーズで戦争を語ることが難しい(できないわけではないだろうけれど)のと同様,“いま語るべき”と冠された本書のように,「宇宙戦艦ヤマト」を通して,「戦後日本の転換期」を語るのは容易ではない,というか適切ではないと感じた。内容自体は面白かったので,すぐに読み返してしまった。ただ,その面白さは,同人誌などで何が語られているか目にしたことがない私にとって,語られ方の目新しさなのだと思う。

「宇宙戦艦ヤマト」をはじめて見たのは1975年,夕方の再放送だった。仮面ライダーの模写でなんとかフォルムをとることができるようになり,アニメやマンガを鉛筆やペンで描きはじめた頃だったものの,当時,ヤマトのフォルムは印刷媒体でほとんど目にしなかった。放送の記憶をたよりに何度も描いたけれど,とにかくディフォルメされた遠近法とパーツの多さはメモリーを遥かに凌駕する。いくら描いても,似ても似つかないものになる。

その頃,やってきた転校生が見事にヤマトを描いているのを見て,心底驚いた記憶がある。私が描いたヤマトは鼻であしらわれ,記憶と事実の違いをあれこれ指摘された。私は松本零士どころか,マンガ家をほとんど知らなかった。彼から秋田書店でマンガが出ていることを教えてもらい読んだものの,正直,その頃は松本零士の線が上手いとは,いや格好よいとは感じなかった。

1977年に「OUT」のヤマト特集号,たぶん隕石か何かに擬態して航海するような設定資料が掲載されたものを神保町の高岡書店で目にした記憶がある。高岡書店には,すでに抜け(売り切れ)は何号かあったけれど,入り口付近に「OUT」のバックナンバーが揃っていた。立ち読みしたが,結局,買わなかった。8月には池袋の映画館に朝5時くらいから並んで総集編の映画を観た(本書によると「スターシャ死亡編」)。1978年には続編も見たし,その後もテレビ,映画を見に行った記憶がある。本書をもとに記憶を整理すると,1980年の映画『ヤマトよ永遠に』を最後に,その後の作品を見た記憶はない。

5年も経てば,こちらも成長する。

少し前の1979年には,すでに「いまさらヤマトじゃないだろう」という感じが私のまわりには漂っていた。サンライズアニメとラブコメマンガについての語りがメインストリームに躍り出た。

すでに私の関心はアニメから,マンガやロックに移っていた。それでも1980年に『ヤマトを永遠に』をあの転校生と見に行ったのは,なにがしかの期待をしてだったのかもしれない。別の高校に進学してから,ほとんど連絡をとっていなかった彼と,どのような経緯で映画を見に行くことになったのか覚えていない。

彼はとうにヤマトから関心が離れ,その日,ほとんどその映画については話さなかった。

読みながら,そんなことを思い出した。

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